第115話 カトレア
夜から降り出した雪は次の日の昼になっても止むことを知らず、フィラディルフィアを白く塗り潰そうとしていた。
アルーラ城の最上階、地上から高さ100mに位置する謁見の間。
横30m、縦50mとその空間は走り回れるほど広大だ。一面黄金でできた天井は花や鳥の形に彫刻が施され、シャンデリアがいくつか吊るされている。天井の中央には円形の虹を模したステンドグラスがあり、光を7つの色に着色して屋内に取り込んでいる。
部屋の出入り口を除く三方の壁がアーチ型にいくつも切り抜かれており、外の景色がよく見通せた。
五代目女王カトレアは、アーチ状の切り抜きから続くバルコニーで、白い息を吐きながら街を見下ろしていた。雪化粧された街を鑑賞しているわけではない。焦燥感からくる苛立ちで、茹でた玉子の如く熱された頭を冷やそうとしていたのだ。
『一体如何ほど予定を遅らせれば気が済むのだ? 本来であればアノフリタス渓谷までドロップスカイの増設は完了していたはずだが?』
と、カトレアは脳内で語るが、一人で考え事をしているのとは違う。
『も、申し訳ありません。女王陛下』
魔法石による『
『着工時はバミューダ手前まで進んでいる計画だったというのに。遅れに遅れて、ついに渓谷までも工事が間に合わぬか』
『もうし――』
『繰り言は好かぬ。失態に対して、いかにして挽回する腹積もりかだけ述べよ』
『えと、その、工事体制は既に限界まで切り詰めておりまして、作業員は食って寝るだけの生活で、その睡眠時間すらも削っていまして、これ以上は……』
「ふん」
カトレアから呆れが籠もった息が漏れる。
『何を悩む必要がある。就寝の時間を無くせばよいだけではないか』
『ッ!』
『質の良い料理関係のチート能力を用いれば、2日は眠ることなく作業が行えるだろうて』
『お言葉ですが陛下! そんなことをすればが暴動が起きかねませんよ!』
『ならば、反逆の種がある者たちにはこう伝えよ。生か死か、好きな方を選べとな』
『お、お待ちくだ――』
『問答はこれまでだ』
カトレアが『精神感応』を切断した。
「ふん」
不満げな鼻息を一つ鳴らすと、バルコニーから謁見の間へと戻る。
外の寒さに反して謁見の間は暖かい。これほど開放的な空間であるにも関わらず部屋が暖かい理由は、二つのチート能力にある。一つは『
カトレアは謁見の間にある玉座に、腰を降ろした。
足を組んで黒地に赤の入ったドレスを揺らし、手の甲で頬杖をする。面持ちは声をかけるのが躊躇われるほど剣呑で近づき難く、つり目は普段よりも険しさを増していた。
カトレアは焦っていた。
国から魔人に対する恐怖心が薄れていることに。
魔人との最後の戦いから25年余り。その年月は確実に人々から魔人の記憶を奪っている。
西区の4割以上の建物が全壊したことも、北区や南区も決して小さくない被害が出たことも、多くの人間が命を落とし、家族を失い友人を失い恋人を失い人生が狂わされた者がいることも。
無かったことになりつつある。
先程のドロップスカイの件は、それがよくわかる代表的な例だろう。
工事の進行スピードがどんどん遅くなっている。国が莫大な額を支払って労働者を増やしているのにも関わらずだ。
原因は魔人に対する危機感の喪失。これに尽きる。
ドロップスカイも建設を始めたばかりの頃は、魔人に復讐せんと志熱き者たちが多勢いたが、今となってはその意思も長きに渡る平穏で冷めてきている。
25年は長い。
戦後に産まれた者がちょうど社会で活躍し始め、世を動かす主役になりつつある時期だ。一方で魔人と最前線で戦っていた30代前後の戦士たちは50を過ぎ前線から退いていっている。
魔人を知らない世代が、社会の中心になろうとしているのだ。
実際に、「魔人なんて襲ってこないのに、ドロップスカイの建設は税金の無駄遣いでしかない」と主張する国民まで現れるほど、その傾向が顕著になってきている。
打倒魔人を掲げるカトレアをかつては多くの人々が支持していたが、その数は年々減り続けている流れだ。
カトレアの三つ編みのカチューシャで短くまとめられた紫色の髪の上でティアラが虚しく光る。
カトレアはわずかに顎を上げて、天井に設けられた虹のステンドグラスを見やる。
キリスト教において、虹は神のメッセージ、洪水が肉なる者を滅ぼすことは決してないという神からの契約の徴であるとされている。
その話を知っていたカトレアは、神が自分たち人間を守ってくれるようにと願い、天井に虹のステンドグラスを設けた。
神よ、どうか我々に魔人という洪水を消し去るチート能力を授けたまえ。
ステンドグラスが目に映る度に、カトレアはそう願わずはいられなかった。
「女王陛下! ルーノール様が御成りになりました!」
扉の向こうから騎士の声が響き、カトレアは「通せ」と答えた。
人が10は並んで歩いても余裕で通れるであろう幅を持つ大きな両開きの扉が、騎士たちによって開かれた。
謁見の間に、初老の男が入ってきた。灰色味を帯びた白い鎧を着ており、髪は赤色のオールバックで鼻と口の間に髭を生やしている。
人類最強の男、ルーノール・カスケードである。
ルーノールはカトレアの前まで歩くと、跪いて頭を垂れた。
「ジャイアントサンドワームおよびグランドエント、トリフリックバジリスク、クラーケンの討伐の任を果たし、帰参つかまつりました」
「面を上げよ」
カトレアに言われ、ルーノールはその金色の瞳を前に向ける。
労いの言葉でもかけるであろう場面だが、カトレアの頭にあるのは一点だけだった。
「して、レベルは上がったか?」
「いいえ、レベル777から変わっておりませぬ」
「ッ!」
カトレアの目元が引き攣る。
「変わっておらぬだと……ふざけたことをぬかすでない!」
突如、激昂して立ち上がるカトレア。
「ワイバーンよりも強力なモンスターをそれだけ斃しておきながら何の成果も得られなかったと申すか! 貴様、真に己の力のみでモンスターと対峙したのか! パーティの助勢を得たのではないか?!」
「……そうお思いになられますか?」
「ぐっ……」
ルーノールが自分のパートナーとなって25年が経つ。カトレアは十分過ぎるほどルーノールがどんな人間かわかっていた。
決して我が身可愛さに手を抜く卑怯な男ではない。鍛錬であろうと命懸けでこなす男。故に、人類最強なのだ。
わかっている。レベルは高くなればなるほど、次のレベルに至るまでの道のりが長くなる。
わかっているのだ。
しかし、それ以上に焦りの感情が大きく、理性的になれない。
魔人。
人間よりも遥かに高い戦闘力を持った存在で、雑兵クラスでも勇者に匹敵する。中でも、とりわけ別次元の強さを有しているのが魔人ガイゼルクエイス、魔人エーアーン、魔人アクアリットである。76年前にバミューダを襲ったアクアリットに関してはカトレアも歴史書でしか知らないが、ガイゼルクエイスとエーアーンは自身の眼に焼き付けたためよく知っていた。奴らに生半可な攻撃は通じない。そして、今現在、有効な一撃を与えられるのはルーノールしかいない。
そう、頼れるのはこの男しかいないのだ。
雑兵の相手をする程度であれば、ドロップスカイとここまで育て上げてきた騎士団で十分対応は可能だ。だが、トップに君臨する魔人を前には赤子同然。
過去には魔人エーアーンと善戦を繰り広げられるほどの猛者――四大勇者の一人で最強の弓使いであったアディール・シャンがいたが、彼女も最後には殉じてしまった。
だからこそ、どうしてもルーノールには今よりも強くなってもらい、確実に最上位クラスの魔人三人を一人で討ち取ってもらう必要があるのだ。場合によっては三人同時に相手をしなければならない可能性もあるだろう。ルーノールには絶対的な強さが求められる。
カトレアは国を守るため、女王として、ルーノールの主人として、次の命令を口にしようとした。
すると、
「同行者らに旅の支度をさせた後、自らの足でモンスターを探しに出立します」
カトレアが伝えようとした内容を、そっくりそのままルーノールが声に出した。
「……よくわかっておるではないか」
「陛下のパートナーであれば当然のことであります。それに、私とて内にある思いは同じ。そのために私は今日まで剣を握ってきたのです」
「……ふん、ならば往くがいい。人類の守護神よ」
ルーノールは踵を返し、謁見の間を後にした。
*
「お……ろ……らくじかん……おき……」
「……ん……」
眠っていた渡辺が、呼びかけによって目を覚ます。
アルカトラズのベッドの上。
あれから、渡辺はまた牢獄に入れられてしまっていた。
まだ『回復魔法』の反動が残っており、目覚めの気分は最悪だ。
「起きたか? 起きたなら、お仕事の時間だ」
鉄格子の向こうにいた男が、牢獄の鍵を開けながら言った。
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