第27話「サワドウ・サムを知ってるかい?」

 えーと、それで……何の話ししてましたっけ? 缶詰の製法の、チリーの前。あ、刑事コロンボだ、家のニオイを調べる捜査のところから脱線したんだな。

 ニオイはするけど何のニオイだかわからなくて、どこから臭っているのかもわからない。そんな状態だからどうやって調べたらいいのかもわかりませんし、そもそも人が住んでいる家にはもうそれなりのニオイが発生しています。いわゆる『家のニオイ』って言うやつね。

 だから新築やリフォーム済み物件を買ったお客さんから「何かニオイがするんだけど、どこかに不具合あるんじゃないの?」って苦情が出て、サービスマンや営業担当がすぐ駆けつける。でもヨソの家のニオイがするから何が苦情だかわかりません。

 110番通報があって最寄りの交番からお巡りさんが自転車で来たけど、現場は一見普通で何が起ったのかわからないみたいな状態。それってどんな事件だか知りませんけど。

 一般の警察官じゃなにもわからない状態だと、もう鑑識の出番ですよね。現場を細かく細かく調べ尽くして、髪の毛一本でも不明な金属片でも見つけ出して事件との関連を探る。私がやってるのがちょうどそんな仕事。

 私だって『よそのウチのニオイ』は感知しちゃいますから、最初は何が苦情だかわかりません。だからとにかく観察するんです、微妙なニオイの変化、不自然な変化。空気流とかを全身五感全部使って情報収集する。

 その気になれば、と言うか集中すれば風速計が動かないくらい微かな空気の動きも感知できますよ。温度変化とか、「何となく、こっち側温度低いような感じ」って。

 一度ね、お笑いみたいな現場がありまして……都内の結構なお屋敷で、奥様がどうにも変なニオイがするって管理させてる会社に下水管やら何やら調べさせたけど異常が見つからなくて。最後に私の所に回ってきた。

 時々ふっと臭うって話しだったから、台所の真ん中に座り込んでじーっと観察して。そのうちもの凄く薄い、木材が腐ったような感じのニオイを拾い出しまして。台所って言ったって八畳くらいあるだだっ広いから、散々苦労してとうとう冷蔵庫の付近まで絞り込んで。

 冷蔵庫の上に天井の点検口があるから、あそこから入ってくる空気だろうってことでね。脚立持ってきて登って、点検口開けてふっと下を見たら。冷蔵庫の上にマイタケのパックが放置されてて、腐って半分溶けてる。

 奥さんが何かのはずみでそこに置いて、忘れちゃったらしい。マイタケ捨てたらあっさり解決。腐ったマイタケ見つけるのに延べ五日だか六日、業者6人。費用が全部で二十か三十万は発生したと思います。奥さん恥ずかしかっただろうな……。

 まあそうやって、本来あるはずがない微かなニオイを拾い出して追いかけて突き止めてって仕事で。結構推理や直感が大事なんですよ。最初にキャッチしたニオイのイメージはしっかり記憶しておく。後で検証に使いますから。

 何でマイタケが腐って、木材の腐ったニオイがするかって? 知りませんがな。私が感じたイメージがそれだったんですから。パックのままだったから無酸素状態で発酵したんじゃないですかね? それで普通と違うニオイが発生したとか。

 ええ、放ったらかし発酵ってのも普通にありますよ。蜂蜜なんかそのままじゃ糖が強すぎて殺菌効果で発酵もしませんけど、適当に薄めるとすぐ発酵を始めます。うまくやるとミードって酒ができます。

 ワインだって、発酵させる酵母は親切なことに葡萄の皮にくっついてます。だから皮ごと葡萄を潰せば果汁は勝手に発酵します。

 大麦は水に浸して発芽させると酵素が発生する仕組みになってます、麦の粒を自分で消化して胚芽の栄養素にするためですね。それを人間が利用してビール造った。そう言えばリンゴも皮に酵母がくっついてて、リンゴを皮ごと潰して果汁を取るとやっぱり勝手に発酵します。シードルができちゃう、便利な物ですね。

 昔のアメリカ開拓時代は、リンゴ酒が水代わりだったとか。シードルが水でバーボンが薬で、開拓民が一日に消費していた酒類の量は今のアメリカ人でも3日4日酔いっぱなしになるほどだそうですよ。

 いやホントに。だって小麦粉やライ麦粉を水で溶いて放っておけば発酵が始まるんですよ。『サワドウ』ってパンを膨らませるタネになります。サワーブレッドって、イーストを使わないで作るパンがそれです。

 パンにも基本的な部分で大別されるものがありまして……いやフランスとかイギリスとかじゃなくて。発酵させるかさせないか、発酵を何で行うかって……発酵させないで膨らませるってパンもありますけど。

 発酵させないパンを知らない? いや、みんな普通に食べてますよ。クレープやトルティーヤです。あ、インドのカレーで出る『ナン』はヨーグルトを使って乳酸発酵してます。発酵はしないけど膨らむベーキングパウダーを使ったパンもありますけど。

 いや、ベーキングパウダーとイースト粉は全然違う物です。小麦粉を炭酸水で練って茹でて作るパンもあるくらいで。科学的に炭酸ガスを作って小麦粉の固まりを膨らませる製法です。

 イーストやサワドウは酵母ですから、バイオで水練り小麦粉を膨らませています。だからサワドウは小麦粉やライ麦粉と水があれば作れる自然なモノです。

 ベーキングパウダーは重曹と酸性の添加剤でできているから、水が加わると『重曹+クエン酸』でサイダーができる要領で炭酸ガスが発生するんですね。だからベーキングパウダーを入れすぎたパンはやたらフカフカなのに不味い。

 リチャードバックの小説で『イリュージョン』ってアメリカ中を旅する遊覧飛行士のお話があって。そこで主人公が「鍋焼きパン」ってのを作るんですけど、どう考えても小麦粉をベーキングパウダー入れて練って鍋に押し込んで焼き上げるモノなんですね。

 ええ、餓死した方が人生を楽しめるって酷評をくらうシロモノです。でも、旅のアメリカ人には似合っている感じですね。


 つづく

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