第1章 王都セントリアへ
第1話 決意
王都、セントリア。幼い頃、ミコはその文字を何度も目で追った。
それは優しき国王の作った国、このセレアークの首都で現国王の暮らす場所。ミコの住むこのアルペールとは違うそこは、なんでも手に入れることが出来る、夢のような場所と聞く。人々には笑顔が溢れ、誰もが幸せだと語る場所。
それはどこか遠い御伽噺のようで、浮世離れしているようなその場所について、ミコが知ることはほとんどなかった。故に、そこに齢十を迎える王子がいることさえミコは今初めて知ったのだった。
セレアーク領とはいえ実質ここはアニマス国だ。この国の、それも最奥の村で暮らすミコにとってこの国がセレアークに属しているという実感はない。
しかしそれはミコだけの話ではない。首都から遠く離れた場所……いいや、もしかしたらアニマス国首都ベルグスでさえ、この国がセレアーク国の一部だということは今は昔の話かもしれない。それほどまでに馴染みはないほど、この王国は広大だった。
ミコの師が保管していた書物によると、王都セントリアをぐるりと囲うようにして六つの国が位置している。それらは今、セレアーク領と呼ばれているが、元はひとつの国だったそうだ。
師のかき集めた膨大な書物を保管している薄暗い書庫の中、埃を被って眠っていた本の一冊に「セレアーク領小国建国物語」というものがある。
臙脂色のカバーに金字で彫られたそれは、埃さえ払えば年代物とはいえ、幾年たっても衰えぬ、変わらぬ美しさを保っていた。厚手のカバーを捲れば序文として「ここ、セレアークが、いつまでも民に愛される国であるように」と当時の王の言葉が綴られている。
印字されたページの一枚、一枚に金色のインクで美しい装飾が施されているにも関わらず裏写りなどはしていない。特殊な加工が施されているのか、とにかく見目美しく、優しい内容であるこの物語がミコは好きだった。
現セレアークは六つの小国、一つの大都市からなる国家である。
今は昔、七人の兄弟を平等に愛した父王が、長男以外の六人にも領土を分け与え、それを小国として建国させたことからなる。
父王の命により、王都セントリアを中心に六つの小国がそれを囲うようにして建国された。
長男は全てを束ねるセントリアを譲り受け、その他六名は父王の言いつけ通り、小国の王となった。
仲の良い兄弟といえども個性はある。そして、一人一人の特色を生かした六国を新たに建国し束ねる者となった。
植物を愛した次男は花の国、フローディアを
商才に恵まれた三男は商家の国、ヴィジナートを
読書を愛した四男は本の国、リーデアを
音楽の才に恵まれた五男は音楽の国、ムジカを
武術の才に恵まれたは六男は武闘の国、マーシャルを
動物を愛した末子は動物の国、アニマスを
そして中心となるセントリアに富と幸福をもたらせた。
誰しもが国民から愛される国王となり、兄弟仲を表すかのように支え合う国同士となった。
流れゆく時のもと、それぞれの国の特色は消え去ったが小国六国、どれをとっても今も豊かで平和な国である。
それは単にすべてを束ねる立場にあるセントリアのおかげである。
書物の内容を思い出し、ミコはぶるりと身震いをした。建国物語の舞台にもなっている国々の中心にある王都セントリア。
そんな王都セントリアの、このセレアークを次期に象徴する存在になるであろう王子。その「王子付き占術師の試験を受けよ」という師の言葉は、あまりにも無謀で恐ろしい事のように思えた。
「し、しかしお師匠様……私、王子様付き占術師というものがどういうものか、わからない、です……」
ミコの不安を表すかのように徐々に声がか細くなっていく。まるで外敵から身を守るかのように、ミコは被っていたフードを両手で抑え、グッと頭に押し付けた。そんな怯えるような様子を見て、師は息を吐く。
「文字のままの意味だよ。セレアーク国の王子……次期セレアーク国王専属の占術師となり、彼のために未来を見、彼を導く。それが王子付き占術師だ。王族は十になるとそれぞれ専属の占術師を与えられる。自身のことはもちろん、国益に関することも、ほぼ全て占術師の導きに依るものが多い」
