第110話

 ソアレを抱いたまま来て良かった。そう思うほど小さなソアレなど簡単に人波に流されてしまう程、市場は多くの人が行きかい活気に溢れている。市場中央には広い主通路が敷かれその両端には色とりどりの幌を広げたテントが地平線まで続いていた。


 どうやら扱う商品によって幌の色が違うらしい。手前の緑の幌のテントには赤や黄色のトマトや紫色のナスがキラキラと日の光を浴び宝石のように輝いている。別の緑のテントには黒、白、臙脂色の乾燥豆が瓶に入れられ売られていた。他にも葉野菜や米や小麦粉と言った粉物を扱っているテントはいくつも見受けられる。

 緑が野菜なら赤は肉や魚を扱い、黄色は調理された総菜を青は飲料を扱っている。それ以外にも白は衣類、銀は刀剣から鎧、果ては包丁やスプーンなどの金物全般、紫は魔術書から子供の童話までと様々な書物を橙色は椅子やテーブルなどの家具を扱うなど本当に様々なものが溢れていた。


 ふと目に入った肉屋のテントには羊と豚の描かれた札が掲げられている。ここは羊と豚の肉を扱っているのか。別の肉屋に目を向ければそこには丸々と太った鶏と卵と駝鳥の札が掲げられている。他にはとあたりを見回せば駱駝ラクダワニの札を掲げている所もあれば砂色のクジラと同じく砂色の魚の札を掲げている所があった。

 普通、鯨などの海洋生物は青い色で描くものだと思うのだが?はてと私が首をかしげているとメテオールが楽しそうに教えてくれた。


【あれは、砂鯨と砂魚だよ。火の国の町は砂の海、砂海に浮かぶ小島みたいなものなんだ。砂鯨と砂魚は砂海に住む魔獣だよ。魔獣は生命力に溢れているから精がつくと人気なんだ】


 そうなのか。それなら火の神殿で試練を受けるノティヴァンに食べさせてあげたいなぁ。とそんなことを思っていると自然と身体は砂鯨の店へと向かい、日に焼けた浅黒い肌に短い顎髭を生やした厳つい男性店主に私の声でない朗らかな声で注文を告げていた。


『ご主人、砂鯨のベーコンと赤身のぶつ切りを500フォス貰えないかい?』


「毎度。全部で銀貨1枚と銅貨8枚になりやす」


 腰のポーチから銀貨と銅貨を取り出し店主の手に乗せると代りに経木に包まれた砂鯨肉とベーコンが私の手に乗せられた。


「ん?何か買ったのか?」


 私の後ろを歩いていたノティヴァンがひょっこり顔を出し、私の手の上のものを興味深そうに眺めていると


『夕飯と酒の肴ですよ』


 笑うような声で返すメテオールにノティヴァンは


「それは楽しみだ」


 とこちらも期待に満ちた笑顔を浮かべた。

 ノティヴァンの笑顔を眺めているとはっと何かをメテオールが思い出したような感覚が伝わってくる。


『そう言えば、まだお薦め料理を紹介していなかったですね』


 そう言うと少し先にある黄色いテントに向かって私は歩きだしていた。


 黄色いテントに近づくにつれてどういう訳か景色が重なているように見える。重なる景色の中に見間違えるはずのない薄水色の髪が楽し気に揺れている後ろ姿が見えた。彼女がここにいるわけがない。ならばこの景色は?これはメテオールの記憶?

 考えている間にも身体は黄色いテント、パン屋へと向かって行く。パンの焼けた匂いと油の香ばしい匂いが漂ってくる。胸に抱いていたソアレが小さな声で「美味しそう」と呟くのが聞こえた。


『火の神殿から戻ったらラミナとキキにも買って行ってあげよう』


「きっと喜ぶよ」


 私の言葉に笑顔を浮かべるソアレと今より少しばかり幼さのあるラミナの嬉しそうな笑顔が重なった。どうしてメテオールの記憶の中にラミナの姿があるんだ。言いようのない不安が胸の中で渦巻く。メテオール、彼はいったい何者なんだ。


【大丈夫かい?】


 私がメテオールの感情の機微が分かるようにメテオールにも私の感情が伝わっている。返す言葉に迷っていると優しく諭すように彼は私に語りかけた。


【大丈夫。君が心配するようなことはないよ】


 その声は優しくそれでいて深い悲しみが籠っているようだった。


 パン屋ではメテオールのお薦めのパン生地にカレースパイスで味付けした羊のひき肉に卵やみじん切りにした玉ねぎを包んで焼いたものを更に揚げたカレーパンをいくつかと甘い菓子パンに砂鯨の揚げたものと葉野菜を挟んだものを購入。それから夕食に必要な材料を少しばかり購入して私達は市場を後にした。


 駆鳥テレチプリ乗り場へと戻ると待ちくたびれたのか私達の姿を見ると純白の駆鳥は「クェエエ!」と一声不満の声を上げた。


「待たせてごめんね」


 駆鳥の頭を優しく撫でながらソアレが謝ると「クルゥ」と駆鳥は甘えた声を出し目を細めた。


『それでは火の神殿までご案内いたします』


 ソアレとノティヴァンが荷台に着いたのを確認すると私は御者台に座り駆鳥の手綱を握る。パンと手綱を一振りすると駆鳥は火の神殿に向けて駆けだし、あっという間に王都は遥か後方に位置していた。

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