第一学年
秋の風・出会い・はじまり
入学式に彼らは出会って
――原初のとき、ひとはまだ裸の獣であった。
あるとき獣は、身を護るために布をまとった。衣服の誕生である。そして、獣がひととなった瞬間だった。
これは、はじまりの魔法であった。
獣が、衣服をまとうことでひとになった、原初にして、もっとも強大なる魔法。
そんな内容のスピーチを聞きながら、クロエ・ノイライは睡魔と戦っていた。
つまらない、退屈な話だ。なぜなら、そんなものは魔女を目指すものなら誰でも知っている。
そして、その続きも当たり前に知っているのだ。
「そして、時代は流れました。衣服はいつしか
この大西洋に浮かぶアトランティス諸島――古の魔法帝国アトランティスの沈没を免れたひとかけら――に住まうものなら、幼年学校時代から、いや、もしかすると物心ついたころから何度も聞かされている話だ。
ようやく入った学園で、最初に聞かされるのがこんなかびの生えたような話だなんて……。
クロエは形の良い唇を歪ませ、あくびをこらえる。
昨晩よく眠れなかったため、そろそろ睡魔に負けそうになっている。まぶた同士がくっついて緑色の瞳を完全に閉ざす。そして頭がふらふらと動き、そのたびに薄緑色の長い三つ編みがゆらゆらと揺れる。
集会用のホールはいい具合に薄暗く、学生席も思った以上に座り心地が良いので、このまま寝入ってしまいそうになるのだが、いくらなんでもそれはまずいだろう。
今日は、特別な日――入学式なのだから。
アルストロメリア学園。
一流の仕立て師と一流の魔女を育成するための、世界最高峰の学園。
アトランティス本島で生まれ育ったクロエにとってももちろん憧れの学園だが、世界中の仕立て師や魔女を目指す若者にとっては、まさに大いなる夢を掴むための場所である……らしい。
実際にホールの中には、いかにも異国人といった容姿の新入学生もそれなりにいる。
皆、真新しい揃いの制服に身を包み、真剣な瞳で壇上を見つめていた。
……そうだ、私は今、あのアルストロメリア学園にいるんだ。
クロエはそっと、制服のスカートをつまむ。
上等な、しっかりしたグレーの生地で出来たワンピースだ。
胸元はボタンのある大きな逆三角形の白いヨーク襟、すこし膨らんだ長袖の先には白いカフス。ウエストは少し低めの位置で切り替えがあり、そこから膝下丈のスカートがふわりと広がっている。
そして、クロエ達魔女科の女子生徒なら、左肩の飾りリボンから短い布が小さなマントのように流れている。一方、仕立て科の女子生徒なら、胸当てのない白いエプロンを着用することになっている。
男子は仕立て科にしかいないので、皆揃いのグレーのスーツだ。
……ずっとずっと、憧れていた、アルストロメリア学園の制服。
私は今、それを纏っている。それを着た子達に囲まれて、入学式に出ている!
朝から、いや、昨晩から準備のためにバタバタしていたので、ここに至ってようやくそれを実感できたクロエは、眠気こそすっかり吹っ飛んだが、今度は喜びと、そこからやってくるそわそわが止まらなくなってしまった。
かびの生えた退屈なスピーチさえも、もう眠気をそそったりはしない。
「それでは、式の最後に学園長より、新入生の皆への言葉があります」
その言葉のあとに、登壇したのは二十代半ばぐらいの麗しい女性。
この島に住まう者ならその姿は知っているし、おそらくは世界中の者がその名前を知っている。
ユミス・ラトラスタ・アトランティス。アルストロメリア学園の長であり、この島を管理する国際魔女連盟の長でもある女性。
そんな偉大な存在である学園長の言葉を待ち、新入学生たちは固唾を飲んだ。
「ごきげんよう、そして入学おめでとう皆様。……でもそろそろ、式が退屈で睡魔に負けそうになっている方もいるのではないかしら?」
会場のあちこちから苦笑いがあがる。どうやら、睡魔と戦っていたのはクロエだけというわけでもないようだ。
「では、皆様が睡魔に負けてしまわないうちに――大切なことを発表しなくてはなりませんわね。我がアルストロメリア学園では、仕立て師志望生と魔女志望生はペアを組んでもらうことになります。このペアは、入学試験の成績やその他の情報、そして占術によって導き出された相性を元に学園が定めたものです。パートナーの変更は基本的には認められませんよ。運命の赤い糸で繋がった人を変更できないように……ね」
試験を受ける前には知らされている事だとはいえ、新入学生たちに緊張が走る。
もちろん、クロエもだ。
……クロエは、ちらりと仕立て師志望の新入学生達が座っているあたりを見る。
その八割ほどはグレーのスーツを纏った男子生徒だが、残りは白エプロンを着けた女子生徒だ。
魔女が女しかなれないのは常識だが、仕立て師は男の方が適していると言われ、昔は法律で男だけがなれることを定められた国もあったという。
……いったい、どこからやってきたどんな子がパートナーなのだろう。そして、きちんと仲良くなれるだろうか。それにいちばん大事なことがある、その子は……どんなドレスをクロエに作ってくれるのだろうか。
……もう細かい前置きとかどうでもいいので、自分のパートナーが誰なのか早く教えてほしい!
そんなそわそわした空気が、新入学生の間に流れ始めた頃、それは告げられた。
「では、席次第一位から十位までのペアをこの場で発表します。名前を呼ばれた生徒たちは返事をして登壇してください」
ユミス学園長が何か紙を取り出して名前を読み上げる。
あたりまえのことだが、席次が高いのは成績優秀者だ。このアルストロメリア学園で成績がトップクラスということは、それすなわち世界でもトップクラスの仕立て師志望生と魔女志望生ということになる。とても名誉なことであった。
「――席次第七位、魔女志望生クロエ・ノイライ」
「……はい!」
あらかじめ知らされていたことだとはいえ、本当に呼ばれてしまった。
クロエは周囲の新入学生達の羨望の視線を浴びながら、懸命に手足を動かして照明が眩しい壇上へと向かう。
――薄暗い中でもつやがあるとわかる薄緑色のおさげ髪が揺れ、猫の目を思わせるかたちの緑眼がいかにも意志の強そうな光を宿している。それに、この年頃の少女には少し高めの身長。そして制服の裾から伸びる足はすらりと長く、しなやか。
そんなクロエの姿は、明らかに学生たちの注目を集めていた。
壇上には、すでに六組のペアがいた。
そして、グレーの男子制服を纏った小柄で細身の――麗しい少女と見紛うほど美しい少年が、じっとクロエを見つめていた。
……この綺麗な子が、私の、パートナー。
彼が唇を開くと、そこから紡ぎ出されたのは思っていたよりは低めの声。
「俺は緋野蒼司郎……いや、ソウジロウ・ヒノだ。よろしく、クロエ・ノイライ」
「えぇ、これからよろしくね、ソウジロウ」
クロエは薄緑色の三つ編みを揺らして小首を傾げながら、歯を見せてにかっと笑った。
魔女志望生クロエ・ノイライ。
仕立て師志望生ソウジロウ・ヒノ。
これが、彼らの出会いの時であった。
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