「そ、そんなの、私には……」
「そう。誰にでもなれるわけではない。だが、チャンスは誰にもでもあるべきだ。だから試験があるんだよ」
言いながら師は咎めるようにミコの手に、自らの手を重ねる。緊張によって固まってしまった手をほぐすかの様に数度叩く。しばらくすると落ち着いたのか、ミコの手からゆるりと力が抜けていった。ミコはフードから手を離すと、今度はスカートの裾をぎゅっと握りしめる。
「お師匠様は……その試験、に、私が受かると、お思いなのでしょうか?」
「さぁ、それはどうだろうね。先にも言ったが十になると王族は専属の占術師をつける。そしてその占術師の助言を得、導きに沿う。しかし逆を言ってしまえばその日まではどんな選択も自由、ということだ。つまりこの試験の合格者は現王子の意思次第。これは王子が自分一人で選択できる「最後のこと」だからね。縁があれば君でも王子専属の占術師となれるし、そうでなければそれまでということだ」
師はいつもと変わりなく、穏やかな口調でそう告げる。
「……お師匠様、すみません」
「なにがだい?」
「私に、その役は務まりません」
「……なぜ?」
「私は占術師として、導くことはきっと……出来ないので」
「ミコ……」
「それに、じ、自信がないのです。きっと、セレアークの王子様は物語に出てくるように、優しく愛される方なのでしょう。それもきっと、占術師なんて必要ないくらいに……そんな方のお側にいたらきっと、より、惨めになってしまいます」
人の未来を照らす占術。より良き先のために占術師はいるのに、今のミコでは暗い森の中、手元を見せることだけで精一杯だ。到底未来など見えるはずもない。
「……世界を知る良い機会だとは思わないかい?」
「え?」
「ミコはなぜ、知りもしない王子のことを優しく愛される方だと思ったんだい?」
ミコは師の言葉に眉間に皺を寄せる。困ったように、眉を八の字にしてしまうのがミコの癖でもある。
「え、っと……「建国物語」に、セレアークの王子様は優しく、そして愛されていたと記述が……」
「文字が全てではないよ、ミコ」
そう言って師はミコの瞳をじっと見る。その瞳の真摯さにミコはびくりと肩を震わせた。
「人には個性というものがある。育った環境、状況によって性格というのも変化する。セレアークの王子だからと言って、誰もが優しく愛されているとは限らないんだよ」
「……では今の王子様は、」
「それを確かめてきてごらん」
「え?」
「外の世界は広い。広くて、書物だけでは知り得ないことがたくさんあるんだ。人が見て記したものと、ミコ自身が見ていくもの、それは全くの別物となる。世界を見るということは占術師として、いや、もしミコが占術師以外の道を歩んだとしても絶対に役に立つ。だから、世界を見るという意味でもこの村を旅立って欲しい」
その時ミコは察した。自分に拒否権など初めからなかったのだということを。
師の命であるということからしてそのことは察することができたが、しかし。それと同時に気づいてしまったことがある。
師匠は、ミコに村を出て行って欲しいのだ。
「わ、私は、破門、ということでしょうか……?」
ほとんど唇を動かなさい、小さな声。しかし師はそれを聞き取ったのか、ミコの被るフードを外すと優しくその髪を梳いた。
「違うよ、ミコ」
はっきりとした師の否定の言葉に幾分か安心する。
「選択肢を与えているんだ」
「選択肢……」
師は優しく微笑みミコを勇気付けるかのようにその髪を弄ぶ。
「占術師になりたくないというお前の気持ちは分かっているつもりだよ。だけどここにいる限り、お前は占術師にならざるを得ない。しかしそれにはここだけでは足りない。だから外へ行くための理由を作った。それだけだよ」
「お師匠様……」
「受かる、受からないは関係ない。外の世界を見ておいで、ミコ。そして自分の選択肢を広げておいで。そのうえで選択をするんだ。ここに戻ってきてもいいし、ここ以外にも行っていいんだよ」
