第83話 据え膳くわぬは・・・

 のちに彼女はミセスだということがわかるのですが、ミセス・フェロモンだとどうにも名探偵ポアロの秘書、ミセス・レモンを連想してしっまていけません

 ミセス・レモンはとてもチャーミングな女性で、ミセス・フェロモンとは真逆も真逆、まぁ、単純にレモンとフェロモンの違いくらいさわやかさと妖艶さが違います


 さて、常連さんがどこからか連れてきた場違いな女性は、お連れの相手はそっちのけで、どうやらすっかり僕にターゲットをロックオンしたらしく、まるで視線を外そうとしません


 常連さんと僕は長い付き合いではありますが、お互いのことをあまりはなしたりしたこともありませんし、義理も筋もさほどないような関係ではありますが、まぁ、さすがにすぐ横でこそこそとするわけにもいかず、どうしたものかと思うわけです


 この二人が店にやってきてから何人か客が入り、僕の良く知る若いグループなどもやってきて、カラオケがガンガン盛り上がっています


 おそらく彼らから見ると、常連さんの連れというよりも僕の連れに見えたのではないでしょうか

 遠慮して話しかけてきません


 そんな折、常連さんの歌の番が回ってきました

 彼はカウンターに座ったままカウンターの奥にあるモニターを見ながら歌いはじめます

 つまり常連さんから僕とミス・フェロモンは完全な死角になり、尚且つ周りの客からも常連さんが向きを変えたことで死角になりました


 ”機を見るに敏”と言えばそれまでですが、旅客機がエアポケットに入って行くがごとく、彼女の唇は僕の唇にあてがわれます


 ”あなにぬねの”と僕は心の中で叫びます


 女性にされて”何をするの”と聞くのも野暮なことですが、それだけ僕は隙だらけだったということでしょう


 ”君子危うきに近寄らず”と申しまして、しかしながら僕は生まれてこの方”聖人君子”であろうと思ったことはなく、ただ、一つだけ申し上げるとするならば”据え膳くわぬは男の意地”と、そんな生き方はしてきたつもりです


 何事もなかったような顔をして、酒を煽る振りをして、もしかしたら口紅がついているのではないかと、こっそりと口の周りをチェックするのでした


 さて、目的を果たした彼女は満足したのか、僕から視線を外し、常連さんが視界に入る位置取りをします

 下手なサッカー選手よりも見事なポジショニングで常連さんとのディフェンスラインの駆け引きをしているように見えました


 ”すごいなぁ”と感嘆の言葉を漏らしそうになる一方で、時間差で僕自身も妙な気分になってきます

 ここまで誘っておいて、ここで背を見せるとはなんと剛毅な


 気持ちよく歌い上げた常連さんは帰り支度を始めます

 どうせあと何軒か、行きつけの店をまわり、彼女を自慢したいのでしょう


 僕の座っている位置は、出入り口に近く、つまりレジは僕のすぐ横にあります

 会計を待つ彼女は僕に身体を寄せてきます

 やられっぱなしもしゃくなので・・・


 そこで何をしたのかは内緒です


 二人が返ったあと、若い客が僕のところに寄ってきます

 ”なんなんですか? あれは?”


 僕は答えます

 ”虎穴に入らずんば虎子を得ず”

 そんなおっかないことしなくても、若いうちには若いなりの遊び方があるだろう?

 あーいうのは、手を出すと、痛い目にあうぞ


 と、心にもないことを言ってはぐらかします


 マスターが耳元でささやきます

 ”大変でしたね”

 ”大丈夫、問題ない、ちょっと怖かったけどね”

 そしてマスターは教えてくれました

