不老翔太郎 最初の挨拶
美尾籠ロウ
第1話「ヒーローの研究」
ぼくは六年生になっても、昨年度と同じ四組だった。五年生から六年生に上がるときにクラス替えは行なわれないので、当たり前である。
けれど、そのためにぼくは、
始業式といっても、新しい年度の担任の先生は昨年度と同じ、
あくまで噂だが、職員室では、三十七歳で独身の萱場先生が、他の先生たちの「ネタ」にもなっているらしい。二十七歳も三十七歳も、ぼくには同じ「大人」に思える。けど、大人同士の世界ではそうではないらしい。
退屈な始業式を終えて、六年四組の教室に入った。周囲の顔ぶれは変わらないけど、新しい教室に入ると、やっぱり新しい学年になったんだな、と思う。
人一倍体の大きい荒畑力哉(あらはたりきや)が周囲を無意味ににらみつけている。
去年の二学期に転校してきた
教壇に立った萱場先生が、五年生のときと同じように、ぼくらを見回した。
始業式だからといって張り切っているのか、ジャージ姿ではなく、ベージュ色のスーツを着て、スカートをはいていた。
ぼくたちは、とりあえず出席番号順に席に座らされた。去年、さんざん聞いた萱場先生の声を、ただただぼんやりと聞いていた。
「今日から、新しくみんなの友達が一人増えることになりました」
ぼんやりと意味もなくノートを開いて鉛筆をもてあそんでいたぼくは我が耳を疑った。
もしかして……転校生?
当然のごとくざわめく教室——この学校では、土地柄もあるのだろうけど、毎学期、何人かは転校して来る生徒、転校して行く生徒がいる。
それでも「転校生」と聞いて、ドキドキしない人間がいるだろうか?。
去年は、桜山俊介みたいなおちゃらけたやつが来た。桜山が教室に入ってきた瞬間、一気に失望の吐息が教室に満ちたものだ。
萱場先生が、教室の扉を引き開けた。
教室中に、去年とは違う二種類のため息が広がった。
その一つ。男子のため息——なんだ、転校生は男子か。
その瞬間に、男子たちの期待と興味は消滅した。しかも、この転校生、背が高くてやせていて、妙に目つきが鋭い。色白で、少しえらが張っている。転校生は、なぜか少しだけ笑みを浮かべながら、教室全体を見回していた。
——ああ、こいつとは友だちになれないな。
大半の男子が同時に同じことを感じたはずだ。
いっぽうの女子——べつな種類のため息だった。
確かに今年の転校生は、昨年度の桜山とは大違いだった。
身長は約百七十五センチ。妙に腕と脚が長い。やせているので、もっと背が高く見える——眼の錯覚だけど。
なぜ「ジョシ」という生き物は、たかがそれだけで眼を輝かせることができるのだろう?
無闇やたらと腹立たしいではないか。
ぼくは、すべての男子以上に大きなため息をついた。
なぜなら、自慢じゃないけど、ぼくは小学六年男子の平均身長よりも約十センチ背が低く、平均体重よりも十五キロ重い。付け加えれば、強度の近視で、分厚いレンズのメガネをかけている。
モテる要素は、ゼロ。いや、マイナスばかりだ。
萱場先生は、チョークを手にして、黒板に書いた。
——不老翔太郎
「『フローショータロー君』です。みんな、仲良くしてあげてね」
変わった名前だ。いや、ぼくだって他人のことは言えないけど。
不老翔太郎は、教室内をもう一度見回して、礼をした。
「今度、転校して来た不老です。この学校も、この街のこともよく知りませんが、よろしくお願いします」
表情を変えずに、不老翔太郎は言い、教室を見回した。
その瞬間に、ジョシたちからため声が起こった——なぜかわからないけれど、とにかく悔しいし、腹立たしい。
「じゃあ不老君は、とりあえずゴキソ君の隣の席に座って……次の席替えまでは」
萱場先生が言うのとほとんど同時だった。
「えええっ!」
教室の「ジョシ」たちが一斉に不満の声を上げた。女子ほぼ全員の視線が、機関銃の銃弾のようにぼくを蜂の巣にした。
そう、「ゴキソ君」というのは、ぼくのことだ。教室では男子と女子が隣同士に座ることになっているのに、どうして転校生が男子のぼくの隣に来なければいけない?
なんてこった、と思った。しかし、ぼくが顔を上げてみんなを見やった。すると、すぐさまみんなは集中砲火をやめ、ぼくから視線をはずした。
いつものことだった。もう六年生になる。慣れているつもりだ。
けれど、ちょっと——いや、かなり悲しい。
突然に隣の転校生の声がした。
「ゴキソ君とは、珍しい名前だね。どんな字を書くの?」
ぼくは黙ったまま、指先で「御器所一」という文字を机に書いた。
「なるほど。よろしく」
何が「なるほど」だ、と思ったら、あろうことか、不老君は片手を差し出した。
ぼくは教室を見回した。またもや、教室中の女子の目線という銃口がぼくと不老翔太郎に向けられているのを痛いほど感じた。
が、不老君はとてつもなく鈍感なのか、にっこりと笑みを浮かべている——まさか、本気で「握手」をしようっていうのか?
