第56話 エプロン
修行初日は、正拳突きの正しいフォームを覚えるのと、巻き藁を突くだけで終わった。
俺の両手の人差し指と中指の付け根は、すっかり皮がめくれて出血もしていた。どうやら正拳突きを正しく繰り出すと、一番負荷がかかるのがこの部位らしかった。アルコール消毒をし、ガーゼを当て、痛み止めに薬草を頬張った今、手の痛みは落ち着いているものの時々ズキッとする。
日が落ちる寸前で森を出たくらいだったから、王国に戻る頃には夜になっていた。
マリンはもう仕事から帰ってるだろうな。
修行のことはマリンに伝えてない。言えばマリンのことだ、心配させちまう。だから俺は、数日の間オルガの調査クエストに付き合うのだと嘘をついたのだった。
「ただいま」
「おかえりなさい。ショウマ様」
宿に着くと、台所の方から、エプロン姿のマリンが笑顔で出迎えてくれた。
って、何でマリンがエプロンを? もしかして――。
「晩飯用意してくれたのか?」
「はい。今日はお仕事で疲れて帰ってくると思ったので、用意しました」
その話を聞いて嗅覚が鋭敏になったのか、台所から漂ってくる香ばしい匂いを感じ取る。
おお、美味そうな匂い、などと思っていると、腹が食を求めて鳴り出した。その音に、マリンはクスッと笑い、オルガはフッと鼻で笑う。
……どうして俺っていつも格好がつかないんだろうな……。
俺とオルガは手洗いを済ませ、ローテーブルの手前に敷かれた座布団に腰を下ろした。
そのローテーブルの上にマリンが食事を盛り付けて運んでくる。献立は野菜炒めと白米のようだ。
「その手、怪我したんですか?」
俺が箸を持つと、マリンが手のガーゼに気づき質問してくる。
やっぱ突っ込まれるよな。けど問題ない、どうやって誤魔化すかは考えてある。
「今日向かった調査先がさ、すごい茂っててさ、枝で引っ掛けちゃったんだよ」
「痛みとかは、大丈夫なんですか?」
「大丈夫だって、少し引っかいただけだから。ホラッ」
俺は手に持っていた箸先を開いたり閉じたりして見せ、ニッと笑ってみせる。
このとき、指の付け根がズキズキとしていたが、それを表情に出さないよう努めた。
「大丈夫ならいいですけど……」
完全には納得していない様子だったが、それ以上聞かれることはなかった。
マリン作の野菜炒めを口の中へと運ぶ。
んー美味い!
ギャルゲーとかじゃ、こういう場面って実は女の子が料理下手で飯マズだったりするが、マリンには当てはまらなかったようだな。良かった良かった。
「美味しいですか?」
マリンが両手の指先を合わせながら聞いてくる。
「ああ、美味いよ! オルガの料理なんかよりもずっと――下手な店よりもイケるくらいだ!」
それを聞いて満足そうに微笑むマリンとは対照的に、オルガは少しムッとした表情になったのを俺は見逃さない。
だって前にオルガが作ってくれた野菜炒めはベチャベチャしてたし、味も濃過ぎるんだから仕方ない。
「これから晩飯はマリンにお願いしよう!」
「……初心者サポートで食事を作り続けてきた身としては少しばかり悔しいが、この味では認めざるを得ないな」
「だろ!」
珍しくオルガと意見が一致したせいか、ちょっとテンションが上がってしまう。
「マリン、これから二週間近くは今日みたいな日が続くが、その間夕食の用意を頼めるか?」
「お任せください!」
めでたく? マリンは晩飯当番となった。
晩飯を食べ終わると、マリンは身を清めに銭湯へ出かけて行った。普段であれば、俺も向かうところなのだが、やることがあった。
筋トレである。
今日から毎日筋トレを行うようにオルガに指示されたんだ。これも修行らしい。レベルやらステータスがある世界で筋トレなんて意味あるのかと疑問に思ったが、聞いてみたところ意味は大有りなんだそうだ。
努力した分だけステータスに反映されるらしい。ステータスを上げる方法は何もレベルだけじゃないってことだ。
「えぇっと、腹筋、背筋100回に、腕立て100回、スクワット200回を3セットだっけか」
特にスクワットは念入りにって話だったな。足腰の強さは武術において大切だとか。
にしても、なんつー数だ。マリンが帰ってくるまでに終わらせられるのか? しかも、オルガ曰く『初日だから緩めにしといてやる』だそうだが、これで緩いのかよ……次の日はどうなるんだ。
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