第132話

 すやすやと心地良さげな寝息の音と少しばかり刺すような頭の痛みで目が覚める。暗い室内を見渡すと少し離れた天蓋付きの豪華なベットの上に愛しい子供たちの健やかな寝顔があった。

 私も寝心地の良いベットで寝かされていたようで、マットに触れた手がふんわりと沈んでいく。

 女王が酒を勧めてくれた所から記憶がない。やっぱりあそこで寝てしまったか。思わず顔に手を当てため息が漏れる。後で女王とラミナには謝らないといけないし、それから運んでくれたであろうノティヴァンにも礼を言わないと。

 そんな事を考えていると不意に静かに扉が開かれ、誰かが部屋に入ってくる。枕元に置かれていた双剣に手を伸ばし、警戒しつつ扉の方に視線を向けると入ってきたのは薄水色の髪を肩まで伸ばし、紺色の瞳をもつ私の最も信頼し愛する人の姿だった。


『ラミナ、女王との話はもう良いの?』


 私が尋ねると彼女は微笑みながら


「お母様とはたくさん話したわ。それより酔いの方はどう?」


 と心配を口にしながら私の横に座ると、持っていた水の注がれたグラスを私に差し出した。


「二日酔いにはお水が一番だから。……飲まないの?」


 なかなかグラスを受け取らない私をラミナは小首をかしげ不思議そうに見つめた。眼の前にいる女性は確かにラミナの形をしている。でも、彼女はラミナじゃない。

 ラミナなら私にグラスに注がれた水など渡したりはしない。


『貴女は誰だ?』


 警戒の籠もった私の問いにラミナの形をした女性は目を丸くして驚きを現した。


「え?なんでバレたの?バレるの早くない?ねぇ、どこが違うの?」


 グイグイと顔を寄せて問い詰めてくる女性に、思わず仰け反り距離を離そうとする私。


「お姉ちゃんとアタシどこが違うの?」


 ラミナでないと分かっていても手荒な真似は出来ず、最終的に私は押し倒され馬乗り状態で上から女性に問い詰められている。


『外見的な違いはありません』


「だったら、どこが違うのよ」


『ラミナは私にグラスに入った水など渡しません』


 私の答えに女性は手に持っている水の満たされたグラスを見つめ、ぽつりと「それだけ?」と呟いた。

 彼女にとってはそれだけのことでも私にとっては大きな違い。飲むことも食べることも出来ない私のためにラミナが考えてくれたこと。


「じゃあ、お姉ちゃんならどうしたの?」


 私の上から降りて隣に座り直し、両手でグラスを包みながら興味深げに私を見つめる女性に私は腰のポーチから薄水色に透き通る魔石を一つ取り出し見せた。


『ラミナならこれを私にくれるはずです』


「水の魔石?これをどうするの?」


 女性の視線が私から魔石に移る。手にした魔石を口元に持っていくと涼やかな清流のような魔力が口から喉を流れていき、色を失った魔石はサラサラと砂と化していった。


不死人アンデッドってそうやって魔力を補充してるんだ。知らなかったわ。不死人は魔物でも見境なく襲うから危険とだけしか教えられなかったから」


 女性は目を丸くしながら初めて知った事実に驚きと関心を感じているようだ。


「ねぇ、もっと貴方のことを教えて」


 身を乗り出したはずみに手に持ったグラスから水が飛び散り、服が濡れるのも構わず女性はキラキラした好奇心に満ちた瞳で私に迫ってくる。

 近い。近いから。思わず女性の肩を掴み引き離してしまった。

 ラミナなら心地良い距離でも、そうでない女性が迫ってくるのは気恥ずかしさがどうしても勝る。


『……それで、貴女は私の何が知りたいんですか?』


 呼吸を整えて尋ねれば、女性は楽しげな満面の笑みを浮かべながら答えた。


「それはもう、お姉ちゃんとの馴れ初めに決まってるじゃないの!」


 あれ?不死人の事ではなくて?思わず困惑する私に期待に満ちた女性の眼差しが向けられる。

 ……この顔どこかで見たことがあるなぁ。そうだ、ギルドで仕事をしていた時に見た女性冒険者や受付嬢が恋愛についてあれこれ話している時の顔だ。

 恋愛の話をしている彼女達は楽しそうだった。あまりラミナはそういう話を好んでなかったけど、世の女性は恋愛の話が好きなのか。

 しかし、どこから話したら良いものか。

 悩んでいると背後の扉が静かに開き、眉間にシワを寄せた私の一番信頼し愛する人が怒気をまといながら現れた。



「ラミエ、いい加減にしなさい」


 ズンズンと地面を踏み鳴らす足音が聞こえそうな迫力をまといながら私の元に来て発せられたラミナの一声は、怒気が籠もっていながらもスヤスヤと眠る子供たちを起こさないように配慮された控えめなものだった。

