第75話

それは翌日、三日目のことだった。空は黒い雲に覆われ、天上からは大粒の雨が降り注ぎ、風は強く大きく船を揺らし、波はうねり船を飲み込もうとしていた。


不規則に船は上下左右に大きく揺れ、ラミナは壁に備え付けられた転落防止のベルトを装着して客室のベットの上で子とも達を抱きかかえ、その脇で完全に船酔いになった私は小さく呻きながら座り込んでいた。


頭痛と吐き気で朦朧とする意識の中で私は思う。


私はなんて中途半端な存在なのだろう。


味覚以外は人の持ちうる全ての感覚を持ちながら、その身体は空の鋼鉄鎧。

本来、不死者アンデッドは痛みも乾きも睡眠も必要としない身、であるはずなのに私は痛みも乾きも睡眠も感じている。


全ての感覚をなくしていっそ魔物らしい魔物になってしまえたら楽になれるのに、感覚があることが時に恨めしく思うこともある。


けれど、この感覚があるからこそ私は私でいられる。

失くしてしまったらきっと私は私の形をした別の存在になっているだろう。

だからこの痛みは大切なもの…と理解はしていてもしんどいものはしんどい。




コンコンと扉を軽く叩く音の後に続くのは心配そうな勇者の声。


「みんな大丈夫…ですか?」


「ええ、私達は大丈夫。でも…」


ラミナの心配げな視線が私の方に向けられるの同時に扉が開き歩み入った勇者は私の傍らに屈み込んだ。


「すまない。俺のせいで辛い目に合わせて」


謝る勇者に私は途切れ途切れに想いを伝えた。


「貴方が…悪い……訳じゃない。……私が決めた…ことの…結果」


だから気にしなくて良い。けれどそこまでは言えず目で訴えかけると勇者は理解してくれたようで、


「ありがとう」


と申し訳なさげに微笑んだ。私も表情の作れる目で笑みを作る。沈んだ雰囲気が少しばかり和んだところにドンと衝突音と共に大きく客室を揺れが襲った。


それから間を置かずにドタドタと慌しい足音とともに船長と船員達が私達の部屋を訪れた。


「大変だ勇者様、船喰い鯨フィセテル・マクロセフィルス赤輝血大王烏賊コロッサル・スクイッドの格闘に巻き込まれた。このままじゃ沈没する。避難の準備をしてくれ」


切羽詰った形相の船長の後ろでは顔面蒼白のナーウィスは「さっきまでいなかった。さっきまで観測機には何の影も無かったんだ」と小声で呟いていた。


ナーウィスの言葉が事実なら船喰い鯨フィセテル・マクロセフィルス赤輝血大王烏賊コロッサル・スクイッドは何者かが私達にけしかけたものとしか考えられなかった。


「ねえ、ソアレ。船喰い鯨フィセテル・マクロセフィルス赤輝血大王烏賊コロッサル・スクイッドってどんなの?」


「うんとね、船も飲みこんじゃうくらいすっごく大きい鯨っていう魚みたいな生き物と同じくらいおっきい足が10本ある烏賊って生き物だよ」


焦る大人達をよそにキキは巨大生物に興味津々で目を輝かせている。


「観にいこうよ」


「え?」と一瞬呆けた顔をしたソアレの腕をキキは掴むと甲板に向かって駆け出していた。


『キキ!ソアレ!!』


慌てて私も追いかけるが、ふらつく足では子供でも全速力で駆ける二人には追いつかない。追いついた時には二人は既に甲板で互いを食らおうともみ合い格闘する船喰い鯨フィセテル・マクロセフィルス赤輝血大王烏賊コロッサル・スクイッドの姿を楽しそうに観察していた。


「おっきいねー。凄いねー」


その巨体に暫しキキは感嘆の声をあげる。その隣では熱心にソアレがやや水色ががかった透明な水晶鋼で作られた記録用の魔導具【無垢の百科事典】にソアレ特製の水晶で作られたどんなところにでも魔術陣や文字が書ける魔筆で何やら書き込んでいた。


2人に追いついはいいが、まともに立ってられず甲板にへたり込む私の方にキキが顔を向け尋ねる。


「この子らが暴れてるせいで、お父ちゃんしんどい目にあってるんよね?」


『…まあ、そうだな…』


全部ではないが9割がたはこの二体の巨大生物達が起こしている揺れのせいで船酔いが酷くなってるのは在る。


「わかった。じゃあ…」


言うとキキはすーっと大きく息を吸い込むと


「ケンカすんの止めい!!!」


本気のドラゴンの一喝にビリビリと空気が震える。数秒前まで互いに食らおうと暴れていた船喰い鯨フィセテル・マクロセフィルス赤輝血大王烏賊コロッサル・スクイッドはビクリと大きく震えると小さなキキを前にその巨体を可能な限り縮こまらせた。


「何でケンカしとったんよ?」


柔らかい声でキキが2匹の巨大生物に尋ねると此方には何も聞こえないが時折キキは頷くようなしぐさをしていた。


「ご飯食べようとしたらこんな所に着ちゃたんだって」


2匹の話をキキなりに纏めた結果らしい。分かるような分からないような。


「君達、お腹がいっぱいになれば帰るんだね」


ソアレの言葉に鯨と烏賊が肯定で小さく頷いた。


「じゃあ、これをあげるから。食べたら元の場所に帰るんだよ」


ソアレは胸の前に両手を合わせると手の間に魔力を集めだし、暫くすると握り拳大の紫色の魔力の珠が出来上がった。珠を2つ作り出すとソアレは「ほら、お食べ」と鯨と烏賊に投げ与えた。


珠を食らった烏賊は早々にこの海域から離れていったが、鯨のほうは珠を食べると眩い光に包まれた。どうやら進化したらしい。進化した鯨は私達に語りかけてきた。進化したことで会話が可能になったようだ。


【先ほどは大変ご迷惑をおかけしました、我らが王】


深々と頭を下げると鯨は謝罪の言葉を述べた。鯨には本能的にソアレの存在が分かるらしい。


【お詫びといっては何ですが、我が王達を目的の場所まで送らせてはもらえませんでしょうか?】


「送ってくれるのはありがたいけど揺れないかな?」


鯨の提案にソアレが疑問を投げかけると


【それならば】と鯨が言うとあっという間に船は鯨の背の上に乗せられていた。巨大な鯨の背に乗せられた船はまるで小島に立てられた丸太小屋のようだ。


【これで王達をゆれずにお連れで来ます。しばし、ゆくり寛いでくださいませ】


言うが早いか鯨は物凄い速さで泳ぎだす。本人?本獣?が言うように船は全く揺れず荒れ狂う波を切り裂き鯨は突き進んでいった。あっという間に暗雲が立ち込める海域を抜け、上空には青空が広がる。青く澄んだ空に浮かぶ雲はものすごい勢いで流れていった。




始めは驚いていた船員達も直ぐに落ち着きを取り戻し、勇者やラミナ達と食堂でのんびりとお茶を楽しんでいた。

のんびりと3時間オーラほど過ごしていると、前方に陸が見えてきた。




『あれが地の大陸か』


1人、船室へ続く扉の横の壁に背を預けながら呟く。


徐々に港の風景も見え始めた頃


【私はこれにて失礼いたします】


と言うと鯨は海に潜り、船は海面に下ろされた。


「ありがとう」


「またねー」


とソアレとキキが去り行く鯨に手を振ると鯨は豪快に潮を吹き、悠々と泳ぎ去っていった。




こうして無事、私達は地の国、東都の港に到着した。

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