ためらいがちに、右手を差し出した。
不老翔太郎は、大きい手でしっかりとぼくの手を握った。次の瞬間に、痛烈な女子たちの敵意と嫉妬を感じた。
「アフガニスタンに行ってたね」
突然に不老は言った。
「はぁ? アフガニスタンって……戦争やってるところ? 行くわけないじゃん」
「冗談だよ。そのくらい、理解して欲しいな」
いったい何だ、この不老というやつは。
しかもこのしゃべり方、ホントに六年生なのだろうか。
「君の家は実に面白そうだね」
ぎくり、とした。体が震えた。何も答えず、じっと上目づかいに不老を見返した。
「大家族だね。三人……いや、少なくとも四人の大人がいる。経済的には、とても豊かだ……かなりのお金持ちと言っていい。が、君自身はあまりその家が好きじゃないみたいだ」
「な、な、何勝手なこと言い出すんだよっ!」
うろたえながら、ぼくは行った。そのとき、萱場先生が配布した四月の予定と、時間割のプリントが回ってきた。
不老はさらに続けた。
「君の家ほどの生活水準なら、自分専用のパソコンがあってもおかしくない。けれど、少なくとも文章を書くときには手書きだね。使うのは、鉛筆。たぶん筆圧が強い。文章を書くことが好きで、さしずめ、将来の夢は『小説家』といったところで……どうかな?」
「へ? 『どうかな』って……?」
ぼくは完全に動揺していた。
「半分くらいは当たっていたかな」
半分どころじゃない。ほとんど全部正解だ。ぼくはちょっと恐ろしくなった。
「不老……君って、霊感か何かあるの? その……前世とか、オーラとか、守護霊とか……見えちゃう人?」
おどおどと言った。不老は教室中に響く声で笑い出した。
「そんな非科学的なものを信じると、本気で思っているのかい?」
思うも何も、今日が初対面じゃないか。
それ以上尋ねようとしたら、萱場先生の声が耳に入ってきた。
いつの間にか、プリントの説明が終わっていたようだ。
「はい、じゃあ、時間割通り、明日から真面目に勉強しましょ! ハイ、起立!」
萱場先生の号令で、なんとなくぼくたちは起立し、なんとなく礼をして、なんとなく「始業式」が終わってしまった。
「不老君、はじめまして。わたし、
いきなり割り込んできた声が、堂々と不老に向かって言う。
よほど自分に自信を持っていないと、こんな自己紹介をできないだろう。それができるのが、金銀河だ。
「綺麗な名前だね。『ウナ』というのは『銀河』と書くのかな」
金銀河は、昨年度後期、五年生ながら児童会副会長を務め、前期はもちろん学級委員だった。成績優秀。週に四日は私立中学受験のために塾に通い、残りの三日には家庭教師が家に来るという——まさに「THE 優等生」。
そして悔しいことに、ぼくは金の前では、ロクに言葉を話せなくなってしまう。妙に汗ばかりが出て、顔が熱くなるのを感じる。心拍数が上がる。なぜだかわからないけれど。
けれど、今の金の視界にぼくが入っていないことは、理解できる。
「そう! 不老君、よく知ってるね!」
腹立たしいではないか! 「銀河」と書いて「ウナ」と読むことくらい、ぼくだって四年生の頃から知っている。
でも、金の眼が、妙にキラキラと輝いて見えるのは気のせいか?
「不老君、どこに住んでるの?」
ぼくには、金銀河は一度だってこの質問したことがないのに。
もっとも、質問なんかしなくても、この街に住む人間なら、大半が知っているんだけれど。
不老翔太郎はためらわずに答えた。引っ越してきたばかりなのに、よく住所を覚えているものだ。そう感心したのも一瞬だけだ。
「あ、わたしの家に帰る途中だね。不老君、遊びに行っていい?」
なんという素早い展開。ア然として声も出ない。
「残念ながら、今日は先約があるんだ。御器所君の家に行くんだけど、銀河さんも来る?」
何度自分の耳の状態を疑っただろうか。
いったいぜんたい、いつこの転校生に、ぼくの家に来ることを許可した?
