弓術部と友人と



 入学からいくらか過ぎた、とある早朝のこと。



 蒼司郎は、ようやく見慣れてきた学園の並木道を歩いていた。

 木々は、だいぶ葉を落としていて、そろそろさみしい見た目となりつつある。



「まったく、あいつは。せっかくの飯を忘れるなよな。大事なんだぞ飯は」

 蒼司郎は手にした包みを目線の高さに持ち上げて、呟く。


 同じ下宿のリオルドが、朝食の弁当を忘れてアーチェリー部の朝練に出てしまったのだ。

 そこで、下宿を仕切るマダム・テレーズから彼に弁当を届けるよう頼まれたのである。

 蒼司郎とリオルドは仲が良い(というよりは、リオルドの方からいつもおしかけてくるのだが)ということで、マダムに弁当配達人に任命されてしまう羽目になった。


「まぁ、いいけどな。あいつ前に弁当忘れたとき、ひどく元気がなかったし」

 数日前に朝弁当を忘れた時の、リオルドによる豪快な空腹のメロディと落ち込み具合を思い出し、蒼司郎ははぁっとため息をつく。空気が冷たい。もう少しすればこの吐息も、白くかすんで見えるようになるのだろう。



 部室棟――こちらではこういうのをクラブハウスとか言うらしい――の階段を登り、アーチェリー部の部室を探す。蒼司郎が入部したのは図書館の脇に部室のある西洋文学部なので、実はこの建物に入るのは初めてだった。

