汪溢する言葉

斉賀 朗数

たまとせい

 はあと零細な嬌声を漏らした女、聡慧そうけいとは云えぬ行いと承知しつつも、絢爛豪華な営みの大海より出づる欲望に抗えぬもまた事実。

 男は云った。

「けうで終わりとしやう」

 言霊ことだまなど存在せぬと男は信じ、言霊だけが心の在り処と信奉する女との差違が二人を違わす。

「何故でせう」

 蛍火にも似た光が格子よりそうよそよと畳に舞う様相は、心許ない女の魂に近しい。女の死期は近い。それを介在して懇篤こんとくを得ようと、情同然のそれで飼い慣らすはお門違いと女は心得、粛々と隠匿し男の愛無き情欲の指標と成る。


 男は云った。

「けうで終わりとしやう」

「何故でせう」

 幾度となく反復された言のたまが女の釁隙きんげきにすっぽりと収まろうとも、それが却って二人に釁隙を生じたと云えよう。

 男はひたと、女の前より姿を消す。

「あの方を……」

 声は空を裂き格子よりはじけ外界を揺蕩うなど烏滸がましく、ただ静を囲繞いじょうした匣はたたずみ、女の生が明滅す。

 

 あと一晩も保つまいとする頃合いに、ごっごっと格子を打つ音が、静謐な匣の中でいささか無礼に木霊する。

「終わりにしとおない」

 何時振りかの男の言霊は咆哮へと変容し匣を打ち鳴らすも、いまや女の生は滅する目前の儚き事この上なく意志の疎通すらも叶わぬ始末。

 女は思考す。

 ――よもや言霊を信じやうとも時遅し。あなたの心の陰影に剣呑を残す他ありませぬとわたしは智見しております。故にお帰りください。お帰りください。決して怨嗟えんさ厭悪えんおなどでは御座いません。聡慧とは思えぬ行い、神もとくと照覧しょうらんなされた事と存じます。あなたもわたしも人に在りませぬ。さすればもう、お分かりでしょう。故にお帰りください。お帰りください――

 言の葉と成らずとも言のたまは宿る。

「終わりにしとおない」

 言の魂は男の心の宿り木と化して。

「終わりにしとおない」

 粛々とセイを終える女が残した愛。

「終わりにしとおない」

 女のたまは産声とも嬌声とも思える。

 格子の外の咆哮が、絶え間なく夜霧を攪乱さす世界を錯乱させゆく。いまだ情欲の追求止めぬ男の相貌は獣。

 神もまた照覧せよと詭弁弄し格子を打ち破ると匣は形容を失い、男は亡き女の謦咳けいがいに接する。

 男もまた匣の喪失を観取するが、それがなにになろう。

 宿り木やタマに根付いてセイ結ぶ。

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