第二章第四節<Reason in the heart>

 途中、ラーシェンは夢うつつのまま、目を覚ました。恐らく、自分の躰すら目覚めぬような、深い眠り。


 だが意識の端で、メイフィルの容態を気遣い、顔を僅かに動かしたのが限界であった。眠りに落ちる前と変わらず、自分の外套の下で眠り続けているメイフィルを視界に納め、急速に意識が再度眠りに落ちていく。


 ここまで運ぶ途中に、メイフィルの命の危険はないと判断している。ラーシェンの視界は、いつしか心地よい温もりで満たされた、暗黒へと導かれ。


 次に目覚めたときは、最初に目を閉じてから優に六時間が経過していた。先刻のような微睡の揺らぎに満ちた目覚めではなく、しっかりとした覚醒であった。二、三度瞬きをして意識をはっきりさせると、ラーシェンはメイフィルの名を呼んだ。


 返事はない。一度確認をしようと、こちらに背中を向けて眠るメイフィルの額に手を当てた。


 熱はない。そう考えたとき、メイフィルは僅かに身動ぎし、声を上げた。くるりと向きを変え、見上げるメイフィルと目が合った。


「あ……」


「痛いところはないか」


 明らかに、現状を認識できていないメイフィルは、躰を起こすと、周囲をまだ覚め切らない視線で見回す。


「私……助けて、くれたの?」


「どうして、あんなところにいたんだ」


 いつにない厳しい口調のラーシェンに、小さな声で言い難そうに、メイフィルは話し始める。


「あのね、あなたを追いかけて……途中までは来られたんだけど、道に迷って……そしたら、いきなり男の人と妖魔が出てきて、私を助けてくれた人が銃を……」


 ということは、あの男はメイフィルを庇って殺されたというのだろうか。あの位置であれば、岩の下にでも屈みこまない限り、メイフィルを見つけることは難しい。ごろつきのような男にも、女子どもを助けるだけの男気はあったということか。


 だが、それが分かったところで疑問は残る。


「メイ、俺を追ってきたのはどうしてだ」


「あ、そうだ……」


 メイフィルは自分の上着のポケットを探ると、黒い何かの部品を取り出した。


「はい、私の特別製だよ」


「なんだこれは……」


 掌にすっぽりと収まるサイズの部品であった。端に金属が露出した部分があり、それでかろうじて何かの機材だということがわかる。


「VAの充電式バッテリー。メインバッテリーがなくなっても、フル駆動で70時間は保つようになってるから。こっちはチャージする時のケーブルね」


 確かにラーシェンはVAのチューンナップを依頼した。


 だがそれは、現在の装備における補給であり、一度見ただけの機種に対応したオリジナルの周辺機器をこの速度で作ることができるとは、恐らくは都市部の機械技師でもそうはいるまい。いたとして、法外な料金を取られることは予想に難くないはずだ。


「メイ、本当の理由は何だ」


 バッテリーを握ったまま、ラーシェンは重ねて質問した。答えによっては、このバッテリーをつき返し、村まで送り返そうかとも思っていた。


 じっと正面から瞳を覗き込まれて問い詰められ、メイフィルは意を決したように顔を上げた。


「一緒に連れてって欲しいんだ」


 たっぷり一呼吸分の沈黙を置いて、ラーシェンは呟いた。


「馬鹿を言うな」


 さっきも、殺されかけたばかりだというのに。辺境に生きる者でありながら、この小娘は辺境という場所がどんなに危険であるのかを、まだ知らないのだ。


「お願い、私」


「旅をするってことはな、子どもが枕元で聞いてるような子守話とは訳が違うんだ」


 すがるような視線で見つめてくるメイフィルから視線を外し、ラーシェンは誰にともなく呟く。


 だがその言葉はあまりに小さく、メイフィルの耳には届かなかった。


「それでも」


「帰れ」


 視線を伏せ、それ以上の言葉を拒絶するような姿勢で、ラーシェンは低く命じた。


「村までは送ってやる。そうしたら、もう馬鹿なことは考えるな」


「……あたしね、あの村の人間じゃないの」


 ややあって、メイフィルが沈んだ声で語りだした。


「ショップのオヤジや酒場の男どもから聞いた話なんだけどね。私は行商人の隊の生き残りなんだって。村はずれで妖魔に襲われているところを、あの村の人に助けられて……生き残ったのは、私一人だけ、なんだって」


 定住していては生計が立てられず、やむなく行商をする者が辺境で魔物に襲われる。それ自体はよくある話だ。


 だが、どうして村人は娘を助けた。あのような寒村では、自分たちが生きていくだけで精一杯のはずだ。その上、厄介ごとを自分から抱え込むような真似をしていては、自分の首を絞める結果にもなりかねない。


 即ち、助ける理由など、何処にもありはしないのだ。


 しかしメイフィルの視線には、嘘をついている様子はない。恐らくは、本当に村人からそう聞かされていたのだろうか。


「だから、どうした」


「自分の家族を、探したいんです」


 情けないくらいに、身勝手な理由だ。交渉ですらない、自己主張。


「ラーシェン」


「お前、さっきの奴を見ただろう」


 お前を庇って殺された、あの村人を。あれだって、決して弱い男ではなかった。恐らくは人間相手なら、屈強な男を前にしても引かず怯まぬだけの胆力を持っていた男であったろう。


 それですら、妖魔に太刀打ちが出来ぬのだ。


「お願いです」


 繰り返される言葉。切り札も持たず、ただ言葉を繰り返すことしか出来ぬ、非力な存在。しかしその指先は、しっかりと自分の外套の裾を握って離さないのだ。指を弾き、背を向けて歩き出すことは容易だ。


 だが、それをすれば、俺は。


「寝ろ」


 ラーシェンはVAのディスプレイを覗き込む。結界の強度は依然として変わらない。


 周囲に妖魔が接近している気配はない。


「お願いです」


 寝ている間に、ラーシェンが自分を置いて行ってしまうのではないかという不安が、メイフィルを駆り立てる。まるで魂の奥底までを見透かすような真摯な眼差しに、ラーシェンは低く、呟いた。


「一眠りしたら出発する……体力を快復させておけ」

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