正義-Justice-
瀧澤乳子
第1話 崩落の合図
《最後は、我が一座の花形舞踊が飾ります》
じょんがら節の怒涛なる歌い出し。
渦を巻く様に音がドアップにひしめき僅かな耳鳴りの元へ、歓声が聞こえた。
「よっ!待ってました!!」
「さあ、お前の素晴らしい舞を見せておくれ!!」
口々に放たれる期待の嵐。赤と黄金の紙吹雪が空を舞い膨張させる様に和太鼓が飛沫を上げた。
派手な演出と共に幕が開かれ眩い光と黒い小石の数。扇子の隙間から舞台の冷気と新鮮な汗の匂いが弾けた。
拳を振りおろす様に、力強く。地面を蹴れば湧きあがる拍手喝采の雨。
壮大な音楽と共に、終幕を飾るその人物こそが、この物語の主役にして光の根源。
女の国随一の美貌と実力を持つ歌舞伎役者、名を”イブキ”と飾っていた。
講演後、舞台を見た観客の者達が口々に講演の感想を零しながら各々の帰路に着く。
高台と豪華なお屋敷の大きな窓。赤い塀を超えたその先、歩く人々を視線で追い、その表情は頬杖をつき今にもため息を零しそうだ。なんともつまらなそうな顔である。
静かな空を黄金の雲がゆっくりと過ぎていく。白百色の地平線を見詰め、イブキは目を細めた。
果ての。この国は空の果てのどの位置に面しているのだろうか。
なんとなく。そう、なんとなく考えごとに更けていたイブキの肩を白魚の様な美しい手が乗った。
鮮やかな橙色の香りと共に。
「何を見てるの?イブキ」
「カレン姉さん…」
山吹色の花が咲く。イブキと同様豪華な和装飾が目立つ着物を着た女性、名はカレン。イブキの実の姉である。
天真爛漫な性格にして大雑把な動作な為、イブキの様にしっかりと着物を着こんでいる訳でもなく胸元が大きく開いていた。
化粧もまばらなその見姿にイブキは溜息を零し窓枠に頬杖をついた。
「俺の講演を見て、どんな話しをしながら帰ってるんだろうなと思って見ていた」
「真面目ね。でも今日も素晴らしい舞だったわ!最後なんて観客は総立ち、外の言葉で言ったら、そう。スタンディングオベーションってやつだったわ!」
「…いや、姉さん達と比べたらまだまださ」
姉の大袈裟な言動に、イブキが薄く笑みを零し姉から景色へと視線を流した。
はらりとイブキの結われていた長い前髪が揺れ零れ、その様に姉が僅かに頬を染めた。色は赤、薔薇色だ。
「まったくもぉ…男の癖に良い顔しちゃって!」
「羨ましいぞ!このこの!」と肘でイブキの二の腕を小突く姉。
心地良い揺れに、イブキは目を閉じ平和だなと違う事を考えていた。
男の癖に、か。
”女ノ国”男であるが女ではないとばれないようにしなくてはいけない場所。
男が生まれてきてしまった事に対して、必死に女子としてここまで育ててきてくれた母。
女子としての身のこなし方、美しい舞を教えてくれた姉。
刺繍や飯事など器用に教えてくれる義理の姉。
そして、小さくまだあどけなさの残る妹の成長の為にも。
女とばれるわけにはいかない、それはイブキの人生における要だった。
鬼灯色の影が伸びていく。歩道を歩く緩やかな尺八の音と鈴の音はしっとりと濡れそぼっていた。
そして場面は移り変わり、イブキを残し高台から彼の自室へと映った。彼は未だに赤い格子窓から城下を見詰めている。
朝の講演から黄金色のひときわ大きな雲が隣の屋敷から右隣の屋敷へ移動した位の頃、空を見事な青が彩られていた。
そんな空日和、部屋の外から婆の呼び声が聞こえた。大きな、大きな声だった。
まるで、外に聞こえてしまうのではないかと思うほどの。
打ち消す様な荒い足取りは、三味線の音色で例えればどんな音なのだろうか。
「イブキお嬢様!昼の部、赤染めの間にてイブキ様を御指名したいという殿方が」
「準備を済ませてから、すぐ参りまする故、暫しお待ちを…」
はんなりと。僅かなゆっくりとした動きに合わせ布が擦れる。妖艶だ。男の仕草とは思えないほどに。
戸の向こうの婆はイブキの声を聞きうっとりと目元を僅かに細め「では、お待ちしておりまする、ごゆるりとお支度を」と言ってそっとその場を立ち去った。
