とある少年の話

サカサモリ

第1話 家出

『許してください。

しかしそれは今でなくてもいいのです。これからいくらかの時がたち、私のことを貴方が覚えていたのならば、どうか私を許してください。

私は、私が最も愛するべき、唯一の宝物を裏切りました。そんな私を貴方は恨み、憎むでしょう。そうして嫌いになるでしょう。今はそれでもかまいません。

貴方は私を嫌い続け、嫌悪し続け、そうして記憶の隅に私を生かし続けてください』



 夏休み2日目の昼下がり。人通りの少ない無人駅の青いベンチに、一人の少年がちょこんと座っていた。

 少年の足はまだ短く、ベンチに座ると地面に足がつかない。かすかに両足を揺らしながら、少し眠そうな目を前に向けている。

 海が見えるその駅には、時折海風が吹き込んで、磯のかおりが鼻をくすぐる。どこまでもどこまでも青い空が、まるで何かを祝福するように、少年の目の前にのっぺりと広がっていた。海が煌めき、蒼はより青く、上と下から世界を包んでいるようだ。太陽の光が波に反射しているおかげで、世界の境界線がはっきり見える。

 地平線にうっすら見えるあれは島だろうか。

 青々とした世界の中に、ぽつんと一つ緑が浮かんでいる。一人ぼっちのその姿が、どこか自分に重なって、悲しいような、切ないような気にさせた。

世間に疲れた大人がここへ来れば心が癒され、飛ぶことを使命とする海鳥でさえ、その羽を休めるために、屋根にちょこんと腰掛けている。そんなのんびりと時間が流れている平穏極まりないこの場所で、少年は何をするわけでもなく、ただただ海を眺めていた。

 どうして少年がこんな場所に一人でいるのか。それは昨日の話に遡る。


 夏休み初日の夜。夕食のカレーをつつきながら、少年は唐突に告げた。

「僕、明日家出するから。明後日にはかえってくるよ」

 少年は父と二人暮らしで、母は半年前に出ていったきりだ。母がいなくなったのは、無骨で怒りんぼうの父に耐えられなくなったからだ、と親族の噂で聞いた。

 父は少年の言葉を冗談だと思ったらしく「あぁ、それは気を付けて」と言っただけで対して気には留めなかったようだ。それから少年は春の遠足で使ったリュックを引っ張り出して、着替えやら食料やらを詰め、最後に全財産の750円をポケットに入れて、朝早く、家を出たのだった。

 起きた時にはもう、父の姿は見えなかった。

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