ミコは師の言葉に困ったように眉を顰めた。
ミコとしてみれば外の世界に出たくなどなかった。ここ以外は恐怖の対象でしかなかった。
しかし、自分が占術師に向いていないことは誰よりも自身が自覚があった。
占術師にはなりたくない、しかしここにはいたい。ここにいるためには占術師にならなければならない。その矛盾がいつもミコを苦しめていた。
「ここ以外、は、怖くていやです……」
師もいない。友人もいない。ノアもいない。そんな世界に飛び込む勇気などミコにはなかった。
まず王都までの道のりは遠い。アルペーレから一度も出たことのないミコにとって、村の始まりの森に行くことすら恐ろしく感じられた。
ノアは大丈夫だと笑っていたが、慣れず同じように見えてしまう木々の間ではより方向感覚もなくなりそうである。
また、無事に抜けられたとしてもアニマスの首都ベルグスまでの道程も分からない。地図を手渡されたとしても、間違えてしまったらと思うと恐ろしい。知らない人に聞く、などということはミコにとってものすごく難易度の高いことだ。
「ねぇ、ミコ」
ミコの恐怖を察してか、師は苦笑したように言葉を漏らす。先程下に下ろしたはずのミコの手は、またフードを掴み自らを隠すようにぎゅっと力を入れている。
「私は世界を見て、後悔をしたことはないよ」
「……」
ミコは黙って師の言葉に耳を傾ける。
「試してごらん。世界はそんなに怖いものなのか。それとも想像以上に優しいのか」
「お師匠様……」
「私は知っているよ。ミコを取り巻く世界は、ミコが思う以上に優しい世界であることを。それは、これから先も変わらない」
その言葉にミコは弾けるように顔をあげた。
占術師という存在は請われれば誰の未来でも見、導くことが出来る。しかし、物事には例外が付き物だ。
専属となった者はその者だけの先を見、そして。
師は弟子の行く末を占わない。限界が見えてしまえばそれまでだからである。導くことすらできなくなる。故に、師は弟子を、弟子である限り占わない。
なのに、そんな師匠からの言葉だ。
先を、未来を見たかのような発言は、実質上破門宣言と変わらない。
――……うそつき
そうミコの唇が小さく模った。破門ではないと言ったのに、そう批難する気持ちが溢れ出しそうになる。
破門である、ということは居場所がなくなってしまったということだ。
もうこの村にはいられないということだ。
身よりのないミコにとって、この場所が全てだった。師こそ全てだったのだ。
ミコは唇を噛み締めた。
じわりと涙が瞳に浮かぶ。
しかし、溢れ出しそうになるそれを必死に堪え、ミコはフードを脱ぎ捨てた。
――分かっている。破門になっても仕方のないことは。素敵な師を持ちながら、私は成長することが出来なかったのだから
そう思いなおし、これで最後という気持ちを込めてミコは師を見遣る。師はフードを脱ぎ捨てたミコを見て驚いたように目を見張った。
――フードはダメと何度も言われた。なのに、直せなかった。毎日経験を積むように言われた。けれど結果が出せなかった。人を導くことを、拒否した。全ては私のせいだ
ならば最後くらい、師の望む弟子となろう、そうミコは決意した。
なにも知らないフリをして。なにも気づかないフリをして。師の破門ではないという言葉を信じているフリをして。
ミコは笑みを作って見せた。視界を遮るものはない。いつもよりもステンドグラスから降り注ぐ光がきらきらと輝いて見える。
それでも笑みが歪なのはきっと、その光が眩しいせいだけではないだろう。
「分かりました。行って参ります」
ミコはそう今までで一番はっきりとした口調で告げ、自身の決意を確かなものにした。
一筋だけ涙がこぼれ落ちる。
拭うこともなく重力に逆らうこともないそれは、虹色の光を反射しまるで、これからのミコの運命を表すかのようにきらきらと光輝いて弾けた。
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