第三十三章第三節<霊脈転移計画>

 ほどなく、傷を負ったユリシーズを抱えた一行は、同じ廃墟の中でも比較的破壊を免れている一角に腰を下ろした。


 かつては酒場のような場所であったのだろう。一際大きな建物に設けられたいくつかの入り口をくぐると、その先は大きな広場になっていた。さらにその奥には寝泊りをするには十分な程の広さを持つ部屋がいくつも並んでおり、その中の一つの部屋を選んだのであった。


 同様の部屋は二階にも続いているようであったが、階段は途中で崩れている上に、基礎部分にもかなりの損傷が見られるために、二階に行くことは断念したのだ。


 しかし、ベッドなどという便利な代物があるはずもなく、かろうじていくつかの部屋からかき集めてきた襤褸布を毛布代わりに床に敷き、その上にユリシーズを寝かせている状態だ。


 ユリシーズの体を寝かせ、呼吸を楽にするためにネクタイとベルトを緩めた光照がまず見抜いたことは、目立った外傷がないということであった。


 それなのに、唇を割って鮮血が滴っている。仰向けにすれば、知らずのうちに気管が喀血によって詰まってしまうであろうことを恐れ、横向きで寝かされることになった。


 それでもまだ懐疑心を捨てきれぬ光照を前にして、宝慈はすぐに瞑想からの癒しの術を施した。


 結印し、薬師如来法を授け、種字を観想によってユリシーズに刻む。


 それだけの施術で、吐血はあっさりと止まっていた。


 憮然とする舞を前にして、光照が何かを言いかけたとき。


 微かなうめき声と共に、ユリシーズの瞼が開いた。





 意識を取り戻したユリシーズは、ひとまず三人に礼を述べた。


 その態度は驚くほどに殊勝であり、また礼を失してはいなかった。そして、宝慈から向けられた、日本の霊的侵略の目的に対し、ユリシーズは驚愕すべき一言を口にした。


 曰く、「霊脈転移計画」。


 



「詳しく聞かせろ」


 切迫した口調の光照に、ユリシーズは首肯し、言葉を続けた。


 事の発端は、十八世紀後半に英吉利で起こった産業革命であった。十七世紀以降、仏蘭西や和蘭との戦乱で海上権益の掌握、そして国内の毛織物工業を中心とした、工場制手工業の発達による、莫大な富の蓄積。また、農業革命や囲い込み政策によって豊富な労働力が確保されたことを背景に、それは成されることとなった。


 それまでの産業のあり方を一変させるほどの動きに、当初はあらゆる手段で国外への技術拡散を防ごうとしていた英吉利も、ついにはその封鎖を緩めずにはいられなかった。


 ナポレオン戦争終結後、西欧において拡大していった産業革命は、しかし無償で人類にもたらされた奇跡の果実などではなかった。飛躍的な生産能力の増大は、全能の主の手から零れたマナなどではなく、それ相応の原料を必要とした。


「それが、今回の計画の発端だったのさ」


 それまでの原料消費速度を越える急成長に、人と自然の均衡は完全に崩れた。供給に促されるように異常な速度で増大した需要にさらに過度に応えるべく、ただひたすらに原料調達の効率だけを考えた、自然からの搾取を開始。


 それは生態系の破壊に留まらず、自然という霊力の源を破壊することにも直結していた。急速に失われていく自然と霊力を前にして、魔術師たちの時間感覚はあまりに遅すぎた。


 いや、人間が手に入れた産業革命こそが、衰弱への契機であったのかも知れぬ。


 ともかく、魔術師たちが警鐘に気づいた時には、既に産業に携わる者たちは物言わぬ自然を我が物顔で踏み躙っていた。


 打つ手立ては、何もなかった。数千年の間、優しき均衡を保ち続けていた地母神は、その力を奪われたかに見えた。


 否、そうではなかった。神の名を冠するものは、それほどまでに脆弱ではなかった。


 神はただ、我等人々に、背を向けただけであったのだ。




 話をただ静かに聴いていた舞は、微かに唇を噛んだ。


 日本においても起きたことが、他の国でも起きている。いや、産業革命の波はまだ、日本を包んではいない。それが日本にもたらされたとき、民はどのような顔をするだろうか。


 その答えはもう分かっている。


 人はそこまで強い存在ではない。河は塞き止められ、竜神はその勢いを殺される。山は切り崩され、霊気は乱れ散っていく。大樹は倒され、刻まれ、数々の妖は姿を消していくだろう。


 ぐっと拳を握る指に力をこめ、舞は瞼を閉じる。


「そんなとき、西欧の魔術結社に一つの情報が流れた」


 極東の地に、霊力の源泉あり。我に賛同せし者は、我と共に来よ。


 差出人は、商社の女社長ということもあり、最初はその書簡に見向きもしない者が大多数であった。


 しかしその四年後、彼らは戦慄することとなる。彼女はアメリカ合衆国のペリー提督の艦隊に同席し、日本に開国を迫る立役者に名を連ねたのである。さらに日本の高位呪術師を呪殺した幻視を、それぞれの結社の団員が透視していたのである。


 確証を得た結社は、団内の実力者をそれぞれ派遣することを決意した。


 既に志は違えど、各結社内には共通した見解があった。このまま手をこまねいていれば、いずれ精霊魔術は潰える運命にある。


 それならば、まずは霊力の再装填を目指さねばならぬだろう。


 こうして、日本を標的にした一大呪術策略は動き出したのだ。




「もう、これ以上は話さなくても分かるだろう?」


「日本の霊力を奪い、自国の霊的環境を整える……しかし、どうやって転移させるんだ?」


「この国の霊気を司る寺院を破壊し、流れをこちらで整えた上で持ち帰る……霊脈そのものを直結させるのだ。日本の皇城と……巴里の凱旋門をな」


 歴史上の英雄を迎えたあの壮麗な門を霊気の門とする。


 計画は壮大ではあったが、勝ち目はあるように見えた。


 そう、「見えた」だけであったのだ。


「アリシア様は、これは推測だが……目的は別にあったのさ。途中で計画は焦点を失い、そして我らは気づきながらも忠言することができなかった」


 霊力源泉の奪取から、帝都の破壊へ。


 目的と手段が混同していきながら、それを止め立てすることができなかったのだ。如何に題目だけを唱えていても、行っている活動は、目的を逸脱していったのだ。




「どうして、素直に話す気になったのだ?」


 壁にもたれるようにして聞いていた舞に、ユリシーズは顔を向けた。


 魔術の心得がある以上は、舞が人外の存在であることには気づいていよう。しかし鬼姫を前にして、ユリシーズは眉一つ変えなかった。

「既に一度は諦めた命だ……あなたたちに救われたのならば、あなたたちに預けようって思ったのさ」

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