第24話 運命とは
朝。ソファでの寝心地が悪くてあまり寝られなかった僕が朝飯の仕度をしていると、ようやく小泉は目を覚ました。
「……あれ?」
彼女はゆっくりと上体を起こして、辺りを見回し、ぼさぼさになった頭を掻いた。
乱れた服装から下着が見えているのは変わっていない。まずはそちらを何とかしてほしいものだと思う。
「……此処、何処……」
「何処って、僕の家だよ」
彼女の疑問に僕が答えると、返事を得られるとは思っていなかったのか、彼女の体がびくりと小さく震えた。
ぼんやりとしていた眼差しが、次第にはっきりとしていく。
次の瞬間には目を驚愕で丸くして、彼女は僕のことを見ていた。
「な、何で三好先輩が此処にいるんですか」
「だから、此処は僕の家だって言っただろ」
沸騰した鍋の中に卵を割り入れながら、僕は溜め息をついた。
「あんた、昨日は完全に酔い潰れてたからな。家の場所を訊いても答えないし、かといってほっとくわけにもいかないから連れて来たんだよ」
鍋の中身をおたまで掬って味を見る。
うん、良い感じだ。
「やれホテルに行きたいだの何だの騒いでて大変だったんだぞ。覚えてないのか?」
そう尋ねると、彼女は胸元を掴んでほんのりと頬を赤く染めた。
ちらり、と覗き見るように僕の顔色を伺って、言う。
「……ひょっとしてあたし、三好先輩と……」
「言っとくけど、何もなかったからな。そこは安心していい」
「……そうですか」
僕の言葉に、彼女はやや残念そうな表情になった。
……何を期待してたんだ、この女は。
彼女はゆっくりとベッドから下りて、棚に飾っているフィギュアに目を向けた。
「……あ、アロマルージュのシャノアちゃんだ」
ぽつりとそんなことを言う。
そういえば、彼女はゲーマーなんだっけ。ゲームキャラに詳しくても不思議じゃないか。
「……フィギュアだらけで汚い部屋だと思っただろ」
「そんなこと思ってないですよぉ」
彼女は首を振って笑った。
その笑い方は、普段会社で見る小泉らしいはにかみ方だった。
「三好先輩らしい部屋だなって思います」
僕らしい……か。
僕らしいって何だろう。ふと、僕はそんなことを思った。
「ねえ、三好先輩」
僕の傍まで歩いてきながら、彼女は言った。
「三好先輩は、運命の出会いって信じますか?」
「何だ、そりゃ」
眉間に皺を寄せる僕。
彼女は僕の隣に立って、手を後ろで組んだ。
「出会った時に雷に撃たれたような感覚になるっていうか……そういう、衝撃的な出会いをしたことはありますか?」
好みのアニメキャラに出会えた時は「これは来た!」って感覚にはなるけれど、それとは違うんだろうか。
現実の人間相手に起きる感情のことを言っているのなら……多分、僕にはまだそういう経験はないんだと思う。
「あたしは、あったんです。つい最近」
僕の顔を横から覗き込んで、彼女は笑う。
何処か淋しさを纏ったその笑顔は──半ば諦めの色のような、陰を感じさせるものだった。
「この人しかいない!……って、あたしはそう思ってるんです。その人は、あたしの想いには気付いてないですけど……いつかこの想いに気付いてもらえたらいいなって、期待してるんです」
「……待ってるだけじゃ結果はものにできないんじゃないか?」
鍋を掻き混ぜながら、僕は言った。
「どんなことでも、言わなきゃ一生相手には伝わらないぞ。人生は自分から動いて幸せを掴もうとした奴が勝つものって相場が決まってるんだ。受け身の奴には、運命の女神は絶対に微笑まない」
運命の女神には、前髪しか生えていないのだという。
自分から率先してぶつかって前髪を掴まないと、気付いた時には既に女神は後ろに通り過ぎていて、チャンスはものにできないというのだ。
どんなことでも、それは同じだと思う。
仕事でも、恋愛でも。
僕は、三次元の世界からは逃げてしまった身だから、此処で小泉にあれこれと語る資格はないのかもしれないけれど。
彼女が今チャンスを掴むべく手を伸ばそうとしているのなら、それを応援してやりたいという気持ちはある。
だから、言う。
ほんの少しでも彼女より長く人生を歩んできた先輩として。
「傷付くことを恐れないで、前に進め。その人に、自分の想いをちゃんと言え。言わないで後悔するより、言って後悔した方が何倍もマシだ。だろう?」
「……そうですね」
小泉は前を向いた。
「あたし、必ずものにしてみせます。この想い。今はまだ無理だけど……いつかその時が来たら、ちゃんと、その人の前で告白します」
「あんたなら必ず成し遂げられるさ。頑張れ」
僕は鍋の火を止めて、戸棚から丼を三つ取り出した。
「さ、飯にするか。卵雑炊作ったけど、食べるだろ?」
「……何だかすみません。泊めてもらった上に朝御飯まで御馳走になっちゃって」
「気にするな。作る量が二人前から三人前に増えたところで大して変わらないさ」
寝床で寝息を立てているミラに視線を向ける。
彼女がまだ寝てるのは珍しい。どうやら酒を飲んだせいで朝に弱くなっているらしい。
ミラを起こしてくれ、と小泉に言うと、彼女は客にものを頼むなと軽口を叩きながらミラの寝床へと移動した。
僕はそれを見つめながら、丼に雑炊を盛り付けていった。
朝飯を食べてすっかり元気になった小泉は、礼を言って自分の家へと帰っていった。
再びミラと二人きりになった家の中で、僕は小泉がしていた話を何となく思い出していた。
僕にも、掴むべき運命のチャンスが訪れる日が来るのだろうか──
それがどんなチャンスであったとしても絶対に逃すものかと思いながら、洗い物を黙々とこなしたのだった。
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