間章XXXⅢ<黒剱士>

 闇に溶ける九朗。


 何処とも知れぬ森に飲まれた廃墟の只中で、疾走する二つの魔力塊を九朗の知覚は捉えていた。恐らく、いや確実に、この三人の戦闘を通常の人間の知覚能力で把握することは不可能だ。物理的な制約は、この者らにとって微塵も意に介させる必要がないのだから。


 影を渡り、闇を泳ぎ、廃墟の中を移動する九朗。それはまるで、漆黒の豹が駆け回るさまを髣髴とさせる。


 艶かしい唇を翻し、アリシアの言霊が呪を紡ぐ。本来、この世界においては存在しえぬ魔術法則によって練られた、指向性の地霊束縛。


 九朗が今しがた潜り込んだ影が広がる石畳を直下から突き上げるように、びっしりと苔の覆い尽くした石材を弾き飛ばしながら数条の岩が切っ先を上に向けて突出する。


 その先には九朗は捕らえられてはおらぬ。いや、それ自体に攻撃意図はなかった。


 異なる言霊がさらに呪を練る。岩槍によって行動範囲を限定された方向に、二条の雷光が直撃する。


 九朗の移動速度は、アリシアの夜魔族の視力やエフィリムの魔力探知呪紋の付加強化された視力をもってしても、捕捉は困難であった。


 それならば、手段は一つ。予測できないのであれば、追い込めばいい。


 その戦略は功を奏した。


 九朗は雷撃を浴びるよりも早く、黒いコートを腕の一閃で打ち振るい、降り注ぐ雷光を受け流した。曳光が大きく軌道を逸らされることにより、図らずも九朗は実体化を果たす。


 その隙を二人は見逃さぬ。


 まだ網膜に雷撃の残像が残る速度で、九朗に向けて投擲用の短刀が三本、飛んだ。初速においてすら、人の筋組織が断裂を起こすほどの膂力をもって投じられたそれ。直撃を受ければ、貫通のみならず周辺の器官ごと、ごっそりと四散するような、凶悪な銃弾にも匹敵するそれを、九朗は弾丸によって打ち落とした。


 否、魔力のこめられていない、純粋物質の短刀を、銃に重ねた魔力を帯びた弾丸で打ち砕いたのだ。


 きらきらと光を受けてダイヤモンドダストのように散っていく金属片を垣間見ながら、九朗はずるりと半身を浸していた影から躍り出る。そのまま凶鳥のように裾を翻し、頭上へと大きく跳躍する九朗に追いすがるようにアリシアもまた、姿を現した。


 構えた魔銃をそのままに、九朗は冷静にエフィリムの眉間に照準をポイント。


<穢れた聖櫃に刻め焔の契印、其は産み落とさん煉獄の獣>


 言霊を魔銃に封入した刹那、九朗の全身を無数の針が突き通したかのような殺気を感じる。


 殺気の方向は自分の真横。


「それがお前の弱点ね、壬生九朗」


 アリシアであった。


 こちらに向けた掌に光が生まれる。


 魔術の連唱は、いかに手練れの魔術師といえど困難を極める。加えて、属性の違う精霊魔術であるならば、それぞれの精霊との契約を同時並行して支配し続けなければならぬ。


 だがそれも、夜を支配する魔族故、か。


 九朗の武器は銃。


 それが如何なる力を持つとはいえ、銃は銃だ。一方向への圧倒的な支配力と牽制力はあるものの、双方向からの同時攻撃に対し、身を護るには不利すぎる。


 敢えてエフィリムを陽動に使うことで、アリシアは九朗相手にその図式を作り出して見せたのだ。


 その戦略が、九朗に通用するかどうか。


 それは神のみぞ知る、戦いの運命。闇の魔術師と夜魔族との戦いに、神が御力を投げかけるとすれば、であるが。




 雷撃は容赦なくその牙と顎を九朗の肩口に突きたてた。まるで獲物の息の根を止めようとするかのように、肉食獣を思わせる動きで毒蛇を模した形状の雷撃が九朗の皮膚を破り、肉を焦がし、骨を砕く。


 コートの生地を四散させ、九朗の左腕が捥ぎ取られる。


 あっけないほどに魔術の直撃を許した九朗に半ば驚きの表情を浮かべるアリシアではあったが、緊張は解かぬ。


 視線をアリシアに向けることもせず、九朗は魔銃のトリガーを引き絞った。銃口から放出したのは、弾丸ではなく焔の奔流。五つの火箭をもって迎え撃つ炎をエフィリムは水の精霊力を喚起して生み出した防禦膜で遮断する。


 単に直接前面から受け止めたのであれば、恐らくはエフィリムの魔力を瞬間的にではあれ、九朗は凌駕することが出来ただろう。


 しかしエフィリムは防禦を二重にしていたのだ。一枚は炎と自分の間、そしてもう一枚は炎を二分するような中心点。


 炎の魔力を二分することで、エフィリムは完璧な防禦を現実のものとしていた。


 ちっと舌打ちをする九朗の視界の隅で、影が歪んだ。


 それは今しがた、雷撃によって捥がれた自分の腕。それが形状を失し、殺意のみによって象られたような顎を異常に発達させた異形の獣となってアリシアに向かう。


「二人で来れば、恐らくは勝てると踏んだのだろうが」


 金属的な咆哮と共にアリシアに向かう、異形の獣を確認すると、九朗はまだ炎の残滓も消えやらぬ中へやおら右手を伸ばした。


 その行動は、完全にエフィリムの虚を突いていた。むんずと顔面を掴むと、そのまま手心を加えぬ握力で頭蓋を締め上げる。鋼鉄製の扉ですら、数発の拳打で打ち破る九朗の膂力を前にして、人の頭蓋など熟れた果実のように儚く握りつぶされるだろう。


「甘い」


 だが、九朗がエフィリムの頭を握り潰すことはできなかった。


 異形の獣を屠り去ったアリシアが、何と己の肉体から迸る黒い血を凝固させた呪わしき大剱によって九朗の背から胸を貫いたせいであった。


 それでも九朗はエフィリムを眼下へと投ずる。受身など取れぬ力をもって大地に叩きつけられたエフィリムは、苔むした東屋の天蓋を砕かせつつ粉塵の中に姿を消す。空いた右手で胸から突出した黒い切っ先を掴むと、指はずるりと剱の内側に食い込んだ。


 潰されるのではない。同じ闇の眷属同士、アリシアの血剱を再支配しようというのだ。


 そこから幾許かの魔力を抽出し、切っ先部分を抉り取った九朗はその飛沫で暗赤色の短刀を生成し、それをエフィリムの落下地点へと投げつけた。


「逃げなさいッ!」


 このままではエフィリムが殺されると直感したのか、アリシアは剱を放棄してエフィリムがいるであろう箇所へ、異界へと戻す空間歪曲を開く。


 渦を巻く砂煙がその中に吸い込まれていき、数秒にも満たぬ間に崩壊された東屋を残して視界が明瞭になる。


 着地をしていた九朗は、放棄された血剱を投げ捨てると、まだ再生が終了していない左の肩口に無造作に指を突き立てる。


 傷口をさらに抉り、そして九朗の意志にも導かれて盛大に噴出す黒い鮮血。それは一滴たりとも地に落ちることはなく、全てが九朗の右手に集中していく。


「貴様を滅するには、それ相応の力でしてやろう」


 既に九朗の手の中には魔銃はない。


 尖塔のような石組みの上に降り立ったアリシアは、見た。


 九朗の手に生まれつつあるのは、己の生み出した血剱よりもさらに巨大で、禍々しい形状をしたものだった。

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