第122話

 無事、メテオールの遺体を借り受け、王宮に戻るための転移陣を地面にソアレが描いている姿をみつめる私の背中にイザベラが声をかけた。


「私の所有物をお貸ししたんですから、所有者が同行してもかまいませんわよね?」


 不死者であるの彼女には難しいのでは?一般的な不死者アンデッドは闇の魔力が枯渇すると飢えから人を襲うと教えられた。もし、イザベラが人を襲うようなことがあれば最悪、彼女を倒さなければならない。

 彼女の個人的な理由があったにしてもこうしてメテオールの遺体を保存していてくれた恩はある。出来ることなら恩義あるイザベラを倒すようなことはしたくない。

 振り向き答えあぐねている私に


「ご心配には及びませんわ。こう見えて私、相当貯めこんでいますのよ。谷から離れても数年は枯渇しませんわ」


 豊満な胸に手を当て語るイザベラの顔は偽りのない自信に満ちっていた。暫く大丈夫と言うなら彼女が同行するのは問題ないだろう。


『分かりました。それならイザベラさんも一緒に』


 描き終わった転移陣の中央でソアレが私達を手招きしている。足早に転移陣に向かう途中でイザベラと並ぶと彼女は私の耳元で囁いた。


「文句の一つでも言ってやりたいものもいますからね。まあ、生きていればの話ですが」


 真っ赤なルージュを引いた唇の端をにっと上げるとイザベラはメテオールの遺体の手を引きながら私を追い越して行った。

 最後になった私が転移陣に到着したのを確認すると「それじゃあ行くよ」と一声かけるとソアレは転移陣を起動させた。




 転移陣が起動し、闇に覆われていた渓谷の景色の闇と光が徐々に入れ替わっていく。一面、白色に塗りつぶされ、再度色が戻った時にはそこは王宮の中庭の噴水の前だった。

 数時間前のあわただしさは鳴りを潜め、王宮はシンと静まり返っている。

 刻限には間に合ったのだろうか?慌てて見た東の空にはまだ太陽の姿はなく、紺色の空の下限がうっすらと橙色を帯びていた。刻限に間に合ったことに思わず私とメテオールは胸をなでおろす。

 深く息を吐き呼吸を整え、鈴をかざしラミナを想う。リーンと澄んだ音が北東の方向で鳴り響いた。


【北東に王の居住区がある。おそらくラミナは兄上と共にいるのだろう】


 ラミナが捕らわれている北東の翼塔までは少しばかり距離がある。獲物を襲うという意思がない不死者ゾンビの歩みは極めて遅い。遅いゾンビに合わせていては間に合うものも間に合わなくなってしまう。

 今だ竜体のキキの方を見ると少しだけ困ったような嫌そうな視線をキキは返してきた。

 腐乱死体ではないとはいえ、遺体を背には乗せたくはないよな。ここは自分の身体は自分で運んでもらおう。


『大丈夫だよキキ。メテオールの遺体は私が運ぶから、キキはソアレとイザベラさんを乗せてきてくれないかい』


 私の言葉にキキはほっとしたような表情を見せた。


「分かったんよ。ソアレ、イザベラお姉さん乗って」


 キキが二人を乗せ、私がメテオールの身体を担ぐと同時に地を蹴り私達は王の翼塔へと駆けだしていた。


 右翼塔に到着すると本来なら厳重な警備が敷かれているであろう翼塔に人影はなくひっそりと静まり返っている。

 絶対に何かある。疑念を持ちつつ引いた扉は抵抗なく開いた。

 一階部はパーティーホールのようで鏡のように磨かれた大理石の床が明り取りの窓から注がれる星明りを受けキラキラと輝いている。そんな中、中央で十数人の人影が躍るように手にした武器を振りまわしていた。

 黒いロングスカートにエプロンと言った侍女服に身を包み、こめかみからは羊やヤギに似た角を生やし、銀髪に赤い瞳を持った判で押したような同じ顔立ちの13人の美女が襲い掛かるのは純白の槍を握る焦げ茶色の髪の青年と銀の短剣を走らせる淡い緑色の長髪をなびかせる少女。


『ノティヴァン!フィーネ!』


 思わず二人の名を叫ぶと一瞬だけノティヴァンは私の方に振り返り、フィーネは背を向けたまま応えた。


「俺達なら大丈夫だ。早く王様の元に行ってくれ」


「ここは私達に任せろ」


 ノテイヴァンとフィーネが言い終えるのと同時に金属同士がかち合う音がホールに響く。


『分かった』


 頷きホール最奥にある階段に向かい走る私とソアレとイザベラを乗せたキキを銀髪の侍女達が阻む。彼女達から振り下ろされる短剣やナイフを振り払い階段を駆け上ると見事な細工の施された扉が姿を現した。


 いきなり開けて良いものか、数瞬思案した結果、まずは伺いをたて方が無難とコンコンと扉を数度叩き名と目的を告げる。


『アステルです。王弟陛下のご遺体をお持ちしました』


 一拍置いてから「入ってまいれ」と中から国王の返事が返ってきた。


 室内は流石王族の住まい。高価でありながらも品の良い調度品が絶妙な調和をもって飾られている。中央のには国王、隣には地下室であった白いローブの女性、二人の後ろには身なりの良い赤髪の中年の男性が控えていた。

 左手奥の窓際には天蓋付きの豪華なベットが置かれ、その脇には真紅の鎧に身を包んだ男性が控え、ベットの中心には薄水色の髪の美女があたりの騒動など知らずに心地よさげな寝息をたてている。

 あぁ、ラミナが無事だった。安堵からひざから崩れ落ちそうになるのを何とか耐え、背負っていたメテオールの遺体を抱きかかえ、王の元へ歩み出る。

国王の前で私は跪きメテオールの身体を差し出すと王は戸惑うことなくその身を受け取り愛おし気に抱きしめた。

 涙を流し亡き弟の冷たくなった頬を優しく撫でる王をその隣で忌々し気に睨む白いローブの銀髪の美女の姿が視界の端に映った。


「全く、計画が台無しだわ。こんなことなら最初からあの女を殺しておくべきだった」


 唇が僅かに震えるほどの愚痴を零すと女性は王の元から一足でラミナの眠るベットに向かうと固い果実でも一刺しに出来る刃物のような長く鋭い爪を彼女に向かって振り下ろす。

 女性の計画では血に濡れるのはラミナのはずだった。しかし、血に濡れたのは銀髪の女性の方だった。

 考えるよりも先に私の身体は剣を抜いていた。黒い刀身が煌めくと指先には刃物のような爪があるが、色白の女性らしいほっそりとした美しい指を携えた手首が紫の血をまき散らしながら宙を舞う。


「噓でしょ、何で!?」


 驚き狼狽え手首を押さえながら座り込む女性の喉元に剣を突きつけながら私は見下ろし低い声で言った。


『私の前でラミナに手出しなどさせるものか』


 剣を握る手に力がこもり、浅く切られた女性の喉元から紫の血が滴る。


『何故、兄上を唆した!』


 怒気の籠ったメテオールの声に女性の肩がびくりと震え、慌てて女性は早口でまくしたてた。


「言います。言いますから、殺さないで」


 首元に突きつけていた剣を収めると女性は崩れる様に床に這いつくばり、僅かに顔を上げ声を絞りだしながら話し始めた。


「在る方に……頼まれたんです。火の国と蛇女ラミア族を戦わせて互いの戦力を削って欲しいと。その命が下ったタイミングで蛇女族の姫がこの国を訪れました。古くからいる宮中の者の話によると火の国の王子と蛇女族の姫は昔、恋仲だったと言うではありませんか。

 現在まで行方不明の火の国の王子が蛇女族に攫われたとあれば見つけ次第捕え拷問に掛け、その結果、蛇女族の姫が死んだとしても彼らは責任を取らないでしょう。

 蛇女族の姫が火の国の王族に殺されたと知ったら蛇女族は怒り戦を仕掛けるのは明白。……これがある方が描いたシナリオにございます。嘘偽りはありません。ですから……命ばかりはお許しを」


 白いローブを紫に染めた女性は懇願の念の籠った瞳で私を見つめた。

 そんな女性に対し怒りの治まらなず再度剣を引き抜こうとしたメテオールを私が止める。主犯でない彼女を罰したところで収まるのは一時的な怒りだけ。主犯を突き止めることの方が重要だ。


『ある方とは何者なんだ?』


「あの方……宰相閣下の……」


 私の問いに女性が口を開きかけたとたん、その身は一瞬にして黒い炎に包まれ、女性は声を上げる間もなく燃え尽き灰となった。

 この光景にこの部屋にいたもの全員が息をのんだ。口封じとはいえ酷いことをする。ポーチから小さな布を取り出し、私は床に積もった灰を集め布で包んだ。

 女性のやったことは許せないが、こんな最期を向かえた彼女の事は少しばかり不憫に思えた。


 銀髪の女性が死んだことで国王と宰相に掛けられていた魅了が解かれ濁っていた二人の目に光が戻る。誰もが言葉を発するのを迷うような沈黙を破ったのは国王だった。


「此度の難題を解いてくれたこと感謝する」


 感謝の言葉を述べた後、国王は私に向かって深く頭を下げた。


「其方には酷い仕打ちをした。すまなかった」


 心の籠った誠意ある謝罪を受けとらないわけがない。しかし、どう返せば良いのか私が迷っていると赤髪の男性が王に向かって駆けこんできた。


「陛下、頭をお上げください」


 宰相に促され頭を上げた国王と私の目が合う。


『陛下の謝罪。確かに賜りました』


 柔らかな声で一礼すると強張っていた王の顔にも笑みが浮かんだ。

 私の次に王の視線が止まったのはイザベラだった。


「そなたが余の弟を守っていてくれたのだな。名は何と申す?」


 謝意の籠った王の問いにイザベラは黒いドレスの端を摘み優雅に一礼と共に答えた。


「イザベラ・ キュアノプティラ・キュアノメラナにございます陛下」

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