第25話
『さて、用は済んだかの』
「はい、お待たせしましたわ」
言うとパナはわたしと翁の間から離れようとした。慌てて私はパナに声をかけた。
『すまない。稽古の間、預かっててくれないか』
首にかけていた鈴を外すとパナに手渡した。リーンと綺麗な音が鳴り鈴はパナの手に収まった。
「確かにお預かりしましたわ。頑張って」
わたしと翁の方を交互に見やるとパナはわたし達から距離をとった。
わたしと翁は10歩ほど間を開けると互いに向かい合った。
『まずは、わしの速さに慣れる所から始めようかの。どこまで凌ぎきれるかの?』
翁が片手剣を抜き構える。わたしも双剣を構えて応じた。
『行くぞ』
声と共に斬撃が襲ってきた。先ほどと変わらない重い一撃を両の剣で耐える。カキーンと金属同士がぶつかる音が森に響く。
防いだ傍から次の一撃が襲ってくる。次の斬撃を防いでも殺しきれなった勢いで重心がぶらされる。体勢を崩したら致命傷になりかねない一撃をもらうのは確実だ。
体勢を崩さないように足に力を込めても打ち込まれたほうの足が僅かに浮いてしまう。
浮いた所に下から掬い上げる様な一撃が続き、とうとう体勢を崩したわたしは地面に転がった。早く立ちあがらないと。
急いで立ち上がるわたしの前に上段から袈裟斬りを放つ翁の姿があった。
左肩口に翁の片手剣がめり込む。激痛にうめき声が出る。胸まで翁の剣が来る前に力の限り押し返し立ちあがった。
始めてからどれくらい経ったのだろう?
動きはだいぶ追えるようになってはきたが、身体のほうがまだ追いつかずいたるところに深く剣で斬られた傷が作られていた。
左目にも縦に一筋、深い傷が作られていた。人の身であったのなら失明は間逃れなかっただろうが、リビングアーマーの身にはさして問題ではなかった。
痛いよ、痛いよ、もう止めようよ
子供のわたしの心は身体中の傷の痛みに既に泣き叫んでいた。
剣は離していない。まだ、戦える。意地だけで泣き叫ぶ自分を無理やり黙らせた。
それでも、意地だけで動いている身体にも限界はきていた。
正面から来た重い一撃を防いだものの、重心が僅かに後ろに傾いた。重心を戻そうとした時には翁のバックステップから繰り出された下段からの掬い上げの斬りが胸部甲を撫でるように切り裂き、持っていた双剣を弾き飛ばした。
斬られ、完全にバランスを崩したわたしは仰向けに地面に倒れた。
もう一撃くる。防ごうにも既に剣もなく、腕すらもう上げることも出来ない。観念して思わず目を閉じても次の攻撃は来なかった。
恐る恐る目を開けると、ポコンと軽く鞘で頭を小突かれた。
『休憩じゃ。少し休め』
言うと翁は鞘を腰に戻し、持っていた剣を収めた。
『きゅ…う…けい?…』
張り詰めていた緊張が解けたとたん、強烈な睡魔に意識は闇へと飲み込まれていた。
目が覚め起き上がると、身体のいたるところがズキリと痛んだ。細かい傷は塞がったものの大きく深い傷はまだ塞ぎきらず、動くたびに痛みが走った。
顔を上げると丸太で組まれたテーブルに頬杖をつき丸太の長いすに座る翁とその対面に座るパナの姿があった。二人の後ろには黒い水の貯まった池も見えた。
ということはここは翁と最初に会った場所?
『やっと、目が覚めたか』
やれやれと呆れた声を出す翁に
「ぐっすりお休みになられてましたよ」
とパナはふふといたずらっぽく小さく笑っていた。
『どれくらい眠ってました?』
わたしが尋ねると翁は机の端に置いてあった懐中時計に手を伸ばし掴んだ。
『丁度、ユニコーン星の刻(5時)になったところかの。ここは日が差さんから
時計がないと時間が分からなくなるからのう。何オーラ(時間)寝てたかだったな。健康的に7オーラ(時間)ぐっすりじゃったよ。主があまりにも起きないし、暇じゃから、わしの塒までつれてきたわい』
『ご迷惑おかけしました』
しゅんとなったわたしが謝るとカラカラと翁は楽しげに笑い
『良い良い、育ち盛りは良く眠らんとな』
椅子から下りると少し乱暴にわたしの頭を撫でた。
『鍛える時には鍛え、休む時には休むのは基本じゃよ。無理はいかん、いずれ歪みが生まれるからの』
『わたしは無理なんか…』
『それでは、目の下のそれはなんじゃ?』
翁の大きないぶし銀の指がわたしの目元を掬うと細かいガラス片がキラキラと輝いていた。
『焦らずとも良い。わしが一人前の騎士にしてやろう』
再度、翁はわたしの頭を乱暴に撫でる。それは不器用な父親に撫でられているようでどこか心地よかった。
『さてパナ、すまぬが留守番をしていてくれるかの』
翁の言葉にパナは拗ねることなく微笑みを浮かべていた。
「見送りですね。いってらっしゃいませ」
とことことパナはわたしに向かってくると預けていた鈴をわたしの手に握らせた。
『ありがとう』
受け取った鈴を首にかけるとパナに手を振った。
「お気をつけて」
女神のような柔らかな笑みを浮かべたパナがわたし達の背中を見送ってくれた。
森の端にある黒い水の流れる川までわたしと翁はたわいもない雑談をしながら進んでいった。
『主と一緒に生活してるのはラミナだけなのか?』
『いえ、この森で拾った魔物の赤ちゃんのソアレが一緒です』
『その子はどんな子じゃ?』
『金色の髪に紫の瞳の笑顔が凄く素敵で、ゴブリン達にも愛される可愛い子ですよ』
親バカ全開で惚気るわたしにほんの一瞬、翁が厳しい雰囲気を出していたようだったが、わたしはそれには気づいていなかった。
『親バカも程々にしおくんじゃぞ』
呆れたように笑う翁に、
『程々に…出来たらしておきますよ』
と苦笑いでわたしも応えた。
そんなことを話しているうちに見覚えのある黒い川の川原に到着した。
『ここまで来れば大丈夫です。見送りありがとうございました』
翁に礼を言いわたしは頭を下げた。
『うむ、気をつけて帰るんじゃぞ。次の稽古じゃが明日、フェニックス月(7時)の刻にここで待ち合わせでどうじゃ?』
『はい、了解しました。それでは失礼します』
再度、深く頭を下げるとわたしは翁を背に鈴にラミナの事を想い念じ、腕を西に向けると正解だったようでリーンと澄んだ音を奏でた。
鈴の導く方向、ラミナとソアレの待つ家にわたしは駆け出した。
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