道
まみあ
君の音
XX年3月
どうも。ぼくは道。名前はない、田舎の住宅街にあるただの道。
もう200年くらい道をやってる。特技は、足音だけで誰が通ったのか分かること。70年くらい前からかな。気づいたらできるようになってた。たとえばほら。今日の早朝、1番最初に歩いたのはタオルを首にかけて、忙しそうにゴミ捨てをする茶色いドアの家のおばさん。毎朝毎朝、ほんとに大変そう。続いて、周りの家からも何人か女の人が出てきて、みんな決まっておはようございます、お疲れ様ですと言い合う。それに何の意味があるのかぼくには分からないけれど。
次に、スーツを着た男の人が何人か出てくる。この人たちはみんなせかせかしてて顔が怖い。しかもくつがとっても硬くて痛い。ぼくが嫌いな、奥から2番目、白い屋根の家から出てくるあいつもそうだ。歩き方が雑で足音がうるさいし、ぼくに唾を吐いたりする。こないだなんかぼくにガムをくっつけたんだ。あーなんてかわいそうなぼく。あんなやつは石にでも躓いてしまえばいいんだ。そうしてスーツ族がひと通り過ぎていくと、ぼくが1番楽しみにしてる時間がやってくる。小学生の登校時間だ。子供たちはぼくの上を本当に楽しそうに歩く。唾を吐いたりしないし、くつもみんな柔らかい。
そんな中でも。ぼくは、君の足音が1番好きだ。君は突き当たりにある赤い屋根のお家から出てくる。黄色い帽子をかぶって真っ赤なランドセルを背負って。ぼくの真ん中でくるりと一周回ってみせたりする。君の足音は本当に心地いい。ぼくまで楽しい気分になってくる。今日もそろそろ君が出てくる時間。ぼくはうきうきしてその時を待っていた。
そしてドアが開く。でも今日、君はランドセルを背負っていなかった。洋服の雰囲気もいつもとなにか違う。いつもは赤とか白とか黄色とか、明るくて可愛らしい服を着ているのに、今日は真っ黒な服を着てる。手にはランドセルの代わりにトートバックを持っていた。そうだ、思い出した。今日は小学校の卒業式。きのうの朝おばさんたちがそんなことを言っていた気がする。そうか、君がついに小学校を卒業するんだね。君に続いて、お母さんとお父さんも家から出てきた。みんな黒っぽい洋服を着ている。3人は楽しそうに話しをしながら、いつも通りぼくの上を歩いていく。ぼくは静かに君の足音を聞いた。一歩一歩、大切に。ぼくも君について行きたくなった。君の卒業式を見てみたいと思った。でもそれはできないから、代わりに道に積もった桜をそっと吹き上げた。
君にはじめて会ったのはいつだろう。幼稚園の入園式の日だっただろうか。君は入園式の前日にここに引っ越してきた。そういえば家ができる前に何度か車がその場所に来てたから、その時も君はここに来ていたのかもしれない。入園式の日、君は真新しい制服を着て黄色い帽子をかぶって、突き当たりの赤い屋根のお家から出てきた。はやくはやくってお母さんを急かしながら。君がジャンプで玄関から降りてきた時、ぼくは君に一目惚れ…いや、一耳惚れした。もう一回ジャンプしてみてって思った。そんなぼくの心が通じたかのように、君は嬉しそうにぴょんぴょんジャンプした。なにがそんなに嬉しいのかぼくにはさっぱり分からなかったけれど、そんな君を見ているとぼくもなんだか楽しい気分になった。君の足音はまるでピアノの音色のように軽やかで、楽しくて、それでいてすごく丁寧で、ぼくはその時から君が好きになった。でも君は、少し遅れて出てきたお母さんの方を振り返って、
「この道、なんだかでこぼこしてるから・・・らくだ道だね!だってらくださんみたいだもん!」
って言った。とっても嬉しそうにそう言った。そしてわざわざ端っこの、一番でこぼこしてるところを走った。確かにぼくは整備の行き届いてない古い田舎道だけど、らくだって言われるほどでこぼこしてないよ!って怒ったりしたけど、実はちょっとだけ嬉しかった。今までの200年間、ぼくに名前をつけた人なんて誰ひとりいなかった。はじめてもらったその名前はぼくにぴったりとは思わないけれど、それでも嬉しかった。
中学生になった君は、ぼくの上を歩くことが減った。代わりに、自転車に乗って通ることが増えた。それがちょっとだけ寂しかった。でも不思議と、自転車に乗っていても君からは優しい音がした。中学はほんとうにあっという間に過ぎていった。小学校よりうんと短かかった気がするんだけど、気のせいかな。君は中学を卒業し、無事、高校に入学した。あ、中学校の卒業式の日、桜をハートの形に並べたの、ぼくだってことは内緒だよ。ほら、そういうのって、奇跡!みたいな感じの方が思い出に残るでしょ?
