居候は雪と狼Ⅳ
『でも……私と視線が合ってるってことは、見えてるってことでいいのよね……ねぇ、あんた』
クロを抱きかかえながら近づいて来る白髪に白い装束を身の纏った美女。そんな彼女が亮人へと近づいて指をさせば、
『私の事、見えてるの?』
微笑めば誰でも一瞬で恋に落ちてしまいそうな表情は、キリッと眼をつり上げて亮人へと向いている。お淑やかに実った双胸にはもふもふとクロが肉球を押し付けているのが見える。
「見えてるって普通に君の事は見えてるけど……それがおかしいの?」
『まあ、普通の人間ならそんな反応が当たり前ね……どうせ、私の事は女子って感じに見られてるんだろうし……』
亮人へと向けていた人差し指は亮人の胸へと突き立て、グイグイと指を押し込む美女。
『私は人間じゃないのよ。あんたたち人間とは合間見えないんだから。それでも、私のことが見えてるアンタは特別なのよ』
艶めかしい唇に黒真珠のように一切の濁りが無い瞳が亮人の顔へと近づいて、亮人の唇はこの白を基調とした美人に塞がれていた。
「――――――ッ!」
いきなりの出来事に驚く亮人は目を見開き、目の前にいる彼女を一度引き剥がそうとする。だが、そんな亮人の全力を持ってしても彼女の身体は一切動くことなく、依然として唇を塞いだまま、亮人の事を見つめてくる。
そして、亮人は一つだけ不思議に思ったことがあった。
なんでこの子の身体はこんなに冷たいんだろう……。
まるで全身が氷で作られたような冷たさが亮人の両手と唇、それらを通してひんやりとした感覚を伝えてくる。
『私は雪女なのよ。だから、こんなに冷たいの……わかる?』
亮人の唇を奪っていた彼女の表情は少しだけ頬を赤らめ、それでいてどこか嫌そうな雰囲気を亮人へと向けていた。
『私は本当だったら、あんたみたいな弱そうな奴と子供を作りたくないわよ……でも、世の中が変わった今じゃ、こうやって私達が見える人間はすぐにでも手に入れないと生きていけないの……私だって好きであんたとキスとかしてるんじゃないからね!!』
人の唇を奪っておきながら酷い言い様の雪女。だが、そんな彼女に怒るわけでも、話しかけるわけでもなく、亮人は雪女の胸をおもちゃのようにして遊んでいるクロへと両手を差し伸ばして、
「クロ……もう帰るよ?」
クロを雪女の胸から優しく引き取って自分の足元に降ろした。
「ミャァァァ……」
そんな亮人を差し置いて、欠伸をしながら名残惜しそうにしているクロは、亮人の後ろを着いて行く。そして、そのまま元来た道を遡って行こうとする亮人。
『ちょっ、待ちなさいよっ! ねぇ、聞いてるのっ!?』
「ごめん。俺たち、もうご飯の時間だからさ。早く帰らないといけないんだよ。話があるなら歩きながらでもいいかな?」
そんな亮人の肩を掴んで止めた雪女だったが、亮人は雪女の方へと振り返ると微笑みを彼女へと向けていた。
この暗い森の中で唯一の光は木と木の間から差し込む月の光。そんな光は雪女へと微笑みかけた亮人の表情を神秘的なものへと変化させていた。
『…………わかったわよ。歩きながら聞いてくれるなら、それでもいいや』
雪女は白くて綺麗な頬をほんのりと赤く染めながらも、前へと歩いて行く亮人たちの横に並んで歩く。
帰り道は意外にも道が開けていて、まるで雪女と出会うまで家へと帰さないといった意志でもあったかのようだ。
森が道を開けてくれている関係で、行きはあそこまで大変だったものが単なる一本道へと姿を変えていて、道に迷うことなく階段まで辿りつくことができた。
「雪女ってことは、君は妖怪なのかな?」
帰り道で話をしてきた雪女のことは簡単には信じられない。
俺は幽霊とかは信じられないから、この子の事は普通の人にしか見えないや。
『そうね、妖怪って考えて貰ってもいいけど実際は妖魔って扱いかしら。妖怪は純粋な血統から出来てるけど、私たち妖魔は人間と妖怪のハーフって考えてもらった方が早いかも……』
「人間と妖怪のハーフねぇ……本当にそんなことがあり得るのかな……」
