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はとぬこ

第1話




「お婆さんはなんで結婚してないの?」


それは幼い少女のなんてことない疑問だった。遊びざかりの夏休み、蒸し暑いなか縁側へ招いてくれたお隣の家のお婆さんの側に座って少女は足をぶらぶらと動かす。


「…なんでかしらねえ」


特有のしゃがれた優しい声がぽつりと落ちる。


「友達は皆“こい”すると、幸せな気持ちになるっていうんだよ」


「あら、おませさん。

ちいちゃんはまだ“こい”してないの?」


「…私は、これからするんだもん。」


そう言いながら手に持っていたジュースを勢いよくストローで飲んでいく。頬を膨らませ、ちょっぴり意地をはった台詞は少女の飲み干したそれと共に胸の奥に沈んでいった。お婆さんはふふ、と笑みをこぼしながら新しいジュースと氷をコップに注いでいく。


照りつける日差しと生ぬるい風、沢山の宿題は嫌になるけれど、みんなが言う“こい”に憧れてしまう真夏。私も“こい”をしてみたいな、なんて少女は思ってまたジュースを手に取った。


「お婆さんはね、温かい夢を見てるのよ」


ちりん、と風鈴が響くと同時に再びしゃがれた音がこだまする。


「…ゆめ?」


「そう、何度も見る夢。

幸せそうに笑いあって、また会いに行くからって言われるの。」


目をぱちくりとさせている少女に、微笑みながら大切な宝箱を開けていくように声が続いた。


「だから、ずっと待っているのよ。」


「まだ会いに来てないの?」


「ええ。」


お婆さんは膝の上に置いていた手をぎゅっと握って、空を仰ぐ。それを見て少女はまねをしてみるが、その心情は幼いゆえか読めそうになく、ただじーっと隣を見つめた。


「…でももう、潮時かしらね。」


「しおどき?なんで?」


まだ会えるかもしれないのに、と足をじたばたさせる少女にお菓子をすすめて、お婆さんはよれよれの手をゆっくりと自身の首元にもっていく。


「きっとこの世では会えない運命だったのかしらねえ。」


「え、でも、」


「…お婆さんはね、夢で会えるだけで幸せだったのよ。結婚を考えた人もいたけれど、あの夢がどうしても忘れられなかったの。」


どこか遠くを見つめているお婆さんが、ね、ちいちゃん。と隣に向き直った。


「ちいちゃんにこれ、預かって貰えないかしら」


おずおずと差し出された小さな手に乗せられたそれが少女の瞳にきらきらと輝いて写る。


「…ペンダント?」


「いいえ、ネックレスよ。」


ねっくれす?と首を傾げる少女にお婆さんはうん、と頷いた。


「お話を聞いてくれたちいちゃんに渡したいと思ったの。」


「でも、ママが…」


「大丈夫、ママには秘密にしとけばいいわ。

お婆さんとの不思議なお話も、ちいちゃんの心の中にしまっておいてくれないかな?」


「うん!いいよ、約束する!」


縁側から庭へ立って、さっそく貰ったネックレスを光にあててみせた。幼い少女にはおとぎ話の幻のように映り、うっとりと眺めている。


「ちいちゃんは優しいね」


少女の髪を撫でながら、お婆さんは言った。


「えへへ、そうかなあ」


しわくちゃな手の感触は、気持ちがよくて温かい。




生ぬるい風が少し冷たく感じるくらいになった頃、2人は玄関へ向った。


「ちいちゃん、また元気に遊びにおいでね。」


「うん!」


日が暮れる少し前に、家へと帰る少女の手には大切にネックレスが握られており、お婆さんは幸せそうに微笑んで独り家の中へ入っていった。





***


「…一生に一度くらい、会ってみたいと思ってたのだけどねえ。」



真夏の夜、お婆さんはそう呟いて静かに夢へと沈んでいった。




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