高校に入ると、君はまたぼくの上を毎日歩いてくれるようになった。駅は中学校よりも近くにあるからね。小鳥に自分のおやつパンをひとくちちぎってあげたり、枯れそうなたんぽぽに水をやってたり、そんな様子を見ていると、君は幼稚園に通ってた時からあんまり変わってないなと思ってなんだかおかしくなった。でもやっぱり君もお年頃。ある日君は隣に男の子を連れて歩いてきた。顔はかっこいい方だと思うし、性格も・・・まぁ問題はなさそうだ。君が選んだだけのことはある。でもぼくはちょっと嫌いだった。硬い靴を履いてるし、歩き方が君に比べてすごく荒っぽい。そりゃ君と比べたらみんな荒っぽく聞こえるのだけれど、それにしても彼の足音はあんまり好きじゃない。でも君はその人と一緒にいる時すごく楽しそうに笑っていた。だからぼくは君の隣にいる彼に、しっかりしろよって思いを込めて、背中を風で押したりした。
でも彼はやっぱりだめだった。なんでかって?その数ヶ月後、君が泣いてたんだ。彼は君を泣かせたんだ。僕は気づいてた。君は誰にも涙は見せまいと、泣くときは決まって帰り道だった。そして家に入る前にひとつ深呼吸して涙を拭い、元気にただいまを言う。たぶん、あの彼が別れ話しを切り出したのだろう。根拠はないけれど、そんな気がした。静かにひとり涙を流す君をぼくは見守ることしかできない。大丈夫、君にはきっとまた、素敵な出会いが待ってる。でも今は、せめてここでは、泣いていいんだよ。ぼくは君の寂しそうな足音を聞きながら、できる限り暖かい風を吹かせた。
そして、季節は春。また君とはじめて会った季節がやってきた。あれから何回君と春を迎えただろう。200年も生きてると、時間の感覚がだんだん薄れてくる。5回くらいかな?いやいや、えーっと、今日は君の卒業式だから・・・12回?そっか、もうそんなにたってたんだね。懐かしいなぁ。この12年間は、ぼくが生きてきた200年の中で、間違いなく最高の12年間だった。今日も君は、突き当たりの赤い屋根のお家から元気よく出てくる。そして久しぶりに、ぼくの真ん中でくるりと一周回ってみせた。今日はいつもより気合いが入っているようだった。お母さんとお父さんは車で学校に行くようだった。君も車で行くのだろうかとちょっと不安に思ったけど、君は歩いて行くと言った。毎日歩いたこの道を、最後に歩いて行きたいと言った。その言葉を聞いてぼくは、嬉しいと思った。
帰りも君は歩いて帰ってきた。途中で友達と寂しそうにお別れを言って、また会おうと約束していた。ひとりになった君は、ぼくの上で鼻唄を歌った。君の足音は心地よくリズムを刻んでて、ぼくもなんだか楽しくなった。だから、木々を揺らして一緒に歌った。君は一曲歌い終わって、今度は周りを見渡しながらゆっくり歩いた。ぼくも静かに君の足音を聞いた。聞き慣れた音。ぼくが1番好きな音。
その時ふと、今日はまだ桜のサプライズをしていないことを思い出した。ぼくは慌てて君の家の前に桜で小さくハートを書いた。このくらいが、今の君にはぴったりなんじゃないかと思った。君はちゃんと気づいてくれた。ハートの形に並んだ桜をみて、ありがとうって言った。きっと、ぼくに言ったわけじゃない。でも、なんだか少し照れくさかった。
XX年3月
君が高校を卒業して数日間、君の家の前に何回か大きなトラックが止まった。君の家から何かを運び出しているようだった。卒業式以来君の姿をほとんど見ていない。たまに出てきても、車に乗ってすぐどこかに行っちゃう。ぼくはそろそろ、君の足音が恋しくなってきていた。
それからさらに数日後。君が家から出てきた。なんだか今日はお母さんとお父さんに大げさな行ってきますを言っていた。元気でねとか、そんなことを言っていたような気がする。まぁぼくにとってそんなことはどうでもいい。だって今日、君は久しぶりに僕の上を歩いてる。なんだか大きな荷物を持ってるけど、それも気にならない。だって、すごくすごく嬉しいんだ。何日か空いただけなのに、君の足音を久しぶりに聞いた気がした。
どうやら今日君は、夜遊びをしているようだ。いつもだったらとっくに帰ってきてる時間なのに、いっこうに君の音が聞こえない。まぁたまには友達と遊んでて遅くなることだってあるだろうと思って、あんまり深く考えなかった。もしかしたら、卒業式の日に会う約束をしてたあの子とさっそく会ってるのかもしれない。でも君は、朝まで待っても帰ってこなかった。次の日の朝が、何事もなかったかのようにやってきてしまった。いつも通りの朝。君だけがいない。次の日も、その次の日も、またその次の日も、君が帰ってくることはなかった。