『信じられないなら、私がここで雪を降らせるってことも出来るけどやってみる?』
「いや、いいよ。寒いのに、余計に寒くしたら風邪引いちゃうから。でも、どうして俺には君たちのことが見えるの? 普通の人には見えないんでしょ?」
『普通の人には見えないわよ? だって、私達は実際には存在してないんだから。伝説みたいに実際にあったようで、実はそれは見えないところで存在したみたいに』
理解するには難しくなり始めた雪女の説明。
目の前にいるのに、彼女の存在が本当はない。それは亮人にとって不思議で仕方がない。
物事を主観で考える亮人は隣で歩いている雪女を見つめながら考え耽ふけった。
『私の顔に何かついてる?』
亮人がジッと雪女の事を見つめていたせいか、雪女は亮人に一歩近づいては体を左半身へと密着させてくる。
左を見ればそこには亮人の事を見上げてくる雪女の潤んだ瞳に、さっき亮人の口を塞いでいた唇がある。
そういえば、さっきキスされたんだっけ……。
人生初のファーストキスが人間ではない彼女に持って行かれたことに、亮人は頭の中で、「あっ、そっかぁ」くらいの軽い気持ちでいた。
『私のファーストキス……あんたにあげたんだからね』
ほんのりと朱色に染まった頬は雪女の表情を柔らかく見せる。話をしている最中の彼女の表情は何とも堅かった。
だが、今の雪女の表情に声音は緩くなった一面もある。
「俺も……初めてキスしたよ……さっき。まぁ、訳も分からなかったから感触なんて覚えてないんだけどね」
『……あんたも初めてだったの?』
「うん、初めてだったよ。俺が誰かとキスをしたことがあるような顔してるかな?」
『いや…………あんたなら誰かとキスはしたことあるかなって思ったんだけど、初めてだったんだ……なんか悪いことしちゃったわね、私……』
急にげんなりとした雪女。そんな彼女を見ていた亮人は彼女が意外と人の事や自分の事を大切にしていることがわかった。
「いいよ。俺も初めてがこんな美人な女の人で良かったって思ってるし、それにまだ君の事を人間だって考えてるから、初めてが人じゃないなんて考えは一切ないよ」
『なんか…………本当にごめんね。いきなりあんなことして……私たち妖魔はとにかく他の妖怪なんかよりも数が少ない分、私達のことを認識できる人間が目の前にいたら、とりあえずはキスをするっていうのが掟みたいになってて……』
「変な掟で君も大変なんだ。俺みたいな奴にキスなんかして……でも、キスをしたりして何か意味とかあるの?」
『妖魔は他の生き物たちと違って、子孫を残す方法が違うの。まず最初にやらないといけないことが、キスによる人間の粘膜を貰うこと。もう、私達のことを見つけられる人なんて日本に百人もいないと思うから、生きていく為には仕方がない事なのよ。それで話を戻すけど、キスで貰った遺伝子は私たちの中で交配をする相手の情報を的確に知るための第一歩。次に私たちは第二歩目として、人間と……交わるの。その過程がないと、私達は子孫を残せないから……』
「………………………じゃあ、君は子孫を残す為に俺とキスをしたの?」
『そ、そういうことになるのかしらね……』
「……………………………」
大変なことが亮人に降りかかってきた。
俺が彼女と交わる……出会ってから一時間も経ってない彼女といずれはホニャララなことをすると…………大変だ。
『だから、これから私はあんたのところで居候兼、嫁として一緒に暮らすことになるの……なんか、本当にごめんね』
まるで懺悔のように謝る雪女に亮人はどんな反応を見せたらいいのか分からない。そんな時、亮人の足元を歩いていたクロは雪女の足元に寄り添えば、
「ニャッ」
雪女の顔をじっと見上げながら「気にしなくていい」といった空気を醸し出していた。亮人はクロが本当に頭が良い猫なんだと、今頃になって痛い程に理解した。
これまでは一人でふらふらと家を出て行ったと思えば、買い物には意外にも一緒についてくる。それで八百屋や魚屋の前に行けばじっと店主の顔を見つめておねだりをしたりもする。
