第二章第一節<Schwert Meister>

 ぐっと包帯を引く手に力を込めると、打撲を締め上げられたラーシェンがうめき声を上げて抗議する。


「あ、ごめん」


 謝りつつも、メイフィルは慣れた手つきで包帯を縛り上げ、患部に当てた消炎剤を染み込ませた布が動かないように固定した。


 ラーシェンはその様子を、まるで初めて見るかのように物珍しそうな視線で眺めている。小さな結び目をつくり、ぽんっと肩を叩くメイフィルは、ラーシェンの視線に気づく。


「応急処置のフィルムを貼るのが一般的なんだろうけど……実はこっちのほうが治りは早いのよ?」


 刺激臭を放つ軟膏の入った瓶に蓋をすると、メイフィルは笑顔で答えた。


 それは、ラーシェンが初めて受けた治療法であったからだ。応急処置でなくとも、ラーシェンは大概の傷の手当てにはフィルムと呼ばれる極薄の透明な人口皮膚を貼付する方法を取っていた。消炎、鎮痛、新陳代謝を活発にする薬剤が塗られたフィルムを傷口に貼ることによって、ほとんどの傷には対処をすることができたからだ。薬剤が皮膚から浸透して患部を癒し、また裂傷などの場合も傷口をぴったりと合わせたまま固定するので、癒着も早い。加えて皮膚呼吸を妨げにくい、通気性に優れた材質を使用することにより、フィルムによる治療は広範にわたって有効であるとされた。肉体の切断や、広範囲にわたる擦過傷、火傷の類にはフィルムによる治療は使えないが、そこまでの傷であれば逆に早急な処置でなければ対応は難しい。


 柔らかい布に薬剤を塗布し、それを患部に当てて包帯を巻くなどといった前時代的な治療法がラーシェンの目に奇異に映るのは、仕方のないことであった。


「いいわよ、もう」


 ラーシェンは傍らの椅子の背にかけられたシャツを取り、袖を通す。たったそれだけの動作にも、ラーシェンの躰を覆う筋肉は忠実に動く。


 筋肉によって、人間はあらゆる動作を行う。それは考えてみれば当然のことなのだが、殊にラーシェンのように鍛え抜かれた肉体を持つ者を見ると、その事実に改めて気づかされる。


 組まれた指のように、薄い皮膚の下でうねる筋肉の繊維。互いに絡み合い、力強く骨格を覆うそれは、まさしく日々の激しい生活を物語っていた。


 同時に、皮膚に刻まれた大小の傷跡が、その予想を裏付ける。ラーシェンの胴には、メイフィルの手によって幾重にも包帯が巻かれていた。特に右脇腹の打撲が酷く、骨に異状はないものの、内出血と筋肉の炎症を起こしていたための処置であった。


 黒いシャツのボタンをはめながら、ラーシェンはメイフィルの対応が至極自然であることに気づいていた。


 年頃の少女であれば、肌を露にした男を相手にすればどうだろうか。メイフィルの反応には不自然にぎこちないところはなかった。


 だがそれが逆に、不自然だったのだ。そこまで考えて、ラーシェンは先刻の酒場でのマスターの言葉を思い出す。男よりも機械を相手に、ということは、この村で色恋沙汰になるような関係を持っていない、ということだろうか。