 藍色の瞳がギロリと鋭く光り、ラミナそっくりの女性、ラミエさんを睨みつける。


「ラミエ、どういうつもり?」


 ラミナの刺すような冷ややかな視線を受けてもラミエさんはニコニコ笑顔のまま。


「どうもこうも、お姉ちゃんの旦那さんならアタシのお義兄さんでしょ。妹がお義兄さんの事を知りたいと思うのってそれほどおかしなことじゃないでしょ?」


 ラミエさんの答えは至極真っ当なものでこれにはラミナも「まあ、そうだけど……」と歯切れが悪くなる。

 しかし、一旦鎮火したラミナの怒りはラミエさんの姿で再燃した。


「それはそうとして。何で貴女、私に似せてるのよ」


 これには笑顔だったラミエさんの目が泳ぐ。


「これは、えーと、アタシとお姉ちゃんて、双子じゃない。変装して騙されたら面白いかなぁって」


 あはははっとラミエさんの口から乾いた笑いが溢れ、冷や汗が顎伝う。


「アステルは間違えたりしないわよね?」


 問われた声には怒気が籠もっているけれど、私を見るラミナの瞳の奥には間違えないでと切に願う気持ちが込められている。


『間違えないよ。でも、もし間違えたのなら……』


 私とラミエさんの前で仁王立ちしているラミナの手を取り私の首筋に添える。


『君の好きにしていいよ』


 不死身と言われるアンデッドであっても核晶を破壊されれば消滅する。私の核晶は丁度首筋の付け根にある。人で言うなら心臓を差し出すのと同じ。

 私も間違えない自信もあるけれど、ラミナを裏切ってしまった時の覚悟もあった。


「もお、そこまで言われたら信じるしかないじゃない」


 するりと両手を私の首に回すとストンとラミナは私の膝の上に収まり嬉しそうに目を細めていた。


「……ホント、幸せそうで安心したわ」


 祝福のこもった柔らかなラミエさんの声。


「ごめん、お姉ちゃん。いたずらが過ぎた」


 謝意とともに深くラミエさんが頭を下げると、薄水色の髪がスルリと流れ落ち、下から艷やかな薄桃色の髪が現れた。これが本来のラミエさんの髪の色なのか。


「まあ、私も怒りすぎたから。元々貴女っていたずら好きだったもんね」


 苦笑いを浮かべながらラミナはラミエさんの頭を優しくなでる。


「許してくれてありがとう。お姉ちゃん」


 そう言い、顔を上げてラミナを見つめるラミエさんの瞳は紅玉のように輝く赤だった。

 喧嘩をしてもすぐに仲直り出来る姉妹。仲が良くていいなぁ。私にも兄弟がいたらこうありたいものだ。



「それで、二人の馴れ初めなんだけど」


 姉妹喧嘩が終わった途端、ラミエさんは弾む声と好奇心でキラキラ輝く瞳で私とラミナに迫ってきた。ホントに恋愛の話が好きなんだなぁ。そんなラミエさんの姿に半ば呆れ気味の私。

 ラミエさんが求めるような面白い話はないと思うんだが……。

 私が悩んでいるのとは反対にラミナは何か思い出しているのか薄紅色に頬を染めてうっとりとした表情で私を見つめている。

 なんだろう、迂闊なことを言ったら怒られそうな気がする。

 ラミエさんの期待とラミナの謎のプレッシャーで話せないでいるとまたも扉が開き現れたのは真っ白な髪に純白の鱗が美しい女王、アルバニクスの姿。


「ママもラミナちゃんと婿殿の馴れ初めききたいな」


 先ほどの威厳のある女王の姿とは打って変わった親しみある娘と仲の良い母親の姿がそこにあった。

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