消えた婆にイブキは息を吐き、帯紐で縛っていた髪をほどき机に置いてある棚の中から一つ大き目な簪を手にそれを咥えた。
銀の光がちかりと口元を彩る。口紅が付かぬように歯でしっかり咥えた簪はイブキが髪を上へ上へまとめ上げる動作に沿って淡く揺れた。
窓からふと異国の花の匂いが鼻を掠めた。
季節外れの青い花弁が、一枚、二枚。外の和楽器の調子が変わり、何故かイブキにはどうしようもない焦燥感が襲った。
カーテンを勢いよく締め部屋の僅かな橙色の明かりに安堵を漏らすイブキ。
再度支度を始めようと、着物を薄桃色から赤へ。金の和装飾が目立つそれを棚から広げたイブキは、慌てることなく袖を通した。
刹那。
「もし?」
「!」
音の無い奇跡。
イブキは目を疑った。
暗い部屋、橙色の僅かな光の光源に照らされたその男の瞳が、僅かに開いた戸からぎらりと光っていた。
口から簪が滑り下り畳みにぶつかる。
かちゃん。
戸には鍵が固く閉じられていた筈。無意識に開いていた胸元を隠した。
外の音色が激しかった今、まるでイブキの心臓を落ち着かせる様に途端に静かになった。風流な音色が運ぶ異様な香り。
無音の空間。イブキの黒い眼差しに、黄金色の瞳がにやりと弧を描いた。半月模様の袖振りだ。
「道に迷ってしまいましてね、おトイレは何処でしょう?」
「…………」
「…もし?」
「あ…一番奥の、この通路を右に曲がった場所にございます」
「そうですか、ご親切にどうも」
どれくらいの間見つめ合っていたのだろうか。
ゆっくりと戸は閉められ、イブキは呼吸をやっと再開させた。風を切る様な激しい呼吸。吸って、吐いての繰り返し。
畳みの目を数えそうになる目を片手で塞ぎ、平静を保たせる為に外の鈴の音に意識を集中させた。
美しい音色だ。じわりと額に汗が滲みイブキの細くたおやかな指先を濡らした。
ふやけて、溺れ死にそうだった。
黄金色の怪しい輝きがフラッシュバックし、イブキはそれを薙ぎ払う様に荒く髪をまとめ直した。
時の流れは残酷で、いつの間にかイブキの想像をはるかに凌駕し、約束の時間より一時間早く進んでいた。
***
和装曲と盆の明かり。木枯しの様に乾いた花弁が空から降り注ぐ様に、豪華絢爛の名を象徴していた。
清潔で、それでいて焦げ腐った香りのたち締めるその場所は、高台の最上部に面する場所。
広いスペースに対面する様な間合いで座る二人、一方の男、金銀の調度品を後ろに控えた男の肌は黒く肥え太っていた。
髭は焼け焦げた様にくねり蓄えた頭はまるで荒野の黒い砂漠。それだけ乾ききっていた。
「いやぁ、それにしても…この国はいつ見ても豪華絢爛ですなぁ!」
隣国蒲都万ノ国頭首、名を”馬吉良”(ばきら)と称する。
乾ききった容姿に乾ききった眼。高笑いをする声は当然乾き、聞いているこちらの生を吸おうとせんばかり。
遠ざける様にして相向かいに座る一方の女は、大きな扇子で顔半分を隠した。見てはならぬと、警告が走った故である。
「…して、何故貴殿が此度の地へ参られたか…此度の国をも揺るがす吉報とは…?」
女ノ国頭首兼イブキの母、名を”椿”(ツバキ)と称する。
お付きの者が存在しない二人の空間は、広々とした畳みの匂いが僅かにくゆるも、その糸は綻ぶばかり。
線が合わさらないのだ、どうしても。
「まあまあ!まずは酒の二杯三杯交わし、緩く世間話から話しを進めましょうぞ!」
「下世話な話をしに御出でならば、冥府の門へと案内させましょう」
「ひええおっかねえ…同盟国相手に椿殿は相変わらず手厳しい」
「この国に”男”が立ち入っている時点で民衆から多大なる不満が殺到している以上、早々にご退場願いたく思うてな」
「ビジネスっていうのは、急かしたらいけませんぜ、椿殿。そうして俺も、やっとこの職にありつけたんですから」
障子の絵が変わる。虎から、竜へ。竜巻を生む絵空模様は荒い墨捌きで描かれていて。
椿はその美しく短い眉を寄せ、目の前の男の乾いた歯を見詰めた。嗚呼汚い、と心の声でぼやきながら。
「そうさな、椿殿。この国は初代頭首様方から長い歴に渡り”男”という存在を遠ざけてきましたね?