「ありがとう、メイフィル」


「メイでいいわよ」


 治療箱を棚に戻し、メイフィルは笑顔で答えた。


「おい」


 それまで黙っていた店主が口を挟んだのは、ラーシェンが店に運ばれてきてから初めてのことだった。


「治療が済んだら、金を払ってとっとと出て行け」


「ちょっと、うるさいなぁもう」


 あからさまに不機嫌な表情を浮かべながら、メイフィルはいつもああなのよ、と苦笑してみせる。


「さっきは邪魔が入って中断されちゃったけど……ちょっと聞いてもいい?」


「答えられることならな」


 ラーシェンは外套と武器を合わせて掴み、手元に引き寄せる。外套から覗いた黒く細い鞘に、メイフィルは指差してみせる。


「それよ、さっき詰め所での会話、聞いたんだけど……Schwert Meisterシュベールト・マイスターって、なに?」


 ラーシェンは手元の黒い鞘を見つめ、そして僅かに肩をすくめると、諦めたように口を開いた。


「治療の礼に教えてやるか」


 ラーシェンは外套に包まれた鞘を、ゆっくりとメイフィルの目の前で露にした。質の悪い、緑色に明滅する照明に反射して、その鞘は幻想的な光沢を放っていた。


「触るなよ……こいつは、信じられないかもしれないが、生きている」


「生きて……るの?」


「ああ」


 くるりと手首を返し、ラーシェンは鞘の裏側を見せた。黒一色かと思われていたそこには、金色の彫刻があった。


 いや、それは彫刻ではない。表面は完璧なまでに均一の曲線を保った形状であり、紋様があるにもかかわらず、曲線に歪みはなかった。紋様は幾何学的なものではなく、煙のような雲に乗った一人の杖を持った老人が、空を飛んでいる様子を描いたものであった。


「Schwert Meisterは、太刀という特殊な武器を扱うための訓練を受ける。その能力のない者が太刀に触れれば、その者は魂を食い尽くされると言われている」


 薄闇の中、厳かに語るラーシェンは、ひどく小屋とは不釣合いな存在に思えた。


 対峙するメイフィルの傍らには、使いこまれたコンピュータが二台とキーボードが四つ、折り重なるようにして乱雑に置かれている。床には太い配線がのたうつように広げられており、緑色の照明が届かない領域まで、傍目にはどのような用途を持つ機械なのか判別できないほどの機材が、所狭しと積み上げられているのだから。こんな辺境の村のジャンクショップで聞く話としては、それはいささか不似合いであった。


 だが、目の前の少女は、真剱な面持ちでじっとラーシェンの瞳を見つめていた。深く黒い瞳孔に、部屋の隅で不規則に明滅する照明の光が反射している。


「それが、ラーシェンなんだ」


「そうだ」


 そこまで話してから、ラーシェンはまた元の通りに太刀を外套でくるんだ。


「少なくとも、俺は本当に太刀が魂を食うのかどうかはわからないし、見たこともない。だけどな、実際に俺はSchwert Meisterだし、その技術は現実だ、とすれば、触ってはいけないって掟も、実はそうなんじゃないかって思ってるからな」


「……成る程ね」


 メイフィルは短く頷くと、首を回す。


「だから、酒場で」


「悪かったな、大声出して」


「おい!!」


 二人の言葉を遮るようにして、店主が二度目の言葉を挟んだ。


「何よ!!」


 店主の言い分は予想がつく。それを察しての行動か、ラーシェンは立ち上がると腰に太刀を括りつける。


「気にしないで、いっつも酒飲んで酔っ払ってんだから」


「いや、そろそろ行くよ」


 ばさりと外套を羽織ると、ラーシェンは口元を切っている以外は、最初に会ったときと同じ姿となった。


「代金は幾らだ」


「3000でいいわ」


 ラーシェンは懐に手を入れると、じゃらりと金属片を掴んだ。


「キャッシュでいいな」


 こうした辺境においては、通貨よりも希少金属による物々交換が一般的であった。ネットワークで接続された大きな都市でしか使えない通貨<クレジット>と区別されて呼ばれる<キャッシュ>とは、そうした希少金属を貨幣の代用として支払うことを意味していた。


「相場は詳しくは知らないが……こんなところか?」


 メイフィルの掌に数個の溶解した金属片を落とす。黙って指を握り込んだということは、それでいいという承諾の合図か。


 だがラーシェンは、メイフィルの指を開くと銀色に光る金属片を一つ、追加で落とした。


「特製のチューンナップの代金だ、受け取ってくれ」


「これ、何?」


 メイフィルは見たこともない銀色の金属を指で摘み、光に当ててみる。


「一種の希少金属だ。その塊で4000キャッシュ前後にはなる」


「ちょっ……そんなに受け取れないわよ!?」


 総額の言い値をも上回る価格を出されて、狼狽するメイフィル。ぎしりと床板を軋ませながら戸を開け、店の奥からカウンターの前へと回り込むラーシェンは、だが足を止めない。


「それとも、世間を知らないお前を、適当なことを言って俺が騙しているのかも、な?」


 背を向けたまま、指を広げて振ってみせる。


「世話になったな、恩に着るよ」


 メイフィルの声が聞こえたが、ラーシェンは足を止めることなく、店をあとにした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る