霧深き森の魔女 - 2

 どこまで行っても、霧、霧、霧。葉先が尖った木が立ち並ぶ景色が、白い霧の中にずっと続いている。レオンを先頭に、あたしは通った木にひたすら印をつけながら、誰もなにも発さずにしばらくずーっと歩いていた。

 少しだけ柔らかいふかふかとした土を踏む感触に慣れ、同じところをずっとぐるぐる回っているんじゃないかと錯覚しそうになる頃、レオンが「前方に家が見える」と教えてくれた。

 ようやく木だけの風景からオサラバできる——とはいったものの、やはり木に囲まれた森の中の一軒家だったのであまり変わり映えした気がしない。

 煙の出ていない煙突が天に向かって伸びている、レンガで造られた家だ。玄関前には人が並んで二人立てるくらいのポーチがあり、そこから三段くらいの階段が地面に向かって設置されている。玄関扉の横には小さな覗き窓。

「だれかいますでしょうか」

「いてくれるといいんだけど」

 あたしは覗き窓よりも右側にある大きな窓を覗き込んでみるが、カーテンが閉められていてよく見えない。

「とりあえず声かけてみるぞ」

 レオンは言うが早いかノッカーを叩いている。コンコンコンと三回音がした。

「すみませーん。誰かいませんかー」

 呼びかけて、彼はもう一度ノッカーを叩いた。あたしはその間にメルと一緒に彼の後ろ、ポーチ階段下に移動する。

 しばらく待ってみたが、家の中から音がする気配がない。

「おへんじ、ありませんね」

「ないわねー。留守かしら」

「ん? でもドア開いてるぞ」

 ガチャっとノブが回る音。レオンが掴んだままのノブを引くと、なんの引っ掛かりもなく扉は外側に開いた。レオンはそのまま中を覗きこんだが、次の瞬間ものすごい勢いで扉を閉めた。

 バタンッ! という大きな音と衝撃でたわむのが見えたけれど、扉、壊れてないだろうか。

「どうしたの? レオン」

「……いや、その。二人は絶対中を見ないほうがいい」

 先ほどとは打って変わって、こちらを振り返ったレオンの顔からは穏やかさがなくなっている。声も強張っているようだ。

 どうやら中に、ただならぬものを見たようだが……。

「中になにがあったの」

 あたしが問い質すと、少しだけ言うのを躊躇ってから、結局は重く口を開いてくれた。

「見間違いでなければ、バラバラ死体」

 ぎょえっ——‼︎

 バラバラって、確か腕とか足とか胴体が離れてる死体のことじゃあ。

 返す言葉をつい見失ってしまったあたしとメルを見て、レオンは

「だから、見るなよ」

 と忠告してもう一度ドアノブを回し、そっと扉を開けた。

「……あれ?」

 レオンの拍子抜けした声。彼はそのままズカズカと中に入っていってしまった。

 どうしようか。見るなとは言われたが、ちょっとくらい怖いもの見たさで中を覗いてみてもいいだろうか。いいでしょう。

 メルをあたしの背中に隠してから、あたしは完全に閉まっていない扉をそっと開いて中を覗き見た。

 扉のすぐ下には、赤に白と黄色のライン装飾が入った玄関マット。その向こうは広い空間がすぐに広がっている。リビングと玄関が直結しているのだろうか。その割に、部屋の中に物が全然ないような。

 しかし、見える範囲に死体のようなものは見当たらない。不思議に思ってさらに戸を開いていくと、レオンが部屋の中央で立ったまま床を睨んでいた。その周囲には倒れた一脚のイスと、割れた花瓶が花と水を床に散乱させていた。

 それ以外、この部屋には何もない。血の跡すら、見当たらない。

「死体なんてどこにもないじゃない」

 完全に扉を開け切ると、あたしはメルを連れてレオンの方に歩いていく。

「ああ、ないな……」

 身のない返事。レオンは腑に落ちないようで、床を見つめたまま考え事をしている。

 部屋の中央からぐるっと部屋の中をもう一度見てみるが、やはりそこから続く扉なども見当たらず、カーテンのかかった窓しかない。ここはもしかして、山小屋かなにかなのだろうか。

 ——あれ? じゃああの煙突どこで使ってるんだろう。この部屋、暖炉もないみたいだけど。まあ、それがわかったところで、ここがどこかわかるわけでもないし、どうでもいいか。

