第123話
イザベラの名に王の傍らにいた宰相の目が大きく見開かれる。
「イザベラだと……お前は死んだはず」
脂汗を流し呻くように呟く宰相にイザベラはにっこりと嗤って見せた。
「ええ死んでおりますわ。今の私は
イザベラが言い終わるのと同時に今まで目を瞑り王に抱かれていたメテオールの遺体がばっと起き上がると宰相を後ろから羽交い絞めにする。
「何をするつもりだ」
呻き怯える宰相にイザベラは詰め寄るとがら空きの胸に掌を押し当て、胸元から禍々しい色の球体のようなものを掴みだした。彼女の手に収まる球体は濁った赤と黒が入り混じり炎のような揺らめきが立ち上がっている。
「全く、自身の野望を成し遂げた男がどうして子孫に悪霊として取り付いているんでしょうね」
赤黒い球体を身体から取り出された宰相は脱力してその場に座りこむのを見つめるとイザベラは満足そうに微笑み小さく「今まで大変だったでしょう」と労りの言葉をかけた。
宰相から赤黒い球体に視線を戻したイザベラは球体に向かってほとほと呆れ果てたと盛大にため息を吐いた。
「フェリキタス……お兄様。実の妹を無実の罪で陥れ権力を手に入れたのに、貴方は死んでも尚、権力にしがみ付きたいのですね」
イザベラと出会ってからずっと気になっていた。彼女のようなまっとうな人物が何故、罪人の落とされるような谷にいることが。そういう訳があったのか。
一人納得している私になど構わず赤黒い球体は喚き続けた。
『お前が、俺より優秀だと周りに示したのがいけないんだ。お前が俺の地位を脅かすから──』
「少しは黙りなさい。見苦しいですわ」
イザベラは喚く赤黒い球体を叱りつけると、胸元から透ける様な薄い赤い布を取り出し球体を包み、胸の谷間に押し込めた。球体の喚き声が消え、室内に静寂が戻る。
「陛下、並びに宰相閣下。不詳の兄がご迷惑をおかけしました」
深々と国王と宰相に頭を下げた後、イザベラは私の方にも「貴方にも迷惑をかけてしまったみたいですわね。申し訳ございません」と謝罪の言葉を述べると頭を下げた。
『貴女のせいではない。頭を上げて』
「其方に罪はない。頭をあげよ」
私と国王がイザベラを庇うと頭を上げた彼女はどこか寂しそうな笑みを浮かべた。
「ありがとうございます。いざ、憎いと思っていた相手に対面すると怨み言を言おうとしても出ないものですね」
礼を言い私達から視線を外し、俯くイザベラの姿は泣いているように見えた。
「……兄は無能な人ではありませんでした。愚かな人でもありませんでした。ただ、周りが私を持て囃す度に兄は歪んでいき、結果悪霊となりました。私は兄の羨むような才能が欲しいわけではありませんでした。ただ、ただ、好きな歌が歌いたかったのです!」
顔を上げ、嘆き声を張り上げるイザベラの目からは涙は流れなかった。
「イザベラ・ キュアノプティラ・キュアノメラナ。余の最愛の弟の遺体を安置してくれたこと感謝する。よって其方に褒美を取らせたいと思う……」
そこで一旦国王は言葉を止め、メテオールの身体を見つめた。
「……明日、正午にメテオールの葬儀を行う。その会場での葬歌を其方に任せたい」
メテオールの王族の葬儀となれば国葬になる。参列者には多くの貴族や勿論王族も参加するだろう。そんな中、葬歌を披露するというのは歌手ならば栄誉なことで十分な褒美だ。
「身に余る光栄。謹んでお受けいたします。しかし、本当に私で宜しいのですか?」
国王の申し出をイザベラは笑顔で受け入れるたが、どこか不安げに訪ねると王は懐かしむように答えた。
「そなたの名に聞き覚えがあると思ったが、昔、母上が好きな歌手がそなたと同じ名だったのを思い出してな。今は亡き母上が好きだった歌声を余の弟にも聞かせてくれまいか」
王の答えにイザベラは満面の笑顔で「畏まりました」と答えるとそのあまりに素直な反応に国王は驚き目を丸くした。
「これだけで良いのか?ほかにも望んでも良いのだぞ」
国王の問いにイザベラは小さく首を横に振り答えた。
「お心遣い感謝いたします。ですが、私は
「分かった。もし、滞在中で欲しいものがあったら遠慮なく申すがいい。余が手配する」
「ありがとうございます」
国王の申し出にイザベラは笑顔で返すとじっと国王はその顔を見つめた。
「のう、イザベラ……」
彼女にかける国王の声は暗い色を帯びたもの。
「もし、余が其方にメテオールがあり続けるよう望んだら……」
国王の暗い願いにイザベラは悲し気な笑みで返した。
「陛下。死者の一番の幸せは最愛の人々に丁寧に弔われることですわ」
暗い光を灯した国王の目から大粒の涙が零れ落ちる。「そうであったな」と呟く王の目には暗い光は既に失われていた。
「其方にも迷惑をかけた」
私を見つめる王の目には真摯な謝罪の意が込められている。謝意は伝わったが……
「正式な謝罪は後日行う故、今日はゆっくり休むと良い」
『畏まりました』
納得はしていない。素直に頭を下げたものの、正直怒りたい気持ちもあった。どれだけ、ソアレとキキが不安で怖かったことか。私はともかく、子供たちにはしっかりと謝罪をしてくれなければ気持ちが収まらない。握る拳にも力がこもった。
少し間を置いて顔を上げるとどこか困ったような国王と視線が合った。
『まだ何かございますか?』
尋ねる声に少しばかり棘が混じるのは許されるはず。気まずげに視線を落とし王は言葉を紡いだ。
「……其方らにも弟の葬儀に出てはもらえないだろうか」
私は私達の家族は構わないが……メテオールの気持ちはどうなのだろう?
