第2話 紳士との出会い





相討ちにあっていた猫の喧嘩を仲裁したのは、浅葱裏の着物を着た田舎侍だった。

位の高い者よりもああいう田舎臭いものにイブキは昔から好ましく思っていた。

単純で、素直で、感情的で、何より自由だからだ。

位の高い貴族や親方達が自由に行動し感情的になったが最後、理性が道徳の域を超えるのだとイブキは知っていた。


その様は錆びることのない銀が腐るさまによく似ている。



いまイブキは、まさにその現状に相向かっていた。


「一緒に来てもらおう、イブキ御嬢様」


何故こうなったのか。

謎を辿るよりも先に目の前の貴族達から放たれる酒の臭いをどうにかしてほしいと、イブキは能天気にも冷静に考えていた。

昼の演目が終わり、金を払った客に別室で酒をお酌する水仕事。簡単な日常だった。今はまさにその帰り、夕暮れ前だった。

覆る事は不可能だと思っていたそれが、なぜこうも起きてしまうものか。


「何も言わないという事は、了承の意と捉えて良いのだな?」

「…嗚呼、そのような申し出、実に痛み入りまする…どうか御勘弁を」

「遠慮するな、拒否権も何もイブキ嬢にはとうにありませんぞ。これは馬吉良様の計らい」

「馬吉良陛下…?」


泡立つようなその名前。水の色は濃い緑を連想させた。


「いいからさあ、もはやお嬢に行く当てもない。可愛がってやろうて」

「何を言って…や、やめてをくんなまし…!離して!」

「やいやい。天下の女国天の花イブキ姫に何をしているんだい…?」

「ああ?町娘がお国の問題に口を挟んでくれるな!すっこんでろ!」

「何を…?招かれざる客はあんたたちだろう、雄猿が…!」


まずい、反射的にイブキは顔を真っ青に冷やした。


城下だけでなく国の女子全てが気高く美しく結束力が高いのだが、母の椿同様周りが見えなくなってしまうこともある。

そこが欠点であり長所なのだと。

そんな事を考えている間に目の前で口喧嘩がヒートアップしていきいつの間にか人も集まってきていて。

どうすれば、どうすればと瞬きもせず思考していれば視界がきらりと光り、人だかりができた場所が何かを避けるように開いていった。


あれは今日、いつぞやで見た。

眩しい、金の眼鏡の大男。


「ほうら、大道でお声を上げてはいけませんよ。女子なら謙虚に、男子なら紳士的に振舞わねば」


青い花弁と、異国の臭い。


この場にいる両者とも似つかない白い肌、彫の深い顔立ち、金の髪。

そして身の丈2m程であろう大きな体と大きな身体。腹はビール腹のよう。見なくてもわかるが喉仏が男の証拠。

あの体系に青い着物と紺のリボンが付いたカンカン帽は、なんとも浮いていた。

男の登場に争っていた二人の視線がそちらに向き、目くじらを立たせる。


「何方か知らないけど、これは私達の問題よ!引っ込んでちょうだい!」

「それにテメェ、なんだその身なりは…?上等な金の入った着物や装飾品をつけやがって…これだから坊ちゃんは困る!うちの国の恥さらしだ!」

「おやひどい、私はただ争いはやめなさいと公言しているだけなのに…それに、勘違いをなさっているようですが私は貴方方の国の者ではないですよ」

「は?」

「おい…ならテメェ旅の輩だな…?通行証なしに無断で入ってきたのか?」

「人聞きの悪い、ちゃんと正門から入ってきましたよ」

「とにかく!旅の方なら猶更、私たちの問題に首を突っ込むのはやめてちょうだい!身を滅ぼしても知らないわよ!」

「まあまあ、美しいのだからあまり大きな口を開けてはいけませんよ、レディ」

「れ、れでい…?」


調子が変わった。渦巻いていた台風が去り、場違いな異国の楽器が聞こえるほどに。

三味線とは違う、ヴァイオリンの音色。

大男は「んふっ」と気味悪く笑い、首が苦しいのか慣れないのであろう着物の衿を直した。


「まずは、提案をひとつさせてください」

「提案?」

「まず、あなたたちはイブキ…姫?に用があると。ですがイブキ姫は貴方たちと行きたくないと」

「わたくし、これから扇子のお稽古が…」

「そんなの関係ねえだろうがよお!」

「まあまあ…それで、貴方達は自国の姫の危険を察知しそれを止めようとしたわけですね」

「そうよ!何処の馬の骨かもわからない男に、うちの姫様を連れてくなんて言語道断よ!」

「俺たちは隣国蒲都万ノ国だ!同盟を組んでいるんだ、ちょっとぐれえ信用してくれたっていいだろうに!」

「”男”っていうものはみーんなそう!口だけの危ないやつらだって知ってるんだから!」

「なーにをぅ?てめえが生まれてきたのも男のお父ちゃんがあってこそだろうが!」

「小汚い父親もわたしたち女子は嫌煙してるのよ!男だって時点で無理なの!」

「こんのアマ…!」

「ナルホド…では、女子の皆さんは彼らが男だという事実に則り、信用ならないと」

「そうよそうよ!」

「でしたら、簡単ですネ」


とんとん拍子に進められていく話に、眼鏡をかけた大男がにこりと笑った。

何をするのかと思えば彼はゆっくりとその腕をあげ白い手袋をまとったその手を男の肩に置いた。


「おなごに、なってしまえばいいのですよ」


ぼふんっ!と大きな音とともにイブキを掴んでいた男が煙にまみれていく。

「なんだなんだ?!」と声を荒げゲホゲホと声を漏らす男の咳が、低音から高音に変わった気がした。

動揺のあまりイブキを拘束していた腕は解かれ、イブキはしめたと思い一歩離れるもぐいっと前から腕を引っ張られた。

ぼすっとクッションのような何かにぶつかり、イブキが即座に顔をあげれば身長2m程であろう先ほどの眼鏡の大男が背中越しにこちらを見下ろしていた。


ああ、あの目だ。イブキの数時間前の記憶が横切った。


「な、なんだこりゃあ…?!」

悲鳴のようなその声に釣られて前をのぞき込めば、そこには先程の男だったそれが身が小さくなったのであろう大きな着物がずれ落ちないように両手でしっかりと握られた”乙女”がそこにいた。

一緒に来ていた隣の男も、変わり果てた相棒の姿に悲鳴をあげそれを間近で見ていた女子たちは白目を剥いていた。


「て、てめえ…!おやっさんになんて仕打ちをぉ!!」

「慌てなさんな、ホラ!あなたも」

「ひっ」


にぃっと笑った大男がパチンと指を鳴らせば、身体をのけぞらせた男の体が今度は紫煙に呑まれた。

立て続けに起こる怪奇現象に、見ていた町娘たちもきゃあきゃあと悲鳴をあげ小走りにその場を去っていった。

おっかないであろう。なんたるどんでん返しだ。


「くそぉ…!お、覚えてろよぉ!このことは絶対陛下にお伝えしてやるんだからなあ!このやろー!!」


怒り狂う乙女が、着物を引きずりながら大股で駆けていく様は、なんと滑稽でかわいらしいことか。

走っていく後ろから花が追っていくようだ。

あまりの急展開についていけずイブキが半目でその光景を眺めていれば、触れていた体温が離れた。


「お怪我は、ありませんか?」

「え…あ、はい。ご親切にどうもありがとうございまする…」

「いいんですよ、美しい女性を助けるのも紳士の務め!お気になさらず、ね?」

「は、はい…」


わざとらしい。

まるで助けた自分に酔っているような仕草で手のひらを額に添え天を仰いだ男にイブキはひくつく口元を隠すように振袖を口元にあてた。

空も夕暮れ時だ、そろそろ帰らねばとイブキが思案していれば男が「んんっ」とこれまたわざとらしく咳を零した。


「ところで、貴方はこの国の姫様であられるので…?」

「はい。わたくしは女ノ国統領椿の娘、イブキでございまする」

「ナルホド!ああ、でしたらこれも何かの縁…!どうかこの旅の紳士と一度お茶を共にしてくださいませんか?」


「え…?」と嫌悪に歪む口を見られまいと鼻まで口元を袖で覆えば、イブキの気苦労も露知らず大男は恭しくその大きな身体を曲げた。


「申し遅れました、わたくしマシューと申します。以後、お見知りおきを…」


パチンと軽くウインクを飛ばす彼に、イブキの肌が泡立つ。危険だ、これはいわゆるナンパだ。

きっと自分のことがかっこいいと思っているのだろう、低い猫なで声で誘うマシューにイブキは慣れた愛想笑いが崩壊してしまいそうだった。

なによりこんな怪しい人物、奇怪な術を使ったところをみると只者ではないと見ていた。


「あ、ご、ごめんなさいマシュー様…わたくしもうお城に帰らねばなりませぬ故…」

「嗚呼!そうでしたね、姫様は門限付きとはよく言ったもの…どうか!このマシューの御無礼、お許しください…」

「は、はぁ…」

「それでは!また何かのご縁があれば!その時まで是非に!」


舞台俳優か何かなのであろうか?

大げさに悲しみと再会を夢見るセリフを宣言した彼は、これまた足取り軽くカンカン帽をひらりと宙で翻してから去っていった。

ぱらりと、結っていた黒髪一本だけ頬を流れた。


人気がなくなった城下でイブキは人知れず「はあ」とため息を零し。


先程の争いを早く忘れようと、小走りで城への裏通りへと向かうのであった。








紳士との出会い


(願わくば、もう二度と会うことのないように)


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