彼女が魔女に着替える時
冬村蜜柑
序章
東の果てから来た少年
がたごと、がたごと、広い広い合衆国を横断する列車はひたすら進む。
二十世紀に入って十数年ばかり経つが、人間はいまだこうして地を這いつくばって旅をしている。早くあの広い空をひとっ飛びできないものだろうかと、
そこには、どこまでも渇いた荒野が地平線の向こうまで続いていた。
蒼司郎の生国――
「退屈そうですな、麗しいお嬢さん」
あくびを噛み殺していると、向かいの席に座っていた老紳士がゆっくりとした聞き取りやすい英語で話しかけてくる。
異国人に対するにしては、言葉も態度もとても丁寧だったし、身なりもいい。これは随分としっかりとした本物の紳士のようだ。蒼司郎はそう思いながら英語で返事をする。
「そうですね、これだけ長い列車の旅は初めてなものですから」
「随分とお若い御婦人と見えますが、供も無しにお一人で遠くまで行かれるのですな。どちらまで?」
蒼司郎はどのタイミングで老紳士の言葉の訂正を求めようかと考える。
「目的地は、アトランティス魔女連盟領です」
「ほう、あの――
さすがにこれ以上は勘違いを長引かせたくなかったので、急いで老紳士の言葉を遮った。
「あの、お褒めの言葉はとても嬉しいのですが――残念ながら、自分は男です」
その言葉に、老紳士は眼鏡をくいっと上げ目を丸くして蒼司郎をまじまじと見つめる。
それを、黒い瞳でまばたきもせずに見つめ返す。
蒼司郎は『お嬢さん』でこそないが、十六歳になる美しい少年だった。
肌はつやがあり、ぱっちりとした瞳は黒目がちでまつげも長い。
皇御国からの船旅と合衆国での滞在中に黒髪は肩に触れるぐらいに伸びたので、邪魔にならないように紐でくくってまとめてある。
身につけているのは、ジャケットの裾がやや長めの紺色の男性物スーツ。外国からの雑誌で見た流行のかたちを真似て、蒼司郎が自ら仕立てたものだ。首にはネクタイではなく、父母がお守り代わりにと持たせてくれた緋野家の家紋が象嵌細工で施されているループタイ。
手荷物は仕立て道具一式が入った頑丈な革トランクと、木目が美しい飴色のステッキ。
ほぅ、と老紳士は感心したようにため息をつく。
「これは失礼しました。それで、この時期にそこに向かわれるのなら入学試験ですか?」
「えぇ、そんなところです」
その時だった、蒼司郎の後ろの席から若い女性の声がした。
「まぁ、アトランティス魔女連盟領まで行かれる方が? 奇遇ですね、私もそちらへ向かうのですわ」
座席からひょこっとお茶目に顔を覗かせたのは、年の頃二十代半ばほどの、婦人だった。それも、今度こそ正真正銘の麗しい婦人だ。最近流行している直線的なラインの女性物スーツと、小さめの帽子がよく似合っている。
彼女は好奇心に満ちたきらきらとした瞳で、蒼司郎を見つめた。
「そうですか、あなたが――」
女性が何かを言いかけたそのとき、車両の後方に続く扉が乱暴に開かれた。
乱入してきたのは、ばらばらの種類の銃を手にしたいかにも粗野な男たち。
彼らは銃を見せつけ、乗客たちを口汚く罵倒し、威圧する。
列車ジャック。
国民であれば誰でも銃が手に入るこの国らしい犯罪だ。
その時だ――尋常ならざる様子に、とうとう後ろの方の席に居た子供が泣き出してしまった。
母親がなんとか静かにさせようとしているのだが、それすら粗野な男たちにとってはカンにさわるものだったらしい。彼らはとても単純な方法で子供を黙らせようとする。すなわち、銃の引き金に指をかけて――
鈍い音が、車両に響いた。
それは――蒼司郎が、革トランクでその男の脳天を殴りぬいた音だった。
「いたいけな子供に対してあのような行い――所詮は狼にもなりきれない野犬の群れか。いや、犬と呼ぶにも犬に失礼だったな……下郎共が」
ほとんど独り言であったが、わざと英語で話してやる。
銃を手にした男たちは、何やら聞き取りづらいなまりのある英語で何か叫んでいる。内容は容易に察しがつく。
蒼司郎は両手で仕込みステッキをぐっと握りしめ、刃を抜き放つ。
左手に持っていた革トランクは、先程泣いていた子供に手渡した。
「俺の命より大事なものが入ってるんだ、預かっててくれ」
そう言うと子供は涙のあとが残る顔で、それでも真剣な瞳で頷きトランクを抱え持つ。
他の乗客たちは床に伏せたりしてどうにか身を守ろうとする中、蒼司郎は仕込み刃を手に、銃を持った男たちと相対する。
――さて、どうしたものか。
一人なら問題なく倒せるのだ。が、この車両の列車ジャックは少なくともあと三人。
仕方がない、ここは天運を信じて突撃あるのみか。
かつて、何人もの兵や武士を束ね、幾度もの戦を勝ち抜いた武家大名の末裔、その一員としては、なんともおそまつなやり方だが致し方ない。
予告などお行儀のいいことはしない。
男たちに向かって突っ込む。
男たちは、何か叫びながら闇雲に銃を撃つ――が、蒼司郎には一発も届かない。
彼らの腕が悪いだけではない。蒼司郎の眼前に現れた、透明な氷の盾が護っていたからだ。
思いがけない援軍があったものだ。これは魔法だ。
「さぁ、存分におやりなさいな――少年」
その魔法を行使していたのは、あの若い女性だった。
横目で見ると、彼女は優雅に座ったままではあったが――スカートがふわりと舞い上がり、
あれは、水精による魔法系統の
「感謝します!」
銃を封じられたも同然の男たちに苦戦するほど、やわな育てられ方はしていない。
あっというまに、男たちを峰打ちで昏倒させたところで、前方車両から歓声があがった。
「魔女兵だ!」
やれやれ。ようやく車両警備隊の魔女兵たちのお出ましのようだ。
蒼司郎は面倒事になる前にと、ステッキの仕込みを元に戻した。
がたごと、がたごと。
何事も無かったかのように、列車は進む。
「……ありがとうございます。お陰で助かりました」
先程魔法を使ってくれた女性に向けて、皇御国式の深々としたお辞儀をする。
あの魔法がなければ、蒼司郎もただでは済まなかっただろう。
返されたのは、意外な言葉。
「ふふ、私の学園の入学希望者が減ってしまうのは、見ていられませんでしたの」
蒼司郎は
その顔かたちは、新聞に載っているぼんやりとした写真や、あるいは似せ絵のそれと特徴が一致する。
ではまさか、この女性が……史上最年少でその役職を継いだという、伝説の魔女そのひとだというのか。
「では……あなたは」
「ユミス・ラトラスタ・アトランティス。そう人は呼びますわ」
アトランティス。その名乗りを許されるのは、国際魔女連盟の長であり、アトランティスに存在する『学園』の長を兼ねる、その人だけだ。
「あなたがこれから出会うのは、一体どんな
「はい」
蒼司郎は、仕立て道具一式が入ったトランクの持ち手を、ぎゅっと握った。
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