金銀河は、明らかに一歩半、後ずさった——ぼくは金銀河から眼をそらした。こういう場面に、いい加減に慣れてもいいはずだが。
確かに、金銀河がぼくの家に遊びに来てくれることを夢見たことが、一度や二度や三度や四度や……とにかく、何度か、ある。
が、それは不可能だ。金をぼくの家に入れるわけにいかない。
いや、それにこの不老だって、連れて行けるものか。
「ところで御器所君の家はどこなのかな?」
転校生だからこそ許される質問だ。
ぼくは、うつむいて答えた。
「今日、学校に来る途中にたぶんぼくの家の前を通ったと思うんだけどね……」
不老は眉間に皺を寄せるような顔つきになった。きっとそんな表情も、女子にとってはカッコよく見えるんだろう。そんなことを考えつつ、ぼくは金銀河を見やった。腹立たしいことに、その深くて黒い両眼で、じっと不老の顔を正面から見ていた。
悔しい。もっとも、最初からぼくは同じ土俵の上にすら乗っていないのだろうけど。
「見た覚えはないな……あ、そういうことか。あまりに大き過ぎるものは、かえって眼に入らない。謎とは往々にして単純なものだ」
なにが「謎」だよ。こいつ、何者だ?
「引っ越してきたとき、聞かなかった? ぼくの家のこと」
「僕は引っ越してきたばかりなんだ。どうして君の家のことがわかる?」
よく言うよ。たった今、家族のことから鉛筆のことから、当てまくったくせに。
教室を出たあと、なんとなくぼくと不老翔太郎は一緒に教室を出て、昇降口に向かった。
昇降口で、また金銀河と一緒になった。女子は何人かグループを作りたがるみたいだけど、金は違った。友だちは多いけれど、実際は一人で行動するほうが好きな様子だった。
「あっ、また……!」
その金銀河が、突然、小さな悲鳴のような声を上げた。
「どうしたの?」
ぼくが歩み寄るよりも先に、不老翔太郎が駆け寄っていた。
くそっ! 出遅れてしまった。
金は、おそるおそる一枚の紙切れを差し出した——もちろん、ぼくにではなく、転校生の不老翔太郎に。
金銀河は少し震えている様子だった。金のこんな姿を見るのは、はじめてだった。
不老はその紙切れをじっとにらんでいた。ぼくは一生懸命に背伸びをして、不老の横からその紙をのぞき込んだ。
「銀河さん、こんな紙が入っていたのは、はじめて?」
不老が言うと、金は首を振った。
「五年の秋くらいから、ときどき……」
ぼくに見えたのは、のたくったような線が並んだだけの紙だった。
「なんだか……落書きというか……暗号みたいだね」
ぼくは言った。
「何言ってんの! 『し』って書いてあるじゃない、こんなにたくさん!」
金が少しうるんだ眼でぼくをにらんだ。
ぼくは胸が締め付けられるような気分になった。どうしてぼくはこんなに不器用なのだろう?
金銀河を心配しているのは本気だ。けれど、その言葉が見つからなかった。
「確かに、脅迫文にも見えるし、暗号にも見える……」
不老はじっと紙切れを見つめた。
横書きで「1しししし」と読めた。もしかしたら一文字目も「し」だろうか——「ししししし」。
「きっと『死ね死ね死ね死ね』っていう意味なんだよ……」
金銀河は、小さな声で言った。
「『死ね』とは、穏やかじゃないね。何か心当たりは?」
不老が冷静に聞くと、金銀河は黙ったままかぶりを振った。
不老はぼくに顔を向けた。
「この学校では、去年からクラス替えはしていないんだったね」
「あ、そうか、犯人は去年の秋から、金をうらむようになった人間ってこと……だよね?」
不老はぼくの言葉を聞いていないのか、金銀河に問いを続けた。
「始業式の今日、靴箱に入っていた。つまり、差出人は銀河さんの新しい靴箱の位置を知っている。しかも、この手紙を入れたのは、銀河さんが登校してから今までのあいだ……始業式だから休み時間はない。銀河さんの靴の位置を確認するために、今日は学校に遅刻したか、あるいは逆に早退したか、どちらかだ」
「じゃ、そういう生徒を調べればいいんだ!」
ぼくは勢い込んで言った。が、不老は聞いているのかいないのか、ぼくに質問を返した。
「去年の夏くらいに転校してきた生徒はいるかな?」
「この街は、大きな会社がないけれど、町工場がたくさんあるし、結構、転校して行く子とか、転入してくる子が多いんだよ。そのなかで、今日、遅刻したか早退した人間を調べろっていうこと?」
「調べるのは男子だけでいい。これで容疑者は半分に減った」
「えっ? 犯人は男子?」
金銀河が顔を上げた。不安げなその顔に胸が高鳴る……いや、そんなことを考えている場合じゃなかった。
「どうして男子なんだよ?」
いらだちを不老にぶつけた。
「銀河さん、怖がらなくていいよ。これは脅迫状じゃない」
「じゃあ、暗号?」
ぼくの言葉は完全に無視された。不老は続けた。
「ラブレターだよ」
「ええっ?」
金銀河が、ほっぺたを真っ赤に染めた。やっぱりぼくの心臓は飛び跳ねる。
「とても残念なラブレターだけどね。字は汚いし、何より、差出人を書き忘れている」
「どうして暗号でラブレターなんて書かなきゃいけない?」
不老は冷ややかな笑みの混じった視線をぼくに向けた。
「わからないかな。これは暗号じゃない。れっきとした、ラブレター。鉛筆を貸してくれるかい?」
どうして自分のを使わない? と文句も言いたくなったが、金の前だから我慢した。不老に鉛筆を手渡した。
不老は、その紙に書かれた謎の文字の下に、こう書いた。
——I LUV U
「は? これ、何語? どこがラブレター?」
「英語に決まってるよ。『アイ・ラヴ・ユー』」
「だって『ラヴ』だったら……」
不老翔太郎は、あきれたような表情でぼくを見た。
「英語にもメールなどで使う略語がある。『LOVE』は『LUV』で、『YOU』は一文字で『U』。こんなラブレターを書くのは、英語に慣れた『帰国子女』か、単にカッコつけようとしている男か……いずれにせよ、自分の名前を書かないなんて、かなりツメが甘いというか、おっちょこちょいというか……そんな男子だね」
「あ……桜山君?」
唐突に金銀河が言った。
確かに、あいつがほんとうにボストン帰りの帰国子女なら、自分の名前を書き忘れそうだ。
「僕は桜山君という人物をよく知らないけれど、この紙はただのノートやレポート用紙じゃなくて、高価な便箋だ。桜山君が同じ便箋を持っていたら、間違いないだろうね」
「不老君……すごい!」
「銀河さんも、要らない心配をし続けて、つらかっただろうね。もう大丈夫だよ」
「ありがとう、不老君!」
おいおい、ちょっと待ていっ!