「こっちはフェンシング部……こっちは馬術部……こっちは、バリツ研究会……?」

 いろいろな名前の部室を通り過ぎ、ようやくアーチェリー部のプレートが掲げられた扉を見つける。

 さて、この場合は入室にノックは必要なのだろうか。

 そんなことを考えて扉を見上げていると、室内から若い男女が言い争うような声が聞こえてきた。


「これは……じゃないですか! なんであなたは……!」

「いいや………だが。この場合は…………だろうに、おまえこそ……」


 とても、聞き慣れた声。

 蒼司郎は呆れのため息をこぼしながら、一応ノックしてから無造作に扉を開けた。




「……なんだ、ソウジロウか」

「なんだとはご挨拶だな。マダム・テレーズに頼まれて忘れ物を届けに来たってのに、お前はよほど腹の音色で一曲奏でたいらしいな」

「お。弁当を届けてくれたのか、サンキュー」

 ひょい、と蒼司郎の持ってきた弁当を受け取って、リオルドは手近な椅子に腰掛た。そしてそのまま中身のサンドイッチを食べ始める。現金なものだ。


「ちょっと、リオルド。まだ話は終わってはいませんよ……!」

「後にしてくれ。俺もかっかしてたのは腹が減ったからなんだろう。お前も何か食べたらどうだ」

「……そう、ですね」

 いかにもしぶしぶといった様子で、リオルドと口論していた女子学生――リオルドのパートナーである魔女志望生レベッカ・ルヴェリエも椅子に腰掛けて深呼吸する。


 まったく。

 席次四位のリオルド・アシュクロフトとレベッカ・ルヴェリエのペアは、いつもさっきのようにささいなことで言い争っているのだった。


 学園のペアというのは、入学試験のときに魔法で読み取った適正を元に、占術その他で決めているので、相性そのものはいいはずなのだという。

 ……ならこのペアはどうなっているんだろうか。

 先生方がいうには、今年のペアはどこも仲がいいらしいので、過去にはまだひどい例もあったのかもしれない。


「……またソウジロウさんには、みっともないところをお見せしましたね」

 朝の弁当代わりらしい、大きなクッキーをかじりながらレベッカは呟く。

「気にするな。と言いたいが……今日のは何が原因だったんだ」

 すると、リオルドとレベッカはお互いに顔を見合わせ、そっくり同じように首を傾げた。

「「……原因、何だっけ?」」


 ……このペアは、実は相性抜群なのかもしれない。

 頭を抱えながら、そう思いたくなる蒼司郎だった。



「なぁ。それよりソウジロウ」

「なんだ、ごまかしに入ったか」

「う……いや、それより、アーチェリーを触ってみないか。弓そのものは、やったことがあるんだろう?」

 リオルドが、アーチェリー用の弓の一つを掲げてにかっと笑う。

「あら。ソウジロウさんは弓をやったことはあるんですか?」

「まぁ……皇御国すめらみくに式の弓というか、弓道はやったことがあるといえばあるな。剣ほど長くはないが、それなりに経験はある。だが、洋弓は経験がないな」

 武家大名を祖に持つ緋野家には小さくはあるが弓道場があったほどだ。だが、さすがに洋弓は触ったことがないし、間近で見るのも初めてだった。


「なら持ってみろ」

「あぁ……って……重っ……?」


 無造作にリオルドに洋弓を手渡されたので、掴んだのだが、予想外に……重い。

 金属で出来ているので当たり前かもしれないが、まず皇御国の弓とバランスが全く違うので、勝手が違う。違いすぎる。

 握る部分――真ん中あたりにいろいろくっついているのもそうだし、上下の部分も重たくて、どうしてもふらふらとした安定しない持ち方になる。

「なぁ。重くないか、この弓……」

「そうか? でもこのぐらいでないと実際『弓として役に立たない』だろ」

 つまりリオルドは、このぐらいでなければ武器として役に立たないだろう、と言っているのだ。


「なるほど、西洋の弓はこうして威力を高めているのか。弓を長くすることで威力を高めていった皇御国の弓とは、大きく異なるな……」

 蒼司郎は手にした洋弓を眺めながら、そんなことを呟く。

「弓を長く……って、この弓でも私の身長ぐらいはありますが……これ以上長く、ですか?」

 その言葉に反応したのは、レベッカだった。

「あ、俺はその答え知ってるぞ」

 家族で皇御国にかぶれているというリオルドは、どうやら和弓の形状を知っているらしい。

「……あ、あなたには聞いていないですよ、リオルド」

 レベッカが赤紫色の瞳に悔しさをにじませながら、パートナーをにらみつける。

 なんだか彼女が少しかわいそうになったので、蒼司郎は早々に答えを明かした。


「弓の握るところから上の部分を長くしたんだ。上下非対称の弓。これで、二メートルを超える長さの弓ができるというわけだ」


 レベッカは、目をまんまるくしていた。どうやら予想外の答えだったらしい。

「なるほど……それなら確かに……長くできますね」

「な、レベッカ、スメラミクニって面白い国だろ。今度あの国の武道について書かれた本でも貸そうか?」

「……結構ですよ。あなたには借りません。というより、本を読むよりソウジロウから聞く方が早いですし」

「まぁ、そりゃそうか」

 二人がそんな会話をしている間も、ソウジロウは弓を眺めていた。この弦は一体何でできているのだろうか。狙いの付け方は。矢のつがえ方はどうなのか。


「ソウジロウさん、実際に弓を引いてみますか?」

「あ、それがいいな」

「い、いいのか?」

 確かに引いてみることは、その弓を知る一番いい方法だろう。

「俺は洋弓は素人なんだぞ」

「でも弓はやったことがあるんでしょう?」

「そうだが」

「それに、さすがに的は至近距離ですよ、大丈夫です」

「大丈夫だろ、多分。弓だって練習用の部室の備品だしな、変な調整とかはしてない」


 そうこうしている間に、リオルドは専用の矢を手渡してきた。

 そして『的』を示す。それは弓道の的よりも遙かに大きい代物だ。それに、距離もさほどない。たった何歩か分の距離だ。さすがにこれなら外さないだろう。


「それでは、構え方は私が教えますね。身長が同じぐらいですから、無駄に図体の大きなリオルドよりは適しているでしょう」

 そう言って、レベッカはソウジロウの後ろに回り、手をとった。

「弓を持つ手はさすが経験者ですね。矢をつがえるのは、こうしてですね……」

 レベッカから、手の柔らかさと体温が伝わってくる。そして、みずみずしい花のような香りがした。この香りはなんだったろうか、合衆国のデパートメントストアにあった、スミレ香水の青っぽい香りに似ている気がする。


「では、放してみてください」

「……!」


 弓がぶれることもなく、矢はまっすぐに放たれ、的に見事に命中した。というよりは、この距離なら本当に外しようがないだろう。

 だが、射った瞬間の反動が凄まじかった。どうにか抑え込んでみせたが、腕が軽くしびれるような感覚があった。


「はじめてにしては、上々ですよ。この距離でもできない人はできませんからね、本当に」

「だな、さすがソウジロウ。サムライ・ソルジャーなだけあるな」

「もう侍は皇御国にはいないけどな。それじゃ、俺はもう行くぞ……あ、そうだ。伝えることがあったんだ」

 用は済んだとばかりに弓を返して、さっさとアーチェリー部の部室から出ようとした蒼司郎だが、くるりと二人に向き直った。


「お、なんだなんだ?」

「俺のパートナーのクロエが、今度お前達と一緒に茶会をしたいらしいぞ」

「おぉ、それはいいな! 茶と聞いては行かずにはいられないな」

 快諾するリオルドをよそに、蒼司郎はちらっとレベッカを見た。

「も、もちろん、私も行きますよ……。イギリス式のお茶よりも、フランスのお茶の方がずっとずっと美味しいんですからね!」


 レベッカは赤紫色の瞳に対抗心の炎をいっぱいに燃やして、そう宣言したのだった。



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