暮らす国民は全て女人。生まれてくる赤子は全て女子。法の元、これを破る者が居た場合死刑の元、全て晒し首にしてきた。
おかげでこの国は災いの元、彼岸花がよく道端に咲いている。男の客は絶えないが、その分良くない噂もひしめき合っている」
「…何が言いたい」
「私はこの国の現状を変え、救いたいと願っている!その為には、頭首である椿殿の許諾と、そして勇気が!必要不可欠なのだ!」
「ほう…それが此度の吉報か。ふむ、申してみよ」
チリン、と一滴の鈴が落ちる。受け止める優しい手は何処にもない。無残に転がり、降る、降る、鈴の嵐。
音のドアップ、そして男は大きな口を開け自身の乾ききった唇をその舌で大きく舐めた。
「この国に住む女人すべてを、我が隣国蒲都万ノ国へ奴隷として輸入するということだ」
お猪口が割れた。
べんがら節と荒波が突如吹き荒れ室内の空気が暴風に巻き込まれる。
比喩するべき空気の根源は肌に刺さる”怒り”の感情、そのものだった。
「この…糞狸ィ!よくも我が城で、この椿の間でそのような下賤な提案をできたものよ!正気なのか?!」
「そうカッカするな、女狐よ…よもや顔色を伺う手間もお前を敬う事もせずに済むということだけ。貴様も女。老いても母、そうであろう?」
「何が言いたい…」
「はて…イブキ嬢は、今頃水仕事に専念している頃かな?」
ゆらりと馬吉良の背後で小さな影が揺れた。
薄灰色の陰からともに出てきたのはのっぺりしたしたり顔を晒した侍女の姿。
その幽霊を思わせる恐ろしい立ち姿に「まさか」と椿は息を吐きだした。
荒れた天気も気付けば温度は下がるばかり。
外の空気は相変わらずにぎやかで春麗らかな舞が似合う中、双方の温度差は違いすぎていた。
ぐしゃりと椿の黒髪が崩れる。
「市民の英雄、愛娘、生きる希望。そのイブキが男だと知れたら、この国はどうなってしまうのか」
「なぜ、なぜ…」
「なぁに、私だって鬼ではない!私の要望を聞いてくれさえすれば、イブキ嬢には手出しはさせん。そうさなぁ、俺の国へ配下に下る意思表示としてまずは俺の靴を舐めて綺麗にしてくれまいか」
椿殿。そう言って言葉の泥団子を椿の頭にぶつけられていく。
ぐらん、と視界が揺れ見事な化粧と黒髪がどんどん泥に汚されていく。
目も当てられないほどに、心が衰弱していった。
先程との威勢の変わり様に、知られてしまった恐怖と身内に裏切られた失望感に椿は言葉を忘れ寒さに身を震わせた。
蜘蛛の糸も存在しない、椿にはそうするしかなかった。
母が、故に。
「それでこそ椿殿、ういやつよのう」
崩落の合図
(枯れるときは、頭ごと)
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