第4話「ニオイの種類はいくつあるのか?」

 基本の基本ですか? ニオイの正体? 正体って言ったって化学物質ですけど……え? 「げんしゅう?」何ですかソレは? あ、あ~、はいはい。色の三原色みたいにいくつかの基本となるニオイがあって、その組み合わせでいろいろなニオイになるって意味ですね。

 きっぱり、そんなモノはありません。だって前にも教えたじゃないですか、においの感じ方は人それぞれだって。基本があったって、感覚が人によって違ったら検証ができません。

 6原臭がある? メモってきた……『スパイス臭・フローラル・フルーツ・バルサム臭・焦げ臭・腐敗臭』あーこれは、ヘニングの基本臭ですね。これはあくまで学説で、どちらかと言えばニオイを分類したらこうなったって意味ですね。

 たとえばこの『焦げ臭』の中にどれだけの物質が含まれると思います? この分類の傾向からして本当に焦げ臭のアルデヒドも、カラメル臭のメチルシクロペンテノロンもごっちゃになってしまいます。コショウもミントも同じ『スパイス臭』だって言われて納得しますか?

 え~とね。人が「ニオイ」として感じることが可能な物質はおよそ40万種類と言われています。そのうち普通の生活で嗅ぐ可能性があるものだけでも2~3百種あるそうです。

 まあそれらがすべて、酸素だ窒素だ水素だって元素から成っていることは確かなのですけどね。酸素のニオイ? 人間は……動物も植物もですけど、体の中に酸素をどっさり持っています。だから酸素に麻痺しちゃってニオイなんか感じません。

 40万を分類って、ずいぶん難しいことを……ちょっと待ってよ、さすがに全部は覚えていないぞ……。


 え~と、まず『イオウ化合物』硫化水素なんて変なことで有名になっちゃった成分がこれに含まれます。物が腐ったり、燃えても発生します。閾値が思い切り低い物質も、このイオウ化合物に多いですね。

 え? いや生き血じゃなくて閾値。人間の嗅覚がある物質をニオイとして感知できるぎりぎりの濃度のことです。だから閾値の数字が小さいほど臭い物質ってことになります。

 それから『アルコール類』エタノール、メタノールとかブタノール。これは発酵とかで発生します。腐敗と発酵の違い? 同じですよ、菌や微生物によって有機物が分解されることですから。ただ人間の役に立つのが発酵で、役に立たない損失が腐敗と呼び分けているだけです。

 次に『アルデヒド類』焦げ臭のアセトアルデヒド、ホルムアルデヒドとか。アセトアルデヒドは人間の体の中でも作られます。アルコールを分解するとできちゃう。二日酔いってのはアセトアルデヒドの中毒症状です。

 『脂肪酸類』は納豆臭とかタクアン臭とか、ヘニングの言っている『腐敗臭』はこの脂肪酸類とイオウ化合物を一緒くたにしていますね。

 『フェノール類』フェノールにもたくさんありますけど。ほとんどの人が一種類くらいはニオイを知っているはずですよ。正露丸のニオイは『クレオソート』というフェノールです。

 『酸素化合物』これはもう、いろいろありすぎます。代表が思いつかない。あえて挙げるなら『ジオスミン』っていうカビ臭の原因物質。これはホンの微量の濃度でも臭います。


 え? もういい? まだまだありますけど……一番臭い物質はなにか?

 さっき言った『ジオスミン』もホンの微量で激しく臭いますけど、確か『イソアミルメルカプタン』ですね、イオウ化合物です。閾値が0.00000077ppm。どんな表現したらいいのか判りません。「体育館にゴマひと粒分あればニオイが分かっちゃう」ってところでしょうかね。

 こんな閾値のことよりも。これらのニオイ成分が混ざると全然別のニオイになったり強くなったり弱くなったり、いろいろな現象を起こすのがやっかいな部分なのですよ。

 何でそんな現象が起こるのか? ですか……う~ん、こうなると嗅覚レセプターとかの話しをしないことには、どうにもならないのですが。

 人間の嗅覚には脆弱性がありましてね。それがさっきの特性のことなのですけど、これは嗅覚機構の大きさをぎりぎりまで小型化した結果です。

 何で小型化したのかって? 脳の方でニオイ情報を処理しきれなくなったからです。脳の中で視覚情報を優先する分野に場所を取られて、嗅覚の処理をする分野が少なくなっちゃったの。

 処理できない情報を送られても邪魔なだけだから嗅覚のセンサー部分をどんどんリストラして、それでもまだ多いからシステムを魔改造しちゃったんです。

 空気と一緒にニオイを吸い込みますとね、嗅覚器官の中には『においレセプター』ってセンサーがありまして。これが全部で400ぐらいあるんです。これがひとつひとつ個別のにおい物質に反応する。

 でもさっき『においがある物質は40万種類』って言いましたよね。似たような物質も多いから40万のにおいレセプターが必要ってわけじゃありませんけど、それにしても全然足りない。

 視覚を優先するためにそれくらい機能を絞っちゃったから、そりゃいろいろ判断ミスやエラーも起こります。

 え? どんなミスやエラーかって?

 んーとね……一番わかりやすいのが料理かな? 刺身にワサビとか豚肉にショウガとか。あれワサビの成分が化学反応して生臭みを消しているワケじゃありません。もしそんな反応物だったら危なくて食べられない。

 ワサビが生臭みを分解しているのではなく『一緒に口にすると生臭みを感じなくなる』だけなんです。生臭みの成分はそのまま存在しているけど、ワサビと一緒だとにおいレセプターは反応しなかったり違うニオイと認識することもあります。ショウガの働きも同じです。

 この効果を利用した消臭剤がありますよ、私たちは『感覚の中和』って呼びますけど、薄い香りなのに良く効くのはその効果を使っています。


  つづく

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