「これが俺の選択」
蒼司郎は、クロエの脱いだドレスを見て盛大にため息をついた。
更衣室の床には、ドブ川の水がぽたぽたと落ちてシミをつくっている。
仕方なく、更衣室の窓を全開にして換気した。
それにしても、どこからどう見たって、あれは『使える』状態の
魔呪刺繍による魔力陣は、メインのものから予備まで全部、見事に汚れてダメになっている。これではとても魔法は発動しないだろう。
いや、そうでもなくてもだ。こんなドレスで今回の試験に挑めるわけが、ない。
このドレスそのものは、専門家にきちんと洗濯してもらえばまた使えるようになるだろう。
だが、今回の試験には間に合わない。
だから、新しいドレスが
……今回の試験で着用可能なのは、新しく作ったドレスのみ。つまり、以前作ったドレスは認められない。
問題は、新しいドレスを作るための時間だ。
クロエは先程ドレスをむいて、さくさくとシャワー室に放り込んだ。
何か文句らしきもの言っていたような気がするが、馬鹿をやったのはあいつなのだ。
「おい……ソウジロウ」
「……大変だったわねぇ」
なぜかドアを開けてから、こんこんとノックをして尋ねてきたのは、ソウジロウの担当指導教官であるイジャード。それにクロエの担当指導教官であるマグノリアだ。
二人とも、ちょうどいいタイミングで来てくれた。
「あの、イジャード先生。相談があるのですが」
「……あぁ、なんだ」
「使ってもいい布はありますか、できるだけ大きな、幅も長さもある布がいいです!」
イジャードはソウジロウの言葉を聞くと、金色の瞳を軽く見開いた。
「お前」
「今から新しくドレスを作ります。問題は時間と資材です」
試験には今から作るドレスで挑む。時間がないので小物は作らない、そちらの評価点は切り捨てる。
それしか今は選択肢がない。
「……わかった、俺が何とかしよう。資材は布だけでいいのか、色と素材は何が良い」
イジャードはぎこちなく微笑みながらも、快く請け負ってくれた。
「できるだけ白い布で、亜麻か木綿がいいです、あまり厚手でないものを。刺繍糸も白いものをお願いします。それから……」
「あぁ、それならすぐに揃う」
「……お願いします」
ソウジロウは、
「イジャード先生、こっちは終わったわよぅ」
マグノリアはシャワー室の中のクロエと何か話していたようだ。
しかもありがたいことに、替えの下着と服まで持ってきてくれていた。
……本当に、頭の下がる思いとはこのことだ。
それから少しして、イジャードが布などを届けてくれた。
それにソウジロウとクロエのペアは、トーナメントの一回戦を今日の午後にずらしてもらえることになった、という言葉もつけて。
……これで、資材と時間はどうにかできた。
あとは
ソウジロウは手早く針に糸を通す。
縫い合わせる必要は無い。
魔力陣を――魔呪刺繍を入れるだけだ。とりあえずメインの陣だけは時間までで充分できるはずだ。予備の陣がないのは、どうしようもないが。
「よう、ソウジロウ。なんか大変なことになってるらしいから来たんだが……」
席次一位シィグ・アルカンナ。一学年の至高の存在とされる彼は、ドアを勢いよく開けてから、とりつくろうようにノックして見せたのだった。
「お前、なんで」
彼は更衣室にずかずかと入り込むと、無言で刺繍針と糸を手にしてソウジロウの隣に座った。
「なんでって、そりゃ手伝いに来たんだよ。ちゃんと先生方にもルール違反にならないことは聞いているし、お伺いも立ててる。問題ない」
「だからってお前、自分の試験は」
「シード権ってやつだな。つまり俺達は第一回戦はないんだよ。今日は出番なしってやつだ。と言うわけで俺にもさっさと針仕事させろ!」
からりと明るく夏の太陽のように笑って、シィグはさっさと魔力陣を入れる場所を決めてしまう。
あぁ、こういうやつなんだな、とソウジロウは思った。
俺たちの席次一位シィグ・アルカンナは、馬鹿みたいに明るくて、恐ろしく才能があって、誰よりも努力している。だからこそ、諦め悪くあがくやつに手を差し伸べられるのだろう。
誰より努力してきたからこそ、その価値を誰より知っている。そういうやつだ。
きっと俺は、こいつにはかなわないんだろう。ずっと認めたくなかったそれが、今はすとんと腑に落ちた。
「なぁ、入れる陣はどの魔法系統だよ?」
「……えっと、これを」
「なるほど、ちゃんと考えられてるじゃんか」
「馬鹿にしてるのかお前は」
「違う違う、こういうときってさ、まともに考えられないものだろ。世界全部に陥れられたようになって、何も考えられない何も出来ない状態になっちまう」
シィグは手を休めることなく、そう呟いた。まるで見てきたように、体験してきたように。
「だな、俺も正直そうなりかけたかもしれん、クロエを殴ったしな」
「え」
シィグが一瞬ものすごい顔でこちらを見た。なお、手元の作業は止まっていない。
「なんて目で見るんだ。念のために言うが平手だ。拳じゃない」
「お前なぁ、ちょっとはパートナーに遠慮を覚えろってば。さっきからクロエがシャワー室から出てこれないでいるのに完全無視してるしさぁ」
シャワー室の方から、何かが落ちる音が響いた。
「うるさい黙れ馬鹿。じゃなかった、うるさい黙れ天才」
「あのさ、それ罵倒なのか?」
「精一杯の罵倒だ」
「ソウジロウって、なんだかんだで育ちが良いよなぁ」
……シャワー室の向こうで『彼女』も思いっきり同意している気配だった。
ばれないと思っているのか、お前。
「しかしソウジロウ、お前何を作る気でいるんだよ」
「決まっている。仕立て師が作るのは
ぷつりと糸を切りながら、そう呟いた。
シィグが立ち去った後、ようやくクロエはシャワー室から出てきた。
もうあまり時間が無い。早速ドレスの着付けを始めることにする。
「胸の方の下着は外しておいてくれ、ない方が着付けやすいから」
「……わかった」
ちょっとだけ恥じらいの表情を浮かべて、クロエは後ろを向いてごそごそと下着を外す。
……珍しいものを見た気分だ。採寸の時も平然としている彼女があんな表情をするとは。
着付け、と言っても手順は実に簡単だ。
白い大きな布と、腰紐などを用意する。
布の上部をお好みの幅で折る。
それを横二つ折りにして、体に沿わせる。
そのとき、上縁の真ん中から顔を出す。
布が輪になっている側は、上から腕を出す。
ピンやブローチで、前後両肩の布を留める。
良い感じのドレープを作って、腰紐を結ぶ。
スリットになってしまっている側の布をピンか何かで留める。
これだけで完成。
「古代ギリシャ風
クロエのジュエリーボックスから、いつぞやの緑硝子のブローチを取り出して肩布を留めながら、ソウジロウはそう宣言した。
「ソウジロウ、このドレスは銘はあるの?」
「銘か……そうだな“純粋の白”ってところだろう」
胸のドレープに手をあてて、クロエはその名前を繰り返した。
「さぁ、行ってこい、クロエ・ノイライ」
「うん」
ふわりと白をなびかせた彼女の後ろ姿を見ながら、ソウジロウはふと呟いた。
「これが俺の選択」
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