箱庭カレイドスコープ

剣之 千

プロローグ

お師匠様譲りのルビー二の杯を、月光を浴びせた聖水で満たす。そこにサカシの葉をちぎり入れ、すり潰したツグミの実を加える。

占いたいことを思いながら指でひと回しすれば準備は完了。

はてさて、今日の運勢は……?


セレアーク領アニマス国の北西に位置するここ、アルペール。アニマス最奥の村と言われるここは首都ベルグスから汽車と馬車を乗り継いで約五日。王都セントリアまでなら八日は掛かるであろうここは人口百名にも満たない小さな村だ。

背後に聳え立つ山脈は白に覆われることも多く、自然に囲まれた村はやはり民家よりも緑の方が多い。

それでも牧草地の間から覗く石垣の屋根や煙突はやはり、この村の景観をより美しく見せていると思うし、風が吹けばさわさわと揺れる草原がどこか甘い香りを運んできてくれるようにも感じる。

私はこの村が大好きだ。

この村のまとう空気が、景色が、親切な村民が、この村の全てが大好きだ。だからこうして散歩がてら風を浴び、陽の光を浴びて、村中を散策する。

村の入り口から密集した民家を抜け、更に奥へと進む。密集した民家から距離を取るように聳え立つ、他よりも幾分も立派な館がこの村の村長様とその家族の住んでいる家だ。

ここ、アニマスは動物の血を引く人が多いとされる。動物と、人間の混血だ。

ドラゴンの血を引くという伝説のあるこの村の村長様は気が短く、次期村長様と言われるその息子は飄々としているせいか、よくケンカになるらしく罵声が響いている。怒鳴られている息子自身が別段気にする様子もないのでその温度差に笑ってしまうことも多い。

そんな家を通り過ぎ更に奥へと進む。

すると、今度は緩やかな傾斜に差し掛かる。左右に分かれたそこは、右手の平坦な道を歩けば山へとぶつかり、左へと行けば小高い丘となっている。その丘を登っていくと、遠い国に伝わる教会に似た建物が見える。クリーム色の外壁に民家とはまた違う重厚な戸、一階しかないというのに民家の三階分はあるであろう高い天井。

散歩の終着点はいつも同じ、サクレイドと呼ばれるここが私の住居だ。

村の中で一番と言われるほどの神聖な建物であるそこは元々占術師であり、私の師でもあるスコット先生が活動するために与えられた場所だ。そんな場所に今は、縁も所縁もない、ただお師匠様の弟子というだけで私も一緒に住まわせてもらっている。

普段は村の運営を村長様とお師匠様が相談したり、村民の悩みや不安をお師匠様が聞いたり占ったりすることに使用されているが、サクレイドは集会所でもあり、村民が何か決め事をする会議のときにも利用されることもある、集会所の役割も担っている。

最近は週に一度、真ん中の日に私も占術の間に座らせてもらっている。

占術師ミコとして、お師匠様のように未来を見、それを伝えるお仕事だ。

しかしお師匠様のときには賑わうサクレイドもその日ばかりはお休みのよう、ひっそりとした空気に見舞われる。来客はほとんどなく来たとしても郵便配達か幼馴染の次期村長様、ノアくんだけだ。

その日が来るたびに占術師として半人前、村のみんなに認めてもらえてないのかなと悲しくなるも人と話すこと、人と接することが苦手な私としてはホッとするのも事実である。

ひと息ついて、顔を隠すためのケープのフードを外し重厚な戸を押し開ける。ギィっと古い木の音。入ってすぐのお師匠様や村長様のお話を拝聴するためのそこは講堂と呼ばれ、正面を向いた長椅子がいくつも並べてある。

晴れた日は火を灯すこともないが、大きな窓がいくつもあるおかげで不思議と暗さは感じない。それどころか、正面に位置したステンドグラスのおかげで色のついた光が降り注ぎ、きらきら宝石箱の中にいるようだ。

私は一番前の長椅子に座り、その光を浴びることが好きだ。

早速そこへ行こうと手を離せば、開けたときと同じ音を立てて戸が閉まる。

「おかえり、ミコ」

そこへ足を伸ばしかけたのき、私のお気に入りの場所に先客がいることに気付いた。

「ただいま帰りました、お師匠様」

お師匠様の銀色の長い髪が陽の光を浴びてきらきら、輝いている。美しい人だ。柔らかい声、雰囲気、表情。お師匠様の纏う空気全てが神聖で、特別なものに感じられる。

「朝のお散歩かい?」

「はい。今日は真ん中の日ですし、心を落ち着けて参りました」

羽織っていたケープを外し、手に持ち替えてからお師匠様の隣に並ぶ。

そんな私の様子にお師匠様は苦笑する。

「本当に、いつになったらそのケープを外すことが出来るのか」

「……い、今はまだ、無理、です」

私は人目が怖い。その人目から逃れるためにいつもフード付きのケープを羽織っている。フードを被って視界を遮ればいつだって安心することが出来た。

「せめて早朝の散歩くらいはケープ無しでもいいんじゃないのかい?」

「だ、駄目です。どこで誰に会うとも限りませんし……」

「でも今日も誰にも会わなかったんだろう?」

「明日は会うかもしれません」

そう言って俯けばお師匠様は小さくため息を吐いた。

占術師は人を見、人の話を聞き、人の未来を占う。だから人と話すこと、コミニュケーションがとても大切なのだそうだ。故にフードで顔を隠してしまうことをお師匠様は良しとしない。それでも決して無理強いはしないから、私はそれに甘えてしまう。

「それで、今日の結果は?」

お師匠様からの宿題。私は毎日朝一番で自身の運勢を占い、それをお師匠様に報告をしている。これも修行の一環で、経験を積むために必要なことだそうだ。

「はい。今日は何か……迷い、とか選ぶ、というのが読み取れた気がします。サカシの葉が、こう、迷うみたいにくるくると回っていて、それで……ツグミの実の色もいつもより薄くて葉を囲うように聖水が色付いたので……あ、あの、でも、私、いつも迷ってばかりですし、なにかを選ぶことは苦手ですし、その、やはり信憑性はなくて、それで……」

「ミコ」

お師匠様が私の言葉を遮るように名前を呼ぶ。そうすると不思議と気持ちを落ち着けることが出来た。

「……はい」

「何度も言っているね?占術師の仕事は未来を見、より良い未来へと導くことだ。そんな風に不安がってはいけないよ。そんな占術師の言葉は誰も求めない」

言われ、しゅんと項垂れる。そうだ、占術の内容はともかく皆、より良い未来にするためにアドバイスを貰いに来るのだ。それが私にはできない。

……怖いのだ。私の言葉ひとつで相手の未来を変えてしまうことが。誰かにとっての幸運は、誰かにとっての不幸になるかもしれない。目の前の人をより良き未来に導けたとしても、結果不幸になる人がいたらと思うと怖くて、口を噤みたくなる。

本当は、占術師にはなりたくない。人の未来など見たくもないし、知りたくもない。しかし、それでも私がここにいる限り理由が必要だ。身寄りのない私が、ここに留まるにはどうしたって理由がいる。そしてその理由のためには占術師になるしかない。

「お前は本当に占術師には向かないね」

私の気持ちを知ってか知らずかそう言ってお師匠様はそっと私の頭を撫でる。肩より少し短めの癖毛がふわふわ揺れてまるであやすかのように私の頬を擽った。


大きな講堂の左右奥にはそれぞれ戸がひとつずつある。左に位置する戸を開ければその先にあるのは主にアルペールやアニマス、セレアークに関する資料の置かれた書庫で、その更に奥は居住スペースとなっている。右に位置する戸を開ければその先にあるのが占術の間だ。ひとつのテーブルと、そのテーブルを挟んで椅子が一対あるだけのそこは、誰が来ても、先客を悟られないためにカーテンで締め切られている。

今日は日がな一日、この占術の間で過ごさなければならない。

私は書庫から本を数冊持ち込み、それを読みながら一日を過ごす。この占術の間がお師匠様の日は、山に入り私の占術に必要なツグミの実を集めたりサカシの葉を集めたり、聖水を作ったり、と実に有意義に過ごせるのに。

もうすでに何度も読み込んでしまった書物ではただただ一日を長く感じさせるだけだった。

この国の成り立ち、この村の伝説、どれもこれもこの村に育った子どもに知らないものはない。

風の強い日、山から聞こえる風鳴りをドラゴンの咆哮と呼ぶことも、村長様一家ががドラゴンと人間の女性の子孫であることも、この本を読む前から知っていたことだ。

静かに本を閉じ、耳を澄ます。

いつもなら聞こえていた足音が今日はまだ聞こえてこない。

今日のこの占術の間の唯一の来客であるノアくんは、学校のある日だからここへ来るとしても夕方以降となるだろう。

ノアくんは隣町にある学校へと、村の始まりの森を抜け約一時間掛けて通っている。

ひとりで村を出、森を抜けるのは怖くないのかと問えば彼は夜の森でなければ大丈夫だと言って笑った。

村を抜けたことのない私にはあまり馴染みがないが昼の森は夜の森に比べ危険は少ないらしい。夜の森は手元の灯だけでは先が見通せないから怖いのだそうだ。

そしてそれを彼はまるで私の占術のようだと揶揄した。

「ミコの占術は不安になる。俺はその未来を避けるためにどうすればいいのかを教えてほしいのに」

そう言われたのはつい先週の話だ。

苦笑しつつ私のフードを取って、目の前で視線を合わせそう言った。

ノアくんはあまり占術というものに興味が無い。その日一日のことも、大分先の未来も気にしない。自分の未来は自分の手で開くのだといつも笑って話す、そんな人だ。

だから真ん中の日である私の占術のときだけしか顔を出さない。そして、顔を出し、一週間分の占術を依頼する。

先週もノアくんは私に一週間分の運勢を占うよう告げた。しかし、見えた未来はあまり良いものではなかった。

「この一週間で、……とても悲しいことが、ある、みたい。とても大切にしていたものを、無くしちゃう、かも」

そう告げる私にノアくんは眉を寄せる。動揺しているのか、彼の座る木製の椅子がギシリと音を立てた。

言ってしまったことに後悔をしてももう遅い。ノアくんとは幼い頃から一緒だが、彼が悲しんでいるところなど見たことがない。いつだって飄々と、仕方がないと言って肩を竦めるのだ。

だからきっとこの結果は間違えなのに、彼は想像以上に動揺している。

「その大切なものってなんだ?」

「……そこまでは、わからない。多分……ノアくんが、一番大切にしているなにか、だよ。でも、私の占術は、あまり当たらないから……」

「俺が大切にしてるものなんてひとつしかない。でもそれは無くならない。絶対に」

そう力強く言い切る彼に私もこくりと頷いた。ノアくんがそう言うのならきっとそうなのだろう。

「自信はある。だけど、俺は絶対にそれを無くしたくない。だから念のための対策を教えて欲しい」

その表情があまりにも真剣で、その気持ちに応えるようにジッとルビーニ の杯を覗き込む。ノアくんは私にとっても特別な人だ。幼いころから一緒で、常に私の側にいてくれた、大切な幼馴染。その大切な人の、一番大切な何か。それを守る方法があるのであれば、私だって力になりたい。

「……あ、」

しかし、私はそこに出ていた選択をついにノアくんに伝えることは出来なかった。

「ご、めんなさい。言えません……」

私の言葉に彼は驚いたように目を見張り、そして気の抜けたように重苦しいため息を吐いた。これでは占術の意味がないではないか、と。そう言いたいのだろう。

「ミコ……」

「ごめんね」

しかし、きっとノアくんは察してしまっただろう。その対策を取ることで、他の誰かの未来を変えてしまうということを。私の性格を、私の占術を、ノアくんはよく理解している。

そうして言われてしまったのだ。私の占術は不安になる、と。

思い起こして、あの日のノアくんの表情を思い出し悲しくなる。もしかしたらノアくんは、もうここへ来てくれないかもしれない。

そのときだった。思考を中断させるように占術の間の戸が叩かれる。慌ててフードを被り「どうぞ」と応えれば顔を覗かせたのは郵便配達のお兄さんだった。

彼は一通の手紙を「大至急占術師様に」と告げ、すぐに去っていった。裏を返せば見たことのない紋で蝋が固めてある。妙な胸騒ぎを覚え、言葉通り手紙を握りしめお師匠様の元へと急ぐ。

「お師匠様……!」

郵便配達員さんと入れ違いだったのか、彼は朝と変わらずステンドグラスの光を浴びながら、長椅子へと腰掛けていた。

私が声を掛ければ閉じていた目をゆっくりと開き、「来てしまったか」と小さく呟いた。

「これ、大至急とのことで、あの……」

言いながらお師匠様に手紙を渡せばすぐに差出人を確認しその紋に覚えがあるのか、小さく息を付く。

普段とは違う様子に違和感を覚えるもここにいても仕方がないと、占術の間に帰ろうと踵を返せば「そこにいなさい」と声が掛かる。

「お前にも、無関係なことではないからね」

お師匠様の手が封を破く。中から現れた手紙に目を通し、「ふむ」と小さく呟いた。

「時期尚早ではあるが、致し方あるまい。……ミコ」

そう言ってお師匠様は私の前にその手紙を手渡した。

「王都セントリアへと向かい、王子付き占術師の試験を受けなさい」

言われた言葉が理解出来なかった。

今日だっていつもと変わらない時間に起き、いつもと変わらない散歩をし、占術の間でいつもと変わらない時間を過ごすはずだった。

その証拠に頭上から降り注ぐステンドグラスからの光も、いつもと変わりなくきらきらと輝き宝石箱の中にいるようだ。

それなのに、お師匠様はそんないつもを簡単に壊してしまう。

それは、十四年間生きてきた私の人生の中で一番の衝撃だった。

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