ぼくは寂しかった。君の帰りを待ち続けた。でも君は帰ってこない。もしかしたら、もう君に会えないのかもしれない。そう思うと、怖かった。ぼくはまたひとりで何百年も生きていくのだろうかと思った。もう一度、君に会いたい。もう一度、君の足音が聞きたい。そう思い続けて数年が過ぎた。
XX年12月
あれから何年たっただろう。君が最後にぼくの上を歩いたあの日から。分からない。途中までは君がいなくなってからの日を数えてた。でも、もうそれもやめたんだ。余計に君が恋しくなるって気づいたから。今こっちは雪が降っているよ。君は雪も好きだったよね。小さい頃、よくお父さんと一緒に雪だるまを作ってた。雪だるまの手をどうしようか困ってた時、ひとつちょうどいい木の枝を落としてあげたら、大喜びしてたっけ。君は今ごろ、どこで何をしているんだろう。どこかで幸せに暮らしているんだろうか。
XX年4月
何日か天気の悪い日が続いたけど、今日は久しぶりにいい天気になった。今日もおばさんたちがゴミ捨てに出てきて、お決まりのあいさつを交わす。続いてスーツを着た人たちがせかせかと出て行き、小学生が登校する。あの頃と何も変わらない。君がいないだけ。でも今日は少し違った。見慣れない車がぼくの上を通った。それだけなら別にそう珍しいことではない。でもその車から聞こえる音はどこか懐かしい感じがした。どこで止まるのだろうかとちょっと気になって見ていると、突き当たり、赤い屋根の家の前で車は止まった。ぼくはいつの間にか、その車に見入っていた。運転席のドアが開く。降りてきたのは優しそうな男の人だった。彼が一歩二歩、車のトランクに向かって歩き出した時、ぼくは耳を疑った。彼の足音は君の足音にとてもよく似ていた。軽やかで、落ち着きのある足取り。それでいて、君より少しだけ男らしく歩く。よく聞くとやっぱり君とは違う。でもぼくの好きな音だ。彼は車の中に向かって何か話しているようだった。助手席にまだ誰か乗っている。ドアが開いて女の人が降りてきた。・・・たった一歩。たったの一歩で十分だった。彼女が君だと確信するのに。君の音。聞き慣れたあの音。ぼくが1番好きな音。ずっとずっと待ち続けた音。聞き間違えるはずがない。君が、ここに帰ってきたんだ。ふたりはインターホンを押した。お母さんとお父さんが出てきて、ふたりを家の中に迎え入れていた。
ぼくは君たちが出てくるのを待った。でももう寂しくない。君が帰ってきたんだ。もう一度聞きたかった君の音が聞けたんだ。君はまたすぐいなくなっちゃうかもしれない。それでも、君の元気な姿が見れた。支えてくれる人もいた。やっぱり君は、素敵な人に出会えたんだね。それだけでぼくは幸せだった。
君は次の日の朝、また出て行ってしまった。でも、君はその日も帰ってきた。次の日も、その次の日も、またその次の日も、君は帰ってきた。夢のようだった。出かけて、帰ってくる。この当たり前がすごく嬉しかった。君の音をたくさん聞いた。あの時と何も変わってない。軽やかで、楽しくて、それでいてすごく丁寧な音。全部あの時のままだった。
君はあんまりぼくの上を歩かなくなった。でもたまに散歩に出かけることがあって、その時間が今のぼくの楽しみだ。君はとっても幸せそう。そういえば最近、君が少しだけ重くなったような気がする。大丈夫かな。ぼくには見守ることしかできないけれど、君が歩く時はあの男の人がいつも隣にいるから、心配ないね。彼はほんとうに、君にぴったりだと思うよ。君の音と彼の音とはとっても綺麗なメロディーを奏でてる。ぼくは君たちの音が大好きだよ。
XX年4月
君がここに帰ってきて、4度目の春が来た。今日は近所の幼稚園の入園式。突き当たりの赤い屋根のお家から、ひとりの女の子が出てきた。真新しい制服を着て黄色い帽子をかぶってる。ジャンプで玄関から降りて、ぼくの真ん中でくるりと一周回ってみせた。まるで時間が巻き戻ったかのようだった。彼女は君にほんとうによく似ている。足音も、君がはじめてここに来た時にそっくりだ。軽やかで、楽しくて、とっても優しい音。おまけに彼女はこんなことを言った。
「この道、なんかでこぼこしてるから・・・へびさん道だね!だって、へびさんみたいでしょー?」
そんなことを言い出す彼女に、わたしはらくだ道だと思うよって一生懸命説明する君を見て、ぼくは幸せものだと思った。
道 まみあ @Hayabusa016258
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