一度、私も死んだ身。ただ、私にはその時の記憶がほとんどないため、悲しいとも悔しいとも感じられない。しかし、メテオールは違う。彼の気持ちを分かってやることの出来ない私は直接尋ねるしかなかった。
どうしますか?貴方の事です。貴方の望むように決めてください。心中で尋ねると
【色々、思うところはある。でもね、これで兄上が前に進めるなら参加するよ。僕自身のけじめとして】
苦笑いを零しているかのような彼の声で答えは決まった。
『葬儀には出席させていただきます』
「おぉ、そうか。ありがとう。葬儀は聖堂で行う。時間になったら使いのものをよこすのでそれまでゆっくりしていると良い」
そう言うと王はイザベラに目配せすると彼女も意図を理解したのか小さく頷いた。部屋を後にする王の隣にはゆっくりとした足取りのメテオール、その後ろには宰相とイザベラが続いた。最後にこれまでずっとラミナを庇ってくれていた真紅の鎧の中年の騎士が足早に後を追う。騎士は扉をくぐり終える間際、
「彼女が目覚めたら、やっと恩が返せたと伝えてください」
と私に言伝を頼むとそのまま消えていった。
やっと、終わった。
安堵から膝を降りそうになるのをぐっとこらえていると、今までじっと大人しくしていたソアレとキキが「母さんー」「お゛か゛ちゃ゛ん゛ー」と周りを気にしない絶叫に近い声量で泣きながらラミナの眠るベットに向かって駆けだしていた。
二人が勢いよくラミナに抱き着くと閉じられていた瞼が徐々に開き、開ききると泣き喚く二人の姿に彼女の眼は大きく見開かれた。
「二人ともどうしたの?」
ソアレとキキを抱きしめ泣きじゃくる二人の頭を撫でながらラミナは私に困惑気味に視線を送る。
『部屋に戻りながら話すよ』
「お願いね」
そう返し、ラミナが子供たちに視線を戻すと泣き疲れたソアレとキキは彼女の太ももを枕にスヤスヤと既に心地よさそうな寝息をたてていた。
徐々に上る朝日の光を浴びながら石畳で舗装された道をソアレとキキを抱いた私とラミナは横に並んで歩いている。
どこから話したらいいものか。私が悩んでいるのが分かったのか、先にラミナの方から話し始めてくれた。
「留守を任されていたのに、こんなことになってしまってごめんなさい」
最初に謝り俯くラミナに『君が無事で何よりだよ』と優しく返すと彼女は少しばかりうるんだ瞳でありがとうと微笑んだ。
「まずは私の方の状況を話すわね。貴方達が部屋を出てから翌朝までフィーネさんは目を覚まさなかったけれど、目を覚ましてからは顔色も良く元気そうだったわ。
其れから、お昼頃だったかしら、お城の中が騒がしくなったと思ったら、貴方たちが居ないって。どこか心当たりはないかとお城の人に聞かれたけど、知らないと答えたわ。
どこへ行っていたかちゃんと教えてくれるわよね?
それから暫くは静かで、フィーネさんも食事をとれるくらい元気になってから三人で給仕が運んできてくれた夕食をとっていた所までは覚えているのだけど……その後のことは覚えてないの」
『そうだったのか。こっちは色々あったよ』
少し疲れた声で苦笑いを浮べるとラミナは「お疲れ様」と微笑み労わるような眼差しを私に向けた。
私はこれまでのことをかいつまんでラミナに話した。
王宮の中庭で
宝珠は火の神殿にあると言うことで神殿に赴き火の宝珠を受け取り無事に戻ってくると王宮に
侵入した蛇人はラミナのことで、蛇人はこの国の行方不明の王子を誘拐した犯人になっていいた。
王子を連れ戻さなければラミナを処刑すると言われたが、行方不明の王子とはメテオールのことだった。
彼の案内とキキとソアレの協力で王子の遺体を持ち帰り、国王に渡したことでラミナの無実が証明され無事解放された。
ラミナに関係することは大体このあたりだろう。あ、もう一つあった。
『君を庇ってくれた近衛騎士の一人があの時の恩がかえせたと伝えて欲しいと言ってたよ』
「そう、彼は今も元気に過ごしているみたいね。それなら良かったわ」
嬉しそうに微笑むラミナの顔にはどこか陰があった。近衛騎士の無事は嬉しい、けれど素直に喜べない事情があるようだ。訳を聞けば彼女は答えてくれるかもしれない。でも、それはきっとラミナの心の傷に触れること。いつか、彼女の傷が癒えたら話してくれる日を私は待つだけだ。
話を終え、気づいたころには私達はあてがわれた部屋に到着していた。
ソアレとキキを起さないようにベットに寝かせる。子供たちが安心して眠るベットの縁にラミナと私は自然と隣り合わせで座っていた。
「こんなにボロボロになってお疲れ様」
私に向き合ったラミナの触れた私の
子供たちの手前、ずっと張りつめていた気持ちの糸。それもとうとうプツリと切れた。もう大丈夫という安心感と共に耐え難い眠気が襲ってくる。
コックリコックリと舟をこぐ私の口元にしっとりとした柔らかな感触が押し付けられた。
「今はこれくらいしか返せなくごめんなさい。愛してるわ、アステル」
そう小さく呟き、再度押し付けられた柔らかな唇。ラミナの唇から甘く暖かな魔力が流れこんでくる。この感覚には覚えがあった。
これは幼いころ、寒い日に母さんが僕にくれたホットチョコレートの味だ。ほんの少しだげ思い出した甘い過去と共に私は眠りの世界に沈んでいった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます