第114話 冬の到来

 今夜は一段と冷えるわね……。


 バーから出てきたレイヤの肌は、バーと外の温度差を敏感に感じ取っていた。

 口からも、冬を象徴する白い息が零れる。

 体の訴えに従い、レイヤは魔法石の『道具収納アイテムボックス』でマフラーを取り出すと首に巻いた。


 マフラーにまで臭いを付けたくはなかったが、この刺すような寒さでは仕方がなかった。家に帰ったら、彼に洗濯してもらおう。

 彼女はそう思案しつつ、夜道を歩いた。


 レイヤの家は、渡辺やオルガたちよりも街の内側にあり、大通りから外れて入り組んだ住宅街の中にある。


 大通りでは国が設けたいくらかの街灯が道を頼りなく照らしている。

 渡辺らが暮らしていた日本の都心部のように満遍なく街灯があるわけではなく、暗闇を少し間に挟んで一定の間隔で設置されている。

 日本の基準で言えば人通りの少ない田舎道にあたるが、異世界ではこれが都心部の基準だった。

 なので、レイヤも特別暗いとは思わない。


 しかし、大通りから一歩、横の小道に入れば別だ。途端に、足元の石ころすらも視認できない暗黒の世界に包まれてしまう。

 今の時間は、多くの家が床に入るため家の明かりは少なく、月明かりも木造の家々に阻まれてしまっている。

 『炎魔法ファイア マジック』でもあれば明るくできるのだろうが、レイヤはその能力を持っていないし、魔法石も無い。


 「明かり、お願いできるかしら」


 「おう、こんな夜遅くに帰宅とは珍しいな、レイヤ」


 そこで頼りになるのが、カンテラ持ちの彼である。

 小道の番人であるかの如く、道の脇で体格の良い男がカンテラを傍らにドッカリと座っている。カンテラ持ちは異世界ウォールガイヤにある仕事の一つで、こういった暗い夜道をカンテラの光で照らして、目的の場所までついてきてくれるのだ。


 「バーで少し話し込んじゃってね」


 「おお? 男か? こんな美人さんと飲み交わせるなんて、羨ましいこったなあ」


 「もー、そんなんじゃないわよ」


 いつもの調子で会話し、男と共にレイヤは自宅へ向かう。


 明かりは重要だ。

 それだけで、犯罪者に狙われる確率が下がることは渡辺たちがいた世界でも証明されている。

 加えて、カンテラ持ちは腕っぷしも強い。カンテラ持ちの職に就ける者は討伐クエストである程度実績を積んだ者に限定されるためだ。まさに、提灯持ちは夜の頼れるボディガードなのである。

 もっとも、強さに関してはレイヤの方が上だが。



 「んっ……」


 小道を歩く途中。女性のよがり声が耳に入った。


 「ヤッてるわね」

 「ヤッてんな」


 レイヤと男は小声で言うと、踵を返して来た道を戻り、別の道へと向かった。


 「寒空の下でよくやるよなあ」


 「あれ、絶対風邪引くコースよね」


 あっけらかんと話す二人。

 この国では別段珍しいことじゃない。このぐらいの時間になると、お盛んな主人とパートナーが屋外で行為に励んでいることが間々ある。

 渡辺たちの世界では通報案件だが、この世界では通報しても意味がない。王国自体、この行為を容認しているのだ。


 よくある日常の1ページ、記憶にも残らない。

 だが、その日常に対して、レイヤははたと思い出す。


 そういえば、サポートしてきた転生者たちの多くは驚いていたっけ。

 『うっそ! こんなところで?!』『通報すべきでは?』『人目につかない場所ならまだしも、道端で堂々とやりますか普通』

 私にとっては、勝手にすればって感じなんだけれど。


 「……やっぱり、根っこから感覚がズレてるのかしらね……」


 「ん? 何か言ったか?」


 「あ、ううん、なんでもない」



 無事に自宅前に着いたレイヤは、代金を支払って男と別れた。


 レイヤの家は、一昔前の日本の木造家屋といった外観だ。二階建てで、小さな庭もある。

 騎士団に所属し、さらにはパートナーと協力して転生者サポート業も行っているので、そこそこに財があり、良い暮らしをしている。


 「ただいまー」


 レイヤがガラガラと戸を開けて中に入ると、薪ストーブによって暖められた空気がレイヤの頬を撫でた。

 同じタイミングで奥の台所から、眼鏡をかけた黒い短髪の上背がある男が出てくる。


 「おかりなさい、レイヤさん。帰り遅かったですね」


 落ち着いた声で語る男のエプロン姿と腕を捲っている様子を見て、レイヤは察する。


 「コウク君、遅くなってごめんなさい。もう先に食べちゃったわよね」


 「すみません、清十郎のヤツにせっつかれて」


 「いいのよ、予定してた時間よりも遅く帰ってきたのは私なんだし。あ、匂いからして今夜はカレーね」


 「お! やっと帰ってきやがったなババア!」


 そこに、別の部屋から茶髪の天然パーマの男が大きな声を浴びせてくる。


 「アイタッ!」


 その男にコウクが素早く近づいて、身長差のなせる技である頭頂部への拳骨を繰り出した。


 「ババアじゃないだろ清十郎、レイヤさんと呼べといつも言っているだろう」


 「うるせーな。俺より10上の女は全員ババアなんだよ」


 「お前なぁ……」


 口を尖らせる清十郎と嘆息するコウク。

 そんな二人を見て、レイヤは微笑む。


 うん、一週間ぶりの我が家って感じね。


 清十郎とコウクは、レイヤのパートナーだ。

 清十郎とはまだ二年の付き合いだが、コウクは10年と長い。


 「もう少し素直になったらどうだ? 帰ってくる前まではレイヤさんがクエストで怪我していなかとか、帰る途中で通り魔に襲われたりしてないかとか心配してたじゃないか」


 「は?! ばっ! してねーし!」


 慌てて否定する清十郎の頬は少しばかり赤い。


 「え、そうなの? 良い子だとは思ってたけど、やっぱり良い子ね」


 「あのなぁ!――」


 「そうそう、コウク君、今着てる鎧と服なんだけど、モンスターの臭いが残ってるのよね。洗っておいてもらえるかしら」


 文句を言いたげな清十郎を放って、レイヤは話を進める。


 「わかりました、タワシでやっておきます。そうなると、晩御飯より先にお風呂ですかね」


 「だね」


 「それじゃあ、僕はお風呂の準備をしてきますね」


 「洗濯にお風呂までお願いしちゃって悪いわね」


 「気にしないでください。今はサポートする転生者もいなくて、逆に仕事をやり足りないくらいなんです。それに僕はレイヤさんのパートナーですからね」


 言って、コウクは浴槽の下にある薪に火を付けに、裏口へと向かって行った。


 「ふぅー」


 外と比べて中は暑いわね。

 冬の寒さに慣れたレイヤの体は、家の中の温度を夏のように感じていた。

 なので、レイヤはマフラーを外し、鎧を脱ぎ、鎧の下に来ていた鎖帷子とキルティング生地の服も脱ぐ。

 そして、ブラジャーとショーツのみという、目のやり場に困る下着姿に早変わりする。


 「って、おい! こんなところで脱ぐなよ!」


 「えー、だってこれだけ臭うもの洗濯かごの中に入れたら他の服に臭い移っちゃうし」


 「そういうこと言ってんじゃねぇ! 男の俺がいる前で、んな格好すんなよ!」


 清十郎は頬をより赤く染め、後ろを振り返ってレイヤから目を背ける。


 レイヤは結構良いスタイルだったりする。

 すらっとした首、男の視線を誘うS字の背。体型に合った腎部がこれみよがしに突き出ており、胸も特別大きくもなければ小さくもないと収まりが良い。

 大概の男がレイヤの今の姿を見れば、邪な感情を抱いてしまうだろう。


 恥ずかしがっている清十郎を見て、レイヤはニヤニヤとする。


 「なーに? もしかしてババア相手に照れちゃってるの?」


 「照れてねぇ! さっさと風呂入ってけよ!」


 「もう! 可愛いんだから!」


 レイヤが清十郎に後ろから抱きつき、片手で頭をワシャワシャと撫でる。


 「だーっ! やめろって!」


 清十郎は髪型を乱されること以上に、背中に当たる柔らかな感触が恥ずかしくて逃れようとするが、力はレイヤの方が上なので逃れられなかった。


 レイヤは顔を真っ赤にしている清十郎にほっこりする。


 このぐらいの男の子はまだまだウブで可愛いわね。18歳。私もそのぐらいの歳はこんな感じだったかしら。

 18……。


 ふと、レイヤは渡辺のこと思い出す。


 ……あの子も年相応に笑ったり照れたりするけれど、怒ったときが違うのよね……。


 レイヤの脳裏で一週間前に見た渡辺の表情が蘇り、その表情がかつて見た千頭の表情と重なる。


 「……ねぇ、清十郎」


 「なんだよ!」


 「帰る途中でね、性交してる人たちがいたんだ」


 「あ? それがどうかしたのか?」


 「んー、どうもしないよ、それだけ」


 「はぁ? 意味わかんねー、オチがあるわけじゃねぇのかよ」


 「そっ、オチはなし。ただあったんだーって言いたかっただけ。それじゃ、私はお風呂入ってくるわね」


 腑に落ちない清十郎を一人残して、レイヤは脱衣所に入って行った。


 「……変なババア」


 普段とはどこか様子の違うレイヤに違和感を覚える清十郎であったが、思い過ごしだと考えて、その場は流すことにしたのだった。



 *



 「はふー」


 肩まで湯船に浸かり、気の抜けた声を出すレイヤ。


 油障子越しに「湯加減はどうですか?」とコウクの声が聞こえ、レイヤはちょうど良いと答える。

 長い戦いで固く結ばれてしまった筋繊維を温かな湯が優しく解いてくれるおかげで、疲れ切った肉体に活力が溢れつつある。


 しかし、どこか冷える。


 ……亮くん。

 ……私ってばダメね。あの人の名前を聞くだけで、考えが落ち着かなくなっちゃう……やっぱり私は……あの人に恋をしてしまっているんだ。


 レイヤは目を閉じ、記憶を呼び起こし始めた。


 4歳のとき、オルガにモンスターから助けられた私は、その背中に憧れを抱いた。

 人を守る背中。

 なんてカッコイイんだろう。

 その日から、騎士を夢見る日々が始まった。


 私もあの人のように格好良く在りたいと、剣術を学んだり自分の能力に磨きをかけたりした。

 魔人戦争で多くの騎士たちが命を落とし、オルガが騎士を辞めても、その夢は変わらなかった。むしろ、命を散らした騎士たちの分と心折れてしまったオルガの分、私が騎士なって皆を守りたいと思った。


 16歳になって試験に合格し、見習い騎士となった頃だった。あの人に出会った。


 綺麗な黒い瞳だった。


 「というわけで、よろしくね、レイヤさん」


 「こちらこそよろしくお願いします、千頭さん」


 「敬語じゃなくていいですよ、呼び捨てでも構いません」


 「え、でも千頭さん私より年上ですよね? 確か23歳」


 「この世界では、あなたの方が先輩ですからね。僕は先輩は敬うべきものと思っているので」


 「そ、そうなんですか……コホン、じゃあ、千頭……くん……よろしくね。あははっ、敬語はともかく、いきなり呼び捨ては難しいかな」


 「ハハハ、いいですよ、レイヤさんのやりやすいようにしてください」


 「それなら、千頭くんも砕けて話してほしいな。その方が話しやすいから」


 「ああ、わかったよ。レイヤさん」


 私が、亮くんと交わした最初の会話だった。


 この頃の私は、騎士団での座学や訓練と平行して、オルガのサポート業を手伝っていた。

 サポート業はこの世界の文化や特徴を説明し、実際に物に触れさせたり、モンスターとの戦い方を指導しなくてはならないのだけど、人と関わりたがらなくなったオルガは、この役目を半ば放棄していた。

 オルガを支えたかった私は、進んでその代わりを務めた。


 中学に上がった頃から、転生者たちの世話をし、世に送り出してきたので、この時点で既にサポート業は慣れたものだった。


 いつもと同じ要領で、私は亮くんとそのパートナーに、異世界を教えた。

 でも、彼との会話は、なんだか他の転生者の男の人とは違っていた。


 彼は頭が良く、常に落ち着いた雰囲気を漂わせていた。

 私が説明したことはすぐに覚えるし、他の転生者が驚く場面でも彼は冷静だった。


 そんな亮くんを、私は最初、面白みのない人だと思っていた。

 何でも卒なくこなしてしまう彼。きっとこの人は前の世界でも特に悩みもなく生きていたんだろうなと、失礼なことまで考えていた。


 でも、ふとした瞬間に。

 何か考え事をしているのか。亮くんはたまにボーッ遠くを見ることがあって、その目がとても寂しそうだった。


 興味を抱いた。どこか哀しい目に。


 それからというもの、私は亮くんに質問するようになった。

 「亮くんのこと、教えて欲しいな」と伝えた時、亮くんは「僕のことで興味を持ってくれているなら」と口元を緩ませながら教えてくれた。

 前の世界ではどんな暮らしをしていたのか。仕事は何をしていたのか。好きな食べ物は何なのか。いろんなことを、思いつく限り亮くんに聴いていた。

 彼の過去にいた世界の記憶と、楽しくもあり少し悲しそうに紡ぐ横顔に、“彼に対する純粋な興味”が募っていくばかりだった。


 今思えば、笑ってしまう。あの頃の私は、なんと乙女だったのだろう。



 ある日、私は亮くんをとある森の丘へ誘った。


 「ここが君のお気に入りの場所かい?」


 「そうだよ。いい眺めでしょ?」


 その場所からは、森が絨毯のように広がっているのが一望できた。その絨毯の中には湖があって、天気が良い日には水面が光を反射してキラキラと宝石みたいに輝くのだ。

 私のお気に入りの景色で、彼にも同じ気持ちを抱いてほしかった。


 「これは……すごいな」


 表情をあまり変えることをしなかった亮くんが、そのとき初めて驚いてくれた。


 「……ありがとう、レイヤさん。とても良いものを見せてもらったよ。僕もここをお気に入りの場所にしたいくらいだ」


 「――ッ!」


 彼が笑った。

 これまでの余裕のある笑みとは違う。心の底からの、無邪気な笑顔。

 私の心臓は跳ね上がった。


 そこでやっと自覚した。

 あぁ、これが恋なんだなって。



 もっと亮くんの笑顔が見たかった。四六時中彼のことが頭の中に浮かんできて、何をしたら喜んでもらえるかばかり考えていた。


 彼の笑みを見れるだけで幸せになれた。



 ……でも……そう……私は……初めての恋に浮かれていて、亮くんが何か深い悩みを抱えていたのに気づいてあげられなかった。


 「君さ、鬱陶しいよ」


 最後に会ったときの亮くんは、今にも私を殺しそうな鋭い目つきで、暗く棘のある声でそう吐き捨てた。

 まるで別人。心を掴まれたあの時の笑顔とは、あまりにもかけ離れていて、悪い夢を見せられているような感覚だった。

 でもそれは現実で、彼は私の前から去って行った。



 あれから14年が経って今。

 私は未練がましい女だった。

 忘れようとしたときもあったけれど、それはついぞ叶わなかった。

 今でも犯罪者が好きだなんて、知っているのはオルガくらいだ。



 ……寒いな。

 お風呂、あったかいはずなのに……。


 「おい! コウク雪降り出したぞ!」


 ハキハキとした清十郎の声が風呂場まで響いた。


 「本当だ。今年の初雪は早いな」


 続いてコウクの声。

 その会話を聞いて、レイヤは浴槽から静かに立ち上がると障子を開けた。


 「……雪……どおりで寒いわけね」


 真っ黒な空から降ってくる雪を、レイヤはしげしげと見上げる。

 頬を伝う雫の軌跡が、外気によって冷やされる。


 亮くんの笑顔がもう一度みたい。


 それだけを考えて、彼に会えない年月を過ごしてきた。

 彼が何を望んでいるのか、ずっと知りたかった。

 望みを叶えられたら、また笑ってくれるかもしれないと思った。そのためなら、私は何でもしようと。


 でも……。


 『亮は、元の世界である地球に帰りたがっていた』


 その願いだけは、私は叶えられない。

 愛する人だからこそ、叶えたくない。


 帰ってほしくない。ずっとここに、そばにいてほしい。

 また、あの湖を二人で見に行きたい。


 ……嫌われて当然よね………………ああ、そっか……なんで寒いのかわかった…………私の恋は14年も前にフラレていたんだって……やっと気づいたからだ……。

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