「レオン、人もいないみたいだし、他のところ……メル、どうしたの?」

 メルがレオンの方を見て、目を見開いている。

「え、あの、あれ……」

 メルが指差す方をあたしも見て……言葉を失い固まった。

 あたしとメルの様子がおかしいのに気づいたレオンが、あたし達を訝しげに見る。

「どうしたんだ? 二人とも」

 気づいていないみたいなのだが、これは気づかせた方がいいん、だよね⁉︎

 あたしとメルはとにかくレオンの頭上を指差す。

「上?」

 レオンは上をぐるっと見て——自分の斜め後ろの天井を見た時、あたし達と同じように固まった。

 ニタァっと口角を吊り上げた、毛先まで血塗れの顔が、天井から生えていたのだ。

 ボタっ——と何かが横に落ちてきた。恐る恐る横目で確認しようとする、その直前。


「全員走れっ! 外に出ろ‼︎」


 レオンの一喝を合図に、あたしとメルは悲鳴を上げながら玄関から外へと飛び出していた。背中に、あの頭部の声なのかわからない「うふふふふ……」という声だけが不気味に響いている。

 脇目も振らずに声が聞こえなくなるまで走り抜けると、あたしは前屈みになって荒くなった息を整える。

「ぜぇ、なん、ぜぇ、だったのよ、ぜぇ、さっきの、ぜぇ、はぁ」

 あたしの言葉に、なぜか誰も返事をしてくれない。というか、あたし以外の呼吸音が聞こえてこない。

 不思議に思い、顔だけ上げて周囲をぐるりと見回した。


 誰も、いない——?


「いっ⁉︎ はぐれたっ⁉︎ ちょっ、レオンー! メルー! いたら返事してってばー‼︎」


 しん…………


 悲しいかな、あたしの声は霧に吸収されるばかりで、どこからも返事は返ってこない。

 じょ、冗談でしょ。こんな訳のわからないところではぐれるなんて。と、とにかく二人を探して合流して、ってどうやって探すのこんなとこ! えーっとえーっと、とりあえず落ち着けあたし!

 両手に拳を作ってこめかみをぐりぐりとしながら、深呼吸をする。さっき見たのは、あたしが知ってるものに当てはめると……。

「あっ、幽霊ゴーストか、あれ」

 脳が落ち着いてきたのか、ようやくピンとくる。あの家に憑いている地縛霊の類だろうか。相手が幽霊ゴーストなら、物理は効かなくて神聖魔術なら効果があるはず。

 でもあの家自体ちょっと不自然だった気がするし。うーん、なんだろう。こういう時に使えそうなのが確かなにか……。

「あっ。この間見た論文にあったの使えるかも」

 脳内が閃いた。確か邪気を払い清浄を司る、脳天使エクスシアイの力を借りるものだったはず。天使に捧げるモミの枝一振りが必要で……。

 そこであたしは近くに天高く聳える、もはや見飽きた針葉樹を見上げる。確か草木は地水火風の地に属したはず。

 ——とりあえずこの枝でいっか。

 あたしはメルと違い、地精霊テドラモと相性が良い。鋼や鉄も地に属する地精霊テドラモの領分のため、他の属性の術を使う時にこれらを混ぜるとグッと安定性が増すのだ。あたしが剣を媒介にする剣魔術を好んで使うのはそういう理由もあったりする。今回も、本来使うべき木の種類と異なっていても、木ならば地精霊テドラモが多少補助してくれるはずである。

 それを期待しながら手頃な取りやすい枝を一振り拝借すると、あたしは両手でそれを掲げるように持ち、呪文を唱えた。

聖なる加護エクスアイ・ティクトインディ

 不可視の力が周囲に張り巡らされるのが肌で感じられた。両手に掲げた枝を見れば、魔力が込められて淡く発光している。どうやら、まやかし封じの術はうまくいったようである。これなら再びあの幽霊ゴーストに遭遇しても惑わされることもないはずだ。

「よし。これで」


 ドカン——‼︎


 少し離れたところで大きな爆発音がした。

 今度はなに⁉︎

 音のした方に振り向けば、霧の向こうにかすかに煙のような影が見えている。まさか、と思って二人に持たせている目印を探ると、同じ方向に反応が感じられる。

 あの煙の出所、レオンとメルじゃ!

 術を使った途端にこれってことは、やはりあたしだけ惑わされるかどうかされていたようだ。 

「どうやらこの術、ちゃんと効果あるみたいね」

 あたしは枝をしっかり掴み直すと、音のした方向に向かって走りだす。あたしが移動する間にも、爆発音は絶え間なく響きながら移動している。

風飛行イルフ・イ・アーヴァ!」

 急加速をしながら風があたしを包み込む。あたしはそのまま木々を避けつつ、一直線に爆発音に向かって飛んだ。——見えた!

「レオン! メル!」

 あたしは空中で術を解くと、抜き身の剣を構えたレオンとその後ろに隠れるメルの二人の近くに着地した。

 ——あたしの顔を見て驚いた顔をしているのは、気のせいだろうか……?

「この爆発、なにがあったの?」

 状況を聞いても返事はなく、二人の目線はなぜかあたしの顔と空中とを行き来している。一体そっちに何が……、と二人の視線の先を確認して、あたしも目が点になった。

「なぁんだ。後で個別にちょっかいだしてやろーと思ってたのに、もう合流しちゃった」

 木の上、器用に枝の上にしゃがみ込んで頬杖をつきながら、あたしたちを見下している人影がある。それはなんと、あたしだった。

 ひだまり色の髪、ベージュ色の貫頭衣に黒のマントに青のショルダーガード。間違いない、あたしと同じ格好で、あたしと同じ声で話している。

 状況がよくわからないが、とにかくあたしがもう一人、そこにいたのだ。二人があたしを見て驚いた理由はこれか。

 ところが一瞬、その姿に別の姿がブレるように重なる。目をこすって今一度見るが、やはりたまに木の上のあたしの姿がブレる。

 ――もしかして、幻覚か何かであたしの姿を見せているだけなんじゃ。

「えっと……、お前がミナ、か?」

 恐る恐るレオンに確認されて、あたしは彼の方を向きながら力一杯首を縦に振る。

「あたし、ミナ。ミナ=ファーストン」

「え、ミネじゃ」

 あたしは彼の頰に無言で拳骨を決めた。

「あ、た、し、は、ミ、ナっ‼︎ って何度も言ってんでしょうが‼︎」

 抗議するが、彼は頰を抑えながらしゃがみこんでいる。レオンの後ろにいたメルが困惑したようにレオンに声をかけた。

「あの、だいじょうぶ、ですか? 回復魔術、かけましょうか?」

 彼女の申し出を、彼は「平気」だと辞退して立ち上がる。そして真剣な顔であたしに告げた。

「間違いなくこっちが本物のミナだ。すっげー痛かった」

「当たり前でしょ! 一体なにで確認してんのよ!」

「わかりやすいと思って」

 もっかいぶん殴ってやろうかコイツ……!

 と思う気持ちはなんとか抑えて、あたしはあたしの偽物をきっと睨みつける。

「ちょっとちょっと! なにあたしの姿を勝手に使ってくれてんのよ!」

「ちょうど良かっただけだけど、やーねー、実力もないクセに粋がる奴らって」

 偽物はつまらなそうにため息一つ。完全にあたし達のことをナメている。

「人に迷惑かけといてなんなのよその態度は! ていうか、あんた誰よ!」

「そっちが悪いのに、人のせいにしないで欲しいんだけどぉ。まーあー」

 そこで偽物は器用に枝の上で危なげなく立ち上がる。少しだけ枝がしなった。偽物はマントをバサリと翻すと、やはりあたし達を見下したままクルリとその場で一回転する。すると、先程までのあたしの姿はかき消え、紫髪のボブに白のローブ姿の少女がそこに立っていた。

「あたしが誰かと聞かれたら、世界でい〜ちばんかわいい美少女、ハンナ様って教えてあげるのが筋よね。タネもバレちゃったし、じゃーねー」

 あたしの声とは違う、あたしよりも少し高い声が名乗りをあげる。が、霧に溶けるようにその姿は瞬く間に見えなくなってしまった。

「あ、ちょっと!」

 制止も遅く、彼女の笑い声だけがどこかから響いていたが、それもすぐに聞こえなくなった。

 気がつけば、あたし達はまた、どことも知れぬ森で、霧の静寂に包まれていた。


 入り口から付けてきた目印を見失ったことに気がついたのは、そのすぐ後のことだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る