地平線の彼方

カゲトモ

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「こんばんは」

「おや、丸井さん。お元気にされていましたか?」

「元気元気。けど何かと忙しくて、なかなか伺うことが出来なくて」

「ふふふ、とてもお忙しいと聞いていますよ。凄く美味しいと評判ですし」

 綺麗にそろえられたアゴヒゲがトレードマークの丸井さんは、同じ商店街でカフェを営んでいる。そのカフェはホットサンドがとにかく美味しくて、いつも店には行列が出来ている。アボカドと海老のホットサンドは丸井さん以上に美味しいものを食べたことがないくらいだ。あぁ久しぶりに食べたい。

「とてもありがたいです。最近はSNSで見掛けて来店してくださる方も多いですし」

「口コミの影響力は凄いですね」

 今どき流行のフォトジェニックな店内と、ボリューミーなホットサンドはSNSで投稿されやすいのだろう。俺の店はそういうのじゃないからちょっとだけ羨ましい。客層も違うから仕方ないのかもしれないけど。

「ラム・コリンズでお願いします」

「かしこまりました」

 ライムとレモンでさっぱりとした飲み口のラム・コリンズは、爽やかな笑顔の丸井さんに良く似合う。

「最近、どうですか? 奥様とは」

「ふふ、訊きます?」

「訊いちゃいます」

 丸井さんは結婚して一年ちょっとの新婚さんだ。結婚前に一度だけ一緒に来店してくれたけど、奥さんは小柄でハツラツとしていて笑顔がチャーミングな人だった。

「この間一周年記念で旅行に行きまして」

「ほう、それは羨ましい」

 旅行も、新婚生活も。楽しそうだ。

「そんな良いところじゃないんですよ? 海外じゃなくて国内だし」

「海外が良いという訳ではないじゃないですか。私は温泉とか大好きですけど」

「わぁうちの奥さんと一緒だ」

 そう言って丸井さんが見せてくれたのはまるで海と湯船が繋がって見える、インフィニティバスなるものだった。なにそれ、めちゃくちゃ羨ましい。俺も行きたい・・・!

「いいですねぇ、ついつい長湯しちゃいそうですね」

「はは、その通りです。奥さんは入り過ぎてのぼせてましたよ」

「それはそれは」

「ここの旅館、実は大浴場も凄く人気だったんで入れなかったのはちょっと残念なんですけどね」

「奥様もお入りには?」

「僕の事を気遣ってくれたみたいで。だから部屋だけのじゃなくて家族風呂にも入りましたよ」

 スライドさせた画面には、まるで岩場にある秘湯のように作られた浴室が映っていた。きっと風呂に凝っている旅館なのだろう。これは大浴場も良かったに違いない。残念。

 彼が大浴場に入らないのには理由がある。丸井さんは元女性だから。性同一性障害で今は身体も戸籍も完全に男だけど、抵抗がない訳ではないのだろう。

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