前髪の奥まで覗いて

嘉田 まりこ

第1話 カノジョ・彼女

 一日じゅう立ちっぱなしで、一日じゅう喋りっぱなしで、若いくせに手荒れは酷いし、土日が休みになることはほとんどない。道具は高いし、汚れるの前提なのにオシャレじゃなきゃいけない暗黙のルールだってある。

 でも、鏡の中の顔が綻んで、背筋もちょっと伸びて、見送った後ろ姿に音符が浮かんでいることもある。そんなお客さんのを貰うたびに最高だって思うんだ。あの子を可愛くしたのは俺だぞって誇らしく思うんだ。まだまだ歴も浅いし、肩書きもつかないし、誰かのサポートばかりで終わる日もあるけれど。

 美容師を選んだことは俺にとってベストだったと、自信を持って言える。


 だから、人――特に女の人を無意識に目で追ってしまうのは女好きだからじゃなくて、その人が俺のもとに来たら「どういう提案をしよう」とか「どんなカラーを勧めよう」とか考えてるから。

 ただ付き合って半年のカノジョはそれがイヤらしく、しょっちゅうケンカ。下心からじゃないと何度言っても気に入らないらしい。だから女の人を喜ばせたいって言っておきながら、それは悲しいほど不完全なことだった。


 だからかな、漠然と思ってた。

 この子とは続かないなって。


 でも、別れ話をするのは体力も精神力もいる。切り出せないままダラダラと時間だけが過ぎて、カノジョとのやり取りの第一声は『寝てた』とか『忙しくて』とかの嘘から始まることが増えていた。


 「……避けてばっかはいられないよな」


 早めに寝ようと横になったのに、スマホを開いたせいか、別れ話のタイミングを考えだしたせいか眠気がやってくる気配はまるでない。

 仕方なく酒でも飲もうかと、部屋を出てリビングへ向かった時のことだった。

 伸びる廊下の途中にあるバスルーム。少し開いた扉から、洗面台の前に立つ彼女の横顔が見えた。


 俺が暮らすシェアハウスの住人。203号室のその人は俺が知る限り、いつも完璧だった。

 詳しく聞いたことはないけれどインテリア関係の会社でコーディネーターをしているらしい。どんなに朝早くても髪の毛ひとつ跳ねていない人。自分に似合う化粧と似合う格好をちゃんとわかってる人。

 前髪なしのミディアムストレート。

 艶のある髪色。

 彼女を見るたびに、どこの誰の技なのか教えて欲しいと思うほどだった。


 いつも僅かなミスも見当たらない彼女に感じた違和感。

 その場を通りすぎることが出来なかった俺は思わず扉の中に飛び込んでしまった。

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