第25話「犯罪のニオイがする……」
ちなみに、何で絶対嗅覚ってモノが存在しないのかと言いますと……前に、色の三原色みたいに基本となるニオイの元素は存在しないってお話ししましたよね。
音階には基準となる『A音』が存在します、さっき話した440ヘルツの『ラ』ね。だから440ヘルツを基準としたブレない判断ができます。
これがニオイだと『A音』にあたる『A臭』ってモノがありません。嗅覚検査用試薬には『A液』ってのがありますけど、あれはただ区別のために付けた記号です。製品の名前は『嗅覚パネル選定用基準臭』で、嗅覚パネルを選ぶための基準です。 『嗅覚パネル』ってのは、実験室の中でひたすらニオイを嗅ぐアルバイトのことで、一般の人の中から選びます。
そのときに適性試験でこれを嗅いでもらって、全部ニオイを感じることができたら「正常な嗅覚」と判断される。ただそれだけです。
前にあなたが言っていたへニングの基準臭って『スパイス臭・フローラル・フルーツ・バルサム臭・焦げ臭・腐敗臭』でしたよね? その中の『A臭』がどれにあたるか、わかります? わからないですよね、私だってわからない。
ニオイには周波数も、光の強さを現すカンデラみたいな単位もありません。ニオイ成分であるガス状化学物質はppmで測ることはできますけど、普通の生活で単一の物質が臭うことってあまり考えられません。ほとんど複数の何だかわからない物質が混ざってる。
よく、ニオイトラブルの現場で「分析をやってもらって、何の成分が入っているか調べてもらうことはできますか?」って質問が出るんですよ。
ええ、できることはできますよ。分析技術者が自分で現場に行って空気をサンプリングしながらそこの状況を目視なんかで調べて。「この状態とこのニオイなら○○と○○は間違いなく検出できる」ってな具合に当たりを付けてガスクロにかけるんですね。
でも「空気に含まれている化学物質全部」って頼んだら、まず受け付けてくれません。理屈の上では可能ですけど、分析のために必要な空気量がもの凄いことになります。六畳間の空気全部吸い取ってどうかって位かも知れません、実際には分析できる項目に限界がありますし。それに費用がね、何百万円ってことになります。
そんな具合にですね。もしお部屋が臭いと思ったときに、原因をニオイの化学物質を測って調べるのは色々な意味でムリなんですよ。事実上。
……ってことはですね。ニオイが化学物質であることはわかってますから、それぞれの物質は音符にあたります。でもそれをどうやって並べるか、元素だったら周期表があってそれぞれの物質がどう隣り合っているかがわかります。
ところがニオイってのは、さっきも言いましたけど単一の物質じゃなくてほとんどが元素が合体した化合物です。元素の周期表にはめこむなんてことはできません。だから五線譜に並べて、音階として整理するなんてことはできませんね。
すると『絶対ナントカ』の、『絶対』が立つ土台がもう怪しい。音なら440ヘルツの所に軸足置けばいいけど、ニオイの基準点はどこなのかわかりません。
次にね、評価する側。人間の嗅覚。絶対嗅覚ってモノがあるとしてね、つまりどんなニオイ物質でも感知できる状態。
はい、それってどんな状態だと思いますか? 普通の人じゃ感じない種類のニオイまで絶賛感じまくりな状態。
そうですねー、もう何が何だかわからない状態になりますね。絶対音感持っている人が機械音とかアラーム音が重なって聞えると解析ができなくて気持ち悪くなるって、そんな状態がニオイでも起こります。
たぶんニオイで気持ち悪くなるか、嗅覚が麻痺して働かなくなります。スニッファーじゃ普段は鼻栓してるそうですけど、その嗅覚がずっと働きっぱなしだったら本当に拷問ですね。
ええ、嗅覚ってのは普通に麻痺するものですよ。『自分のニオイを調べる』ってネタで話しましたでしょ? 同じニオイをずーっと嗅いでると脳がそのニオイを無視するようになって感じなくなったり、きっついニオイを嗅ぐと一瞬で麻痺したり。防衛機構です。
そんな具合に働いてくれなかったら、絶対嗅覚じゃない普通の人だって夏場の満員電車に乗れませんよ。気持ち悪くなって吐いちゃう。
これは音がぐちゃぐちゃで気持ち悪くなるのとは違って、生理的な反応ですね。分析できないのじゃなくて、分析する前に拒否反応が起こっちゃう。
訓練でね、短時間だけ嗅覚の感度を上げるってことはできます。その逆で感じるニオイを無視するように、できないこともないです。意識的に嗅覚をオン・オフするわけですね。
私は家の中で発生する異臭を調べて原因を特定するのが一番多い仕事ですけど、つまりヨソの家に入って慣れないヨソの家のニオイの中から異臭と指摘されているニオイを捜すんです。ぐちゃぐちゃ臭気の代表みたいなもので、そりゃもう大変。
ドラマの『スニッファー』だと、現場に残されたニオイの中から異質な状況を探り出して行くらしいですけど。私のは逆かな? 残りまくっている異質なニオイの中から現場状況に合致しないニオイを拾い出す……あれ? 同じかな?
つづく
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