金の瞳がキラキラと輝いているように見えるのは気のせいか?
「じゃあ、僕と御器所君はここで失礼するよ。また、明日」
「うん、また明日ね!」
ぼくと不老翔太郎は、先に昇降口の階段を下りた。
なんだかよくわからないけど……とにかく、不愉快だ。
いつも強気で、まるで年上のような金銀河が、不老の前ではふつうの「ジョシ」みたいになってしまった。あたかも突如現れたヒーローにぞっこん、といった感じではないか。
はっと気づいた。
いつの間に、不老翔太郎という男は、金のことを「銀河さん」なんて下の名前で呼ぶようになった? 今日が初対面のはずなのに。ぼくなんか一度もそう呼んだことがないのに。
こんな理不尽なことがあっていいのか!
激しく憤りながら、ぼくは不老と一緒に校門を出た。
始業式なので、学校は十時過ぎには終わる。
携帯電話で自宅に電話した。
案の定、父さんも母さんも不在だった。ここ数ヶ月、父さんも母さんも家を留守にすることが多い。「仕事」が忙しい、ということらしいけれど。
電話に出たのは若水(わかみず)さんだった。
「若水さん? 一だけど、今から友だちを連れてっていい?」
「お坊ちゃん、珍しいですね。何人来られます? お菓子、用意しときますよ」
「いや、一人だけだから」
「ああ、それじゃあ、女の子ですか? じゃあ、ベッドメイキングのほうもちゃんと……」
「そんなんじゃないってばあっ!」
「では、一同でお待ちしてます」
「ちょ、ちょっとそれは勘弁して……!」
電話は切れていた。
あろうことか、不老はどこかしら不適な笑みを浮かべていた。
「実に面白そうな家だね。相手は『お坊ちゃん』と呼んでいたが、口の利き方からすると、いわゆる『執事』とか『召使い』みたいな立場の人物ではない。ふうむ……」
こいつ、人の電話を立ち聞きしていたのか。
いや、その前に、よく電話の会話が聞き取れたものだ。どんな聴覚をしているんだ?
不老翔太郎は腕組みをしながら、眉間に深い皺を寄せて、歩き続けた。視線は定まっていない。電柱にぶつかってくれないかな、と内心で期待した。が、残念ながら、不老翔太郎という男は、そんなミスをする人間じゃなかった。
「若水さんは、『若さん』だよ」
いい加減に面倒くさくなって言うと、不老は鋭い眼を僕に向けた。
「しっ、黙って。人の楽しみの邪魔をしてもらいたくない」
勝手に人の家庭を「楽しみ」にしないでくれ。
——と、思っているうちに、ぼくの家の正門に着いた。
ここ数分間ずっと歩いていた歩道沿いの壁は、ぼくの家の塀だった。ふつうの家よりもずっと高く、さらにその上に鉄条網が張られている。決して外から敷地内を覗き見ることはできない。
だから、不老が登校時に気づかなかったのも無理はない。
そして正門。高さ二・五メートル近い木製の両開きの扉のように見えるが、厚さ約十センチの頑丈なチタン合金でできている。もちろん防弾仕様だ。自動車が時速五十キロで突っ込んできても開かない扉だそうだが、幸いなことに、そんな事態は起こったことがない。
門の上のほう、下からは見えない死角に三台の監視カメラ。その他、あちらこちらに合計十三台のカメラが設置されている。
ぼくはインタホンのボタンを押した。もうすでにぼくと不老が来ていることは、監視カメラの映像で、若水さんたちは知っているはずだが。
インタホンが何も答えないうちに、音も立てずに扉がゆっくりと左右に開いた——
うわっちゃあ——もちろん声は出さなかったが。
八人のいかつい男の人が四人ずつ、二列に並んでいる。
「おかえりなさいませ、お坊ちゃん」
声をそろえて言い、一斉にお辞儀をした。
ああなんてこった。頭を抱えてしゃがみ込みそうになった。なんとか我慢したけれど。
右手の一番前にいる
「何なのこれ、若水さん」
「いえ、お坊ちゃんを無事に迎えるのが、若い衆の努めです」
と言って、小さくニヤリと笑った。
そのとき、不老翔太郎の存在を思い出した。
どうだ、これがぼくの家だ。文句があるか。
