私のドレス、私の魔法




 その昔、革命によって処刑された王妃がいた。

 一国の姫として生まれ、一国の王妃として生きて、そして身分を剥奪されてただの一人の女性として亡くなった。時代は彼女を不要としたのだ。

 荷車に乗せられて刑場へと向かう彼女は、一体どんな気持ちだったのだろう。





 クロエ・ノイライは闘技場の暗い通路を歩きながら、ふとそんなことを思った。



 ドレスとは言えないような異様な格好でやってきたクロエに突き刺さる、周囲の視線。

 好奇心と、あざけりと、哀れみ。


 だけど不思議とクロエの心は穏やかだった。

 もしかしたら、かの悲劇の王妃も最期はこんな気持ちでいたのかもしれない。



「クロエ……」

「クロエちゃん、あの」


 暗い中、友人の顔が見えた。

 目立つピンクの髪のフェリシィと、最近そばかすが少なくなってきたアウレリアのペア。

「クロエぇ……大丈夫、なの?」

 いつもの元気が嘘のような、か細い声で、フェリシィはクロエの心配をする。

「なんでもないんだよ、こんなこと」

「なんでもないわけ、ないじゃん……ないじゃん……」

「そうだね」

 思わず、小さく笑ってしまった。

 何でもないわけがない。


 髪はさっき急いで紐でまとめただけ。

 履いているのは、学園から借りたサンダル。

 そして、肝心の魔呪盛装マギックドレスはドレスと言えないような代物。


 これで学年末試験に挑もうというのだ。フェリシィでなくても心配したくなるだろう。


「もう時間だから、行くね」

「クロエっ……!」

 じゃあね、と軽く手を振りその場を離れる。

 視界の端に見えたピンクの髪は、震えていた。



 すぐに、外の光が見えてきた。

 クロエは迷いなく光に向かって歩く。


 さぁ、見せてあげる。私のドレス、私の魔法を。




 観客席はざわついていた。

 当たり前だ。

 十九世紀後半に流行したクリノリンドレスの魔女と相対しているのが、古代の壁画から抜け出てきたような姿の魔女なのだ。ざわつくのも当然だろう。


 優雅にスカートが広がるクリノリンドレスを纏った魔女――レベッカは眉をつりあげて、だけど今にも泣きそうな声で、言った。


「事情は知っています。そしてリオルドは、手加減はするなと言っていました」

「そっか。蒼司郎ならこう言うだろうね、されてたまるか、馬鹿ってね」


 ぎりっ、とレベッカは持っている日傘の柄を、潰しそうな勢いで握りしめた。

「クロエ……クロエ・ノイライ。よくそんな姿で出てこられましたね」

「これが私のドレスだから」

「そんなものは、ドレスではないです。あなたにはもっと」

「それでも、これは、ソウジロウが私のために作ってくれたドレスなの」

 クロエは髪を揺らしながらふわっと微笑んでみせた。


「信じれば硝子玉だって宝石になるんだよ」


 その言葉にレベッカは目をまるくして、それからからかわれていると思ったのか、にらんできた。

「……意味がわからないです。クロエ」

「わからなくていい。だって今から私が硝子玉を宝石に変えてみせるもの」


 そっと、肩に留められた緑硝子のブローチに触れる。

 クロエの言葉はもちろん比喩だ。

 これからやることは、試験のための戦いでもあるけれど、蒼司郎にあの日の言葉を証明するためでもあるのだ。



「始め!!」



 審判役の教師の声が響く。



 クロエはすぐさま魔法を呼び起こすための詠唱と動作に入った。


 このドレスは、魔呪刺繍による魔力陣がメインの一個と、予備のもう一個しかない。

 威力そのものは見込めず、魔力の燃費もよろしくない。

 だが、動きやすさ――すなわち詠唱速度だけは保証されている。なにせ布一枚のシンプルな構造なのだ。


 詠唱速度には優れている、けれど長期戦には不向きなドレス。

 なら、速攻で片をつけるしかない!



「その女神、父神の額より生まれし存在――」

 どんな呪文を紡ぐか、それはドレスが教えてくれる。


「その女神、智慧と勇気にて戦の加護を授けたもう」

 このドレスに込められている魔法は、魔器召喚。

 それは、伝承されるような魔法の道具をも呼び寄せる魔法。


「気高き女神。戦女神パラス・アテナよ。あなたがたずさえし、その槍は――」

 神話の武具とて、その例外ではない。


「ただ人には見ることあたわず、名を知ることもあたわず」

 クロエが扱える中で、文字通り最大の魔法とも言えるそれを、全力で。

 それが、今の自分にできること。


「さぁ、戦女神を讃えよ。パラス・アテナの名を呼ぼう」

 クロエは、祈るように両手を組む。


「戦女神の名も知られぬ槍を、今ここに喚ぼう!」


 閃光。

 そうとしか表現しようがないまばゆい光が、クロエの手の中に現れる。

 それは次第に大きくなり、長く伸びていく。


 

「……!」

 クロエは右手で『それ』を軽く振る。

 握っている感触はあるのに、重たくは無かった。いかづちのように輝いているが、その光は目を焼くこともなかったし、熱くもない。

 形状は、わかる範囲だとごく一般的なスピアである。



「あれは……戦女神アテナの槍か……」

「ギリシャ神話の女神とは、憎い演出だ」

「あの姿であの槍を持つのは、それらしくはありますね」


 観客席からそんな声が聞こえる。

 


 だけどクロエは、そんな声さえもうどうでもよかった。

 ……ねぇ蒼司郎、ちゃんと見ている?


 クロエが今見て欲しいのは、たった一人。

 自分の相棒パートナーにだけ。

 この戦いが、彼の心に届けば、それでいい。



 試すように槍を振るう。一度、二度、三度。


 それからクロエ・ノイライは、戦女神の名も知られぬ槍を両手で構えたのだった。

「さぁて……行くよ!」



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