第一章第三節<Bloody Traveller>

 アレンの導きで、酒場にいた男たちは村はずれの峠へと向かった。


 この村は窪地にあり、村へと続く道は少し小高い丘を上らなければならない。しかし、南へと続く河川がすぐ近くを通っているために、その周囲の斜面を畑として、彼らは生計を立てていたのだ。


 男たちは手に手に松明を持ち、峠へと続く道を上り始めた。


 酒場から一度自宅へと戻り、しっかりと戸締りをするように妻に言い残していた者も途中ですぐに合流し、そして十数人からなる一団は冷え込む夜気の中を、真っ暗な森の間を突き抜ける道を黙々と登った。


 その一行の中に、アウレティカの姿もあった。


 薄い唇の間から吐き出される呼気は、白く濁った。肌を刺すように感じる冷気は、歩を進めるごとに次第に強くなっていく。


 それは錯覚でもあり、また現実でもあった。


 村の中から、人気の無い外に出たことに加え、酒場の人いきれの中にいた躰の火照りが急速に冷やされ、アウレティカの肌はより一層、寒さを感じ始めていた。踏みならされた道を歩きながら空を仰げば、凍てつくような空気のせいで夜の空は恐ろしいまでに澄んでいた。


 恐らく、男たちの松明の光がなければ、もっと多くの星が見られたことだろう。ともすれば、見上げることで己の安定を見失いがちになりかねぬその壮観は、今は黒く生い茂り、頭上で折り重なる葉に遮られ、時折冷たい光を瞬くように見ることが出来るだけであった。


 程なく、アレンの足がふと速まり、半ば駆け出しながら男たちを導いた。


 それは、村からちょうど弧を描くように上る道の途中であった。その場所からなら、村の全景を見ることもできる、高台にあった。用事があって村から離れていた者がそこまで差し掛かれば、自分の馴染みのある村の全容を見渡すことの出来る、格好の場所でもあった。


 だが無論、アレンの指し示しているのは、村が見えるほうではない。そこから少し道を外れた、茂みの中にアレンは入っていく。


 続く男たちは、そのとき既に異変に気づいていた。


 空気の中に混じる、その臭い。寒さのあまり、鼻が半ば麻痺しかけていたが、生活を守るという緊張感からか、誰もがその臭いに気づいていた。


 血の臭いだ。吸い込んだだけで、喉の奥にねっとりと絡みつくように感じる、あの独特の臭気だ。


 下生えを踏み分け、そしてアレンの持つ松明の光に照らされた、一本の巨木の下に視線を向けたとき、一行は誰もが息を呑んだ。


 アレンの言葉に偽りは無く、そこには一人の男が倒れていた。僅かに俯いたまま、四肢を投げ出すように木の幹に上体をもたれさせながら座っているようにも見える。


 だが男の全身は、夥しい量の血糊で真紅に染め上げられていたのだ。男たちの感じた臭気も、ここから立ち上っているものであった。


 普段から、荒れ事には慣れているはずの者も、思わず顔をしかめ、半歩後退るほど、それは酸鼻を極めていた。


 右手から少し離れたところには、男のものであろう長剱が転がっていた。恐らくは何かに襲われ、そして応戦するも虚しく殺されてしまったのであろう。頭髪も固まりかけた血に染まり、顔の造作も分からないほどになっている男の亡骸に、村人たちは誰もが不吉なものを感じていた。


 それにはまず、二つの要素があった。


 まず一つは、この男が何のために村の周辺を歩いていたのか、ということであった。


 目的もなく、このような辺鄙な場所をうろついている物好きなどいようはずもなく、そして男の格好と帯剣をしていることからも、男が腕で食い扶持を稼いでいることは一目で知れた。


 男が身に着けているのは、躰の要所をそれぞれベルトで固定する革当てで覆っている、比較的軽装に分類されるものであった。しかし甲冑などは値が張るためにおいそれと手に入るはずも無く、そして旅を続けながらではその重量が命取りにもなることを考えれば、軽装といえど身軽に動け、そして深手を負う危険性を軽減したこうした防具が、旅人や腕に自信のある冒険者などには好まれるようであった。


 つまり、この男が目的としているものが、村の周辺にある可能性が高い。


 次に、男が何者に殺されたのか、ということであった。


 男を殺したのは夜の山をうろつく獰猛な野犬か狼だろうか、それとも同じ人間であろうか。


 人間、ということになれば、話は途端に剣呑な雰囲気を帯び始めてくる。見知らぬ男が村の近隣に足を踏み入れ、そしてその男を殺す相手がいる。一体、自分たちしか人気の無いような村の近辺に、何が隠されているというのか。それにより、自分たちの生活が掻き乱されてしまう心配だってあるのだ。


「一度、寄り合いを開かなきゃいけねえな」


 亡骸を見下ろしながら、一人が呟いた。


「まったく、何だってこんなことに」


 男たちの中でもとりわけ若い者が、悪態を突きながら亡骸を爪先で軽く蹴った。隣にいたエドが、その行為を戒めようとした、ときであった。


 微かではあったが、松明の炎が爆ぜる音と共に、何かが聞こえた。


 息を呑む男たち。だがその中で真っ先に動いたのはアウレティカであった。


「まだ生きてる!」


 アウレティカの言葉に、男たちは騒然となった。


 だがそんな心配などお構いなしに、アウレティカは冷え切った男に近寄ると、肩を掴んで軽く揺する。


 掌にねっとりとした血の感触を感じながら、アウレティカは声をかける。今度は誰もがうめき声を聞いた。それだけでなく、頭が弱々しく左右に振られる。


 生きている、という事態に、男たちはアウレティカほど喜びを露に出来なかった。それによって、厄介ごとがまた一つ、増えたからである。


 生きているということは、このままにしておくということは出来ぬ。では、誰が男を抱え込むのかという問題にぶち当たると、誰もが顔を伏せ、また視線を他の者へと向けた。


 エドは何人かから視線を浴び、そして同じくらいの数だけ視線を向け、大きく溜息を吐いた。


 誰だって、厄介者を背負い込むのはいやなのだ。


 二年前、アウレティカが村に足を踏み入れた時よりも殺伐とした空気が、その場に流れた。


「僕が、面倒を見ます」


 そんな空気を敏感に感じ取ったのか、アウレティカは立ち上がると、松明の光の輪の中で男たちに向き直った。


 意外ともいえるその一言に、男たちは狼狽とも安堵ともつかぬ目を向ける。


「僕はそもそも、この村の人間じゃありません……だけど、そんな僕だって皆さんに助けてもらったんです」


 今度は、僕が誰かを助ける番だ。


 アウレティカの強い意志は、様々な意味で男たちの困惑を鎮めることには成功していた。


 だがこのままでは運搬する道具が無い。


 男たちは、うち何人かが村へと戻り、男一人を運べそうな道具を探し、その間残る者が見張りをする、ということで、さしあたり問題は片付いた。

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