『クロは優しいのね……こんな人間と妖怪のハーフの私に優しくしてくれるなんて、本当……優しいんだから』
目尻には月の光でキラリと光る水滴があって、それはゆっくりと頬を伝って行く。
「その、何て言えばいいのかな……俺の家って誰もいないからさ、うちで一緒に住むってなっても俺は一向に構わないけど……君はどうしたいの?」
『えっ…………あんた、本当に私を家に連れて行ってくれるの?』
涙が伝った場所は明確にわかる程に光っていて、それでいて彼女は驚き半分、嬉しさ半分といった感じの表情で亮人の事を見上げていた。
階段を降りていく最中だというのに、足元を見ずに亮人の顔を見つめていたのだ。
『あっ…………』
そんな雪女は足元を見ていなかったせいで階段から足を踏み外した。あと数段しかない階段だが、そこからゆっくりと落ちて行きそうになる。
「危ないっ!」
まるでアニメやドラマでしか出てこないであろう場面が亮人たちを包んだ。亮人は階段から落ちそうになった雪女を自分の胸へと抱き寄せていたのだ。
「………………………」
それから数秒間、雪女は亮人の胸から離れることはなく、亮人の体温を直で感じているように顔を亮人の胸へと押し付けている。
そして、亮人はそんな彼女の身体が本当に氷のように冷たいことを肌を通して感じた。
服越しでもわかる程の冷たさ。それはまるで雪女の心を表しているかのように亮人の頭の中では想像してしまった。
「そろそろ離れてくれないかな……ちょっと寒くなってきたから」
『ご、ごめん……』
それからというもの、雪女は亮人に話しかけることもなくなり亮人の家まで帰っている最中は一切口を開くことはなかった。
「ここが俺の家だよ。君の分のご飯作っちゃうから早く家に上がって」
『……うん』
申し訳なさそうに頷く雪女は玄関を通って、家の中へと入って行くとリビングにある皮で作られたソファへと腰を降ろして家の中を見渡す。
亮人の家の中はほとんどの物が有名ブランドの家具で染め上げられ、見ただけで高級そうなものがどれなのかというのが一瞬でわかるほど。
そんな家の中へと招かれた雪女は亮人が何でこんな家で生活をしているのか気になり始めていた。
高級そうな食器を軽く水洗いしては水を拭き取って机の上へと置く。その姿は毎日のように料理を作っているからか、一切の無駄が省かれていて、次いで食材を冷蔵庫から取り出す亮人は高級料理店の一流シェフのようだ。
『あんたって凄いのね……こんな広くて綺麗な家で住んで』
「俺の両親は毎日、会社の社長室で仕事三昧。家に帰ってくることなんか一度もないよ。だから家の部屋だって余ってるし、使ってない食器だってたくさんある。でも、君が来てくれたおかげでほら……」
亮人はさっき水洗いした食器を雪女の方へと向けて満面の笑みを浮かべて、
「この皿もやっと自分が使われるって嬉しいと思ってるはずだよ」
雪女へと差し出された皿はまだ一回も使われたことがないのだろう。傷や使い古したような染みも一切なく、未だに新品となんら変わりないものだ。
「何年も家にあるのに使われないなんて悲しいと思うでしょ? でも、君が家に来てくれたから、この皿はやっと使えるんだよ」
本当に嬉しそうな表情で微笑んでいる亮人に雪女は『何でそんなに嬉しそうなの?』と聞きたくなったが、それは聞かない方がいいかもしれないと知らぬ間に自分の中で言葉を納めた。
それからすぐに亮人は料理を作り始めて、楽しいのか鼻歌まで歌い始めた。
『変な人間ね……でも、凄く優しくて一緒にいるとなんだか嬉しくなる……なんでなの?』
ソファの後ろ、雪女が後ろへと振り返れば制服のままエプロンをつけた亮人が二人分の料理を楽しそうに作っている。
『ほんと、変わった奴が私の主人になりそうね』
楽しそうにしている亮人を見ているうちにいつの間にか、雪女まで一緒に楽しそうな笑みを細く浮かべていた。
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