ちょっとした勝利感を抱きながら、不老を振り向くと、あろうことかニコニコと笑いながら若水さんにお辞儀をし、その後ろに控える「若い衆」にも一人一人会釈をしている。
若水さんはいつもダーク・スーツにストライプのネクタイという姿だが、背後の若い衆は、さまざまな衣装だ。
カンさんは、派手なアロハシャツ。髪型は見事な角刈りで決めている。
元力士だという超巨漢のキヨさんはスキンヘッドに、やっぱりアロハシャツ。
ハマさんは、黒いシャツの上に真っ赤なスーツ。ズボンは濃いブルー。これで黄色いネクタイでもしていたら、アニメの大泥棒キャラクターそっくりだ。
元プロボクサーのジンさんは、比較的まともな服装だ。「30」とプリントされたTシャツ姿。実は、とある女性歌手のファンで、いつも着ているのはライヴ会場限定販売のTシャツらしい。が、その頭は金色のモヒカン刈りだ。
同様に金髪だが、それをツンツンとハリネズミみたいに立てているのが、シンゾーさん。髪型に似合わず、いつも作務衣を着ている。
ゲンジさんは、いつもテカテカに固めた髪にピンストライプのスーツ、おもに赤系のネクタイを締めていて、だらしない姿を見たことがない。ちなみに、左手の指が一本ない——もちろん小指が。
最年少のノリ兄ちゃんは、スウェット姿だった。まだ十七歳。丸刈りにしている。一年前ほどから「我が家」で預かることになった。
実にわかりやすい外見の人たちだ。
「すると若水さん、あなたが『若頭』なんですね。僕はてっきり『若さん』と聞いて、ニックネームかと思ったんですが」
ああ、なんてことを言い出すんだ、この不老翔太郎という転校生は。こいつの辞書に「空気を読む」という言葉はないらしい。
一気に空気が殺気立った。
「オラ、このガキ! 若に謝らんかい! おどれ、お坊ちゃんのダチいうても、イチビっとったらドツキ回すど、ボケが!」
いちばんの武闘派のゲンジさんが眉を吊り上げ、身を乗り出した。
ぼくは全身が固まってしまった。最悪の事態を予想した。
ぼくは震える声で割り込んだ。
「ご、ご、ごめんね、ゲンジさん。この不老……君は、まだ何も知らない『カタギ』だから、今日のところは、ぼくに免じて……あの……『オトシマエ』、必ずつけさせるから……」
「な〜んちゃって!」
ゲンジさんが、ぼくの見たことのない笑顔を見せている。
不老には、いっこうに驚いた様子はなかった。頭を深々と下げ、若水さんにも頭を下げた。
「たいへん失礼しました。御器所君の言うとおりです。無礼を心から謝罪します」
次の瞬間、若い衆全員から、大爆笑が起きた。
まったく、勘弁してよ……心のなかでつぶやく。
それに加えて、はるか大昔の昭和時代のギャグを、平成十年代生まれのぼくたちに言わないでよ、ゲンジさん……。
ひとしきり笑ったあと、若水さんが言った。
「いやあ、少々、冗談が過ぎました。こちらのお友だち……不老君、ですか。気に入りましたよ。腹が据わってる。なかなかのタマですね。さすがお坊ちゃんだ。人を見る眼がありますね」
いや、この転校生が強引についてきただけなんだけど。
すると、不老が口を挟んだ。
「若水さんは、コーヒーよりも紅茶よりも、日本茶がお好きですね。それから——」
まだ何か言うのかよ? と思っているうちに、不老は、組内いちばんの武闘派にして昭和時代の「THE ヤクザ」ゲンジさんに向かって、頭を下げていた。
「ほんとうは関西のご出身じゃありませんね」
うわっちゃあ。何を言い出すんだ。もう限界だ。
「へえ、おもろいこと言わはる子ぉや。どないして、そう考えはったんです?」
ぼくは逃げるように不老の背中を押して、母屋に向かった。
「それはあとで教えるから!」
母屋は一階と二階が事務所になっている。玄関に入るやいなや、不老は、
「あれ? てっきり『任侠道』なんて書いた額がかかってると思っていたよ」
「そんなもの、ないよ!」
実は、べつの部屋に、ほんとうにあるんだけど。
事務所の代紋の上に堂々とかかっている。ついでに言うと、虎の皮の絨毯の敷いてある部屋だ。が、そんな事実を、どうしてこんなにおかしな転校生にわざわざ白状しなきゃいけない?
ぼくの部屋は、母屋の三階の奥にあった。
広さは十二畳。勉強机の隣に本棚が二つ並んで立っている。パソコンデスクもある。そして、セミダブルのベッド。
恵まれた環境だとは、思う。
父さんも母さんも、とてもいい親だ。一緒に暮らしている「若い衆」も、見かけはあんなふうだが、いい人たちだ。
しかし、それでもこの家は、この街で戦前から代々続く「御器所組」の本部だ。
そしてぼくは「御器所一家」三代目組長の長男だ。
「さすが、ベッドの質感も違うね。低反発素材かな? もっとも、僕は布団でしか寝たことがないけど」
いつの間にか、勝手に不老がベッドに腰掛けている。
「そこの本棚、君が買った本なのかい?」
「うん、そうだけど」
ぼくの身長よりずっと高い本棚には、ハードカバーから文庫本までぎっしりと並んでいる。
「興味深いね。本棚は、その人の人格を表す。児童書がほとんどないし、図鑑もない」
「そういう本は、学校の図書室にあるから……」
「実に論理的だ」
なんだろう、この不老翔太郎というやつの発する「不愉快な感じ」は。
「混沌と秩序の同居……とても興味深い。山本周五郎の隣に、ウィリアム・アイリッシュ。そして……えっ? ドゥーガル・ディクソン、スティーヴン・ジェイ・グールドと進化生物学が来て……次は藤沢周平? そしてG・K・チェスタトン、アガサ・クリスティ、やっと江戸川乱歩か。『怪人二十面相』に『少年探偵団』とは実に順当だ。『盲獣』だったら驚くけどね。そして次がレイモンド・チャンドラーか……ふうん」
「もういいじゃないか、プライバシーの侵害だよ」
「あっ、小栗(おぐり)蟲太郎(むしたろう)の『黒死館殺人事件』! 読んだのかい?」
「いや、その辺の本はまだ……」
「当然だね。小学生には早過ぎる」
不老だって六年生だろうが! この転校生を家に連れてきたことを、つくづく後悔した。
「全体のどのくらいを読んだんだい?」
「えーと、四分の三……くらいかな?」
「なるほど。すると……このディック・フランシス『利腕』の辺りまでかな」
ぎくり、とした。まさにそのとおりだった。ぼくは何も返事できず。自分のデスクの前の椅子に座り込んだ。
いったいぜんたい、不老翔太郎って何者だ?
「四分の三を読んだなら、残りの四分の一も早く読んだほうがいい。小栗蟲太郎は、もっとあとでいいと思うけどね」
余計なお世話だ、と思ったそのとき、ドアをノックする音がした。
返事をして開けた。
そこには、アイリーンさんが銀色の盆を持って立っていた。
お盆の上には、二つのコーヒーカップと、二つのブルーベリー・タルト。
が、不老翔太郎の関心事は、もちろんお菓子ではなかった。眼の前に立っている金髪美人だろう。身長は不老より少し低くて、約百六十センチ強。金髪がまぶしいほどだ。長袖のワンピース姿だけど、胸元は大きく開いている。
「ありがとう、アイリーンさん」
ぼくは熱い視線を銀のお盆の上に向けながら、それを受け取った。アイリーンさんは、生まれつきなのか右脚を少し引きずって歩く。だから、手助けしたのだ——決して、今すぐブルーベリー・タルトにありつきたかったわけではない。
デスクにお盆を置くと、アイリーンさんがにこやかに不老に声をかけた。
「お坊ちゃんのお友だちね。はじめまして、アイリーンです。あなたのお名前は?」
「不老翔太郎といいます。日本語、お上手ですね」
あろうことか、不老は片手を差し出し、アイリーンさんの手を握った。アイリーンさんも、しっかりと不老の手を握り返した——ぼくだってアイリーンさんに指一本触れたことなんかない。
「日本で覚えました」
次に不老が発した言葉に、耳を疑った。
「You have been in Afghanistan, I perceive.」
へ? 今のは英語? 何を言い出したんだ? この男のアタマの歯車は確実にズレている。「アフガニスタン」と聞こえたのは、気のせいか?
まったく、どうしてこんなやつを自宅に連れて来てしまったんだろう。激しく後悔した。
が、アイリーンさんの顔色が変わっていた。
「How the hell did you know that?」
アイリーンさんは不老から眼をそらし、そそくさと部屋から出て行ってしまった。
「嫌われたね」
「アイリーンという名前だから、てっきり冗談がわかってくれると思ったら……冗談じゃなかったみたいだ。アイリーンさんは、どんな人なんだい?」
やっぱりセクシーな金髪美人に興味があるんじゃないか、と言おうと思ったが、口にはしなかった。
「ええと、若水さんの……」
「奥さん?」
「じゃないんだけど……」
「ははあ、『子どもは知らなくていい』ということか。だったら、若水さんのカノジョということにしておこう」
とりあえずほっとした。こいつ、何を言い出すかわからない。
「それよりも、これまでのことを説明してよ」
ぼくは、さっそくブルーベリー・タルトを口にした。舌の上に載せた瞬間に、トロける。たまらない味だ。
「まず……どうして、ぼくの家にたくさんの大人がいることに気づいたのかってこと」
「匂いだよ」
そう言いながら、まず不老はカップを手にした。紅茶の香りを嗅いだ。
「ダージリン。しかも……ウィスキーがスプーン半分ほど入っている。君の家ではいつもこんな紅茶を飲んでいるのかい」
そういう妙なしゃべり方はなんとかならないのか、と思いながら、ぼくはうなずいた。
「君の着ているカーディガンから、煙草の匂いがしたんだ」
「それだけ?」
「少なくとも四種類の煙草の匂いが混じっていた。だから、君の家には少なくとも四人の大人がいる、と考えた。もちろん、中学生か高校生のお兄さんかお姉さん……いや、君自身が喫煙者である可能性も否定できないが、彼らはふつう、こっそりと吸うだろう。朝から煙草の匂いをプンプンさせているのは、自宅に愛煙家が少なくとも四人いる、ということだ」
拍子抜けした。とてつもない霊感か何かの持ち主かと思ったのに。
「じゃ、ぼくの家が、えーと……経済的に豊かだっていうのは?」
「君のバッグを見れば一目瞭然だろう? デカデカと『L』と『V』のブランドのロゴが描かれているんだから。もっとも、コピー製品でなければ、だけどね」
これもまた、拍子抜けだ。それに気づかなかった自分自身のほうが、とてもカッコ悪く思える。ふと、金銀河の姿が眼に浮かんだ。
「じゃ、今日は偶然、たまたまわかったわけだ。明日からはランドセルだ。だったら、わからなかったハズだね」
「いいや、そこにある君のランドセルでも、同じことさ」
平然と不老翔太郎は言い放った。
「いいかい? 僕らは今日から六年生だ」
「当たり前じゃないか」
ぼくのブルーベリー・タルトはもう腹に収まってしまった。けれど、不老はまだ一口しか食べていない。ぼくは紅茶に角砂糖を四個入れて、スプーンでかき混ぜた。
「糖分は脳の働きを活発にさせるが、さすがに君の場合は減らしたほうがいいと思うよ」
ぼくはムッとして、話題を戻した。
「ランドセルがどうしたって?」
「僕らは六年生なんだよ」
「それは聞いた」
「ひょっとしたら君のような良家のご子息はご存じないかもしれないから、教えてあげよう。ふつう、ランドセルは六年間使うんだ。僕のだってそう。六年も使えば、傷ついたり汚れたりする。しかし、そこにあるのは、かなり新しい。まだ一、二年しか使っていないようだ。つまり小学生時代に、二つ……あるいはそれ以上のランドセルを買い換えてもらえる経済力があるお家柄の人だってことだ」
ぼくはティーカップを置いた。
そんなことを、考えたことがなかった。
確かに、ぼくは二年に一度ずつ、新しいランドセルを買ってもらっていた。今のランドセルは五年生に上がるときに買ってもらった三代目だ。
ぼくは、自分の家がほかの子たちと違うということを、痛いほどわかっていたはずだ。
ぼくだけが、腫れ物に触るように扱われるとき……ぼくだけが、特別な眼線で見られるとき……ぼくは自分こそがいちばんの「被害者」のように感じていた。
確かに、ぼくはほかの生徒たちとは違う。
けれど、その「違い」というのは、とても恵まれた「違い」なのだろうか。
「実は、ブルーベリーって、苦手なんだよ。食べかけで悪いけど、食べるかい?」
不老はそう言って、たった一口しかかじっていないブルーベリー・タルトの皿を差し出した。
もちろん、ありがたくいただく。フォークで突き刺すのももどかしく、ほおばった。
「パソコンとか鉛筆とか、あの話は?」
口をもぐつかせながらぼくは尋ねた。
「君の右手だよ。今どきの小学生には珍しく、中指に『ペンだこ』がある。実に貴重だ。今どきの小学生は『ペンだこ』なんて知らないだろうけど」
不老翔太郎だって「今どきの小学生」だろうが、という言葉を、ぼくはブルーベリー・タルトと一緒に飲み込んだ——甘さと酸味のバランスが素晴らしすぎる。
「今どき、パソコンで文章を書くのは当たり前だ。でも、君にはペンだこがあった——しかもかなり大きなものが。学校の授業だけで、こんなペンだこができるはずがない。つまり、君は自分で好きな文章を——たぶん家で書いているんだろう」
確かに不老の言うことは正しかった。
「しかしそれは、日記なんかじゃない。ふつう、今どきの小学生の日記だったら、横書きだろうからね」
だから、不老だって「今どきの小学生」だってば。
「君の右手の小指の側面から手首近くにかけて、黒くなっている。右利きの人間が縦書きで書くと、どうしてもその部分が汚れてしまう。けれど、今日は始業式。作文を書かされたわけじゃない。つまり、君は学校に来る前の朝早くから、何かを『縦書き』で書いていた。朝に日記を書くことはあり得ない。宿題の作文なんかがあるはずもない。当然、自分の意志で何か書いていた。『縦書き』なら、おそらくは小説だろう。もっとも、最近は横書きの携帯小説が流行しているけれど、わざわざ鉛筆で横書きの小説を書く人はいないんじゃないかな」
ずばり正解だった。こう何もかも言い当てられると、腹立たしくなってきた。
さらに不老翔太郎は続けた。
「君のペンケースには、シャープペンシルが一本もなかった。それに、入っていた鉛筆がみんな『H』だった。ふつう、僕らが使うのは『HB』か『B』……人によっては『2B』が多い。『H』ほど固い——薄い色の鉛筆を使うのは、ふだんはかなり筆圧が高く、みんなの使う『HB』では、まっ黒になってしまうから。シャープペンシルにも『H』の芯はあるけど、もともと筆圧が高い人間が使ったら、芯がしょっちゅう折れて、使いものにならない……というところかな」
もう何も言えなかった。まさに不老の言ったとおりだった。
ぼくは不老のブルーベリー・タルトをすべて食べ尽くした。ぼくの脳も多少は活発になっているのだろうか。
「若水さんのことは、どうしてわかったの?」
不老は冷めかけた紅茶を飲みほした。
「初歩的なことだよ、御器所君」
不老は「にやり」と笑ったが、不愉快な気分になっただけだ。
なんだ、こいつ。そんな思いがいっそう強まった。
不老は、何かに失望したかのようにカップをお盆の上に載せた。
「やっぱり匂いだよ。若水さんのスーツからは煙草の匂いがしなかった。たぶん、煙草を吸わないんだろうね。だから、上質の玉露の匂いを感じることができた」
「じゃ、ゲンジさんは? 初対面なのに、どうして関西人じゃない、ってわかったの?」
「ほほう、君は、今まであの人が関西人だと信じていたのかい?」
なにが「ほほう」だ。小学六年の言う台詞か?——と思いながら、うなずいていた。
「『関西』といっても広い。大阪、兵庫、京都、奈良、滋賀……和歌山や三重も入るかもしれない。それぞれお国言葉は違う。ゲンジさんが僕に向かって怒鳴った言葉は、特定の地方の方言ではなく、『どこかで聞いたことがある関西弁みたいな言葉』だった。おそらく『大阪弁』をしゃべっていたつもりだったんだろうけどね。しかし、大阪府内でも、地域によって微妙に違う。一般に『大阪弁』と呼ばれる方言には三種類あると言われているんだ。だから、この人はほんとうは関西出身じゃなくて『関西人を演じている』んだな、とすぐにわかったよ」
「うーん」
気づいたら、角砂糖四個入りの紅茶も飲み干していた。
「あのさ、ぼくのことは充分よぉくわかってくれたと思うけど、ぼくは不老君のこと、まだ全然わからないんだよ。少しは話を聞かせて……」
言いかけると、不老はさえぎった。
「ぼくの話なんて面白くないよ。それより——」
言いかけたときだった。ぼくの携帯電話が振動した。
発信者を見て、固まった。
登録はしてあるが、一度もかけたことがない。一度もかかってきたことがない。
「出なくていいのかい?」
不老の声に我に返った。せき払いを三回くらいした。そして、深呼吸。
いきなり、不老が笑いながら言った。
「なるほど、金銀河さんからの電話だね。早く出たほうがいい」
まったくなんてこった、と思った。ご名答。
意を決してボタンを押した。
「もしもし、御器所だけど……」
「あ、わたし、金だけど」
金銀河の声は、どこかうわずっているように聞こえた。
「あの……えー、元気?」
さっきまで学校で会っていたのだから、バカげた質問だった。
「つまりその……なんていうか、珍しいよね、電話なんて」
ぼくはできるだけ落ち着いた声を演じた。
しかし、携帯電話から聞こえてきたのは、金銀河からのあり得ない質問だった。
「ねえ、今そこに不老君、いる?」
「へえっ?」
聞き間違いか? ぼくは間の抜けた声しか出せなかった。
「だから、今、そこに不老翔太郎君がいるの?」
まったくもってほんとうになんてこった……腰が砕けそうになる。
「確かに、いるよ……眼の前に。だけど——」
「不老君に代わって!」
「へえっ? どうして?」
「グダグダ言わないでとっとと不老君に代わりなさい! 事件なのっ!」
「事件?」
訊き返すと、不老はぼくから携帯電話をひったくった。
不老翔太郎という男、ほんとうに金銀河の「ヒーロー」になってしまったのだろうか?
つくづく泣きたい気分だった。
「ヒーローの研究」完
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます