雪の音

しゃくさんしん

1


 中学を卒業してから五年ぶりに再会した菜緒は、盲目になっていた。昔、男から殴られたのだという。

 私はソープに行き、変わった女がいると店の受付の者が勧めるので、戯れにその女を頼んでみると、彼女が来た。腹に大きな傷があった。中学時代にはなかったものだ。

「どうした、これ」

 二人で湯船に浸かっている時に私は聞いた。腹の傷を目で指しながら言ったのだが、菜緒は私の視線がわからないので、きょとんと首を傾げた。

 ああ、と私は気付いて、菜緒の腹に触れた。すると彼女は、傷を自分で撫でた。

「このお腹の傷?」

「昔はなかっただろ?」

 私は、自分の記憶をあまり信じていなかった。何度も触れた身体だが、菜緒はいつも腹は見せたがらなかったから。太っていると思われるのを嫌がって、裸になっても布団を手繰り寄せたりして腹だけはなんとか隠すのであった。とはいえ、やはりいつも完全に隠せはしなかったから、その時の覚えで、かつては傷がなかったと私は考えたのだが、確信は持てなかった。

「手術したの」

「手術? なんの?」

「子宮。あとちょっとで子ども産めなくなっちゃうとこだった」

 菜緒はそれから、他人事のような軽い口ぶりで話した。

「あのね、メロンぐらい大きな腫瘍ができちゃったの。お医者さんも、こんな大きいのはじめてって、びっくりしてた」

「ふうん。なんでそんな病気に」

「さあ、しらない。お医者さんもわかんないって」

 私は彼女の言葉を、というよりも医者の言葉を、信じなかった。菜緒はどれくらいこういう仕事をしているのか、そんなことを私は考えていた。

 男に殴られて失明するような、危ない生き方をしているとなると、職業としてきたかはさておき、いいかげんな夜を過ごすようになってもう長いのかもしれない。

 病は、そういう生活の泥の塊では、なかったか。医者はそうではないという。無論、嘘をついているのでは、きっとない。しかし、医者もしらないような道もあろう。男の体によって女の体に魔が棲むことも、ありえるのではないか。

 私がそんなふうに、陰険に疑ってかかったのは、裕香の裏切りの傷がまだ生々しい時だったからかもしれない。菜緒に再会したその日は、私の家から裕香が去った日でもあった。

 こんな言い方では、奇跡や運命のようだ。現実はもっと惨めだ。私は一人に耐えきれなくてソープへ足を運んだ。それだけのことだった。

 菜緒は私の疑念などしらないで、無邪気なままに言った。

「これ触ってみて。傷跡がぼこぼこして、へんな感じするの。いっつも触りたがる人もいるし、気持ち悪がる人もいるけど」

 果たして私は、前者であった。私は菜緒に会うたびに、腹の傷を撫でる。確かに、なめらかで柔らかい女の腹に縫合痕の感触を撫でるのは、寒気のするような奇妙さがあった。けれど私はそれを偏愛するのではない。私が彼女の傷跡を撫でるのには、別のよろこびがある。

 私はいつも、かつての菜緒を思い出している。腹を見せるのさえ恥じらった少女が、あわれな傷跡を平気で撫でさせまでする女になった。私は傷に指を滑らせる。菜緒が壊れた、幾らかの年月に想いを寄せて、彼女の儚い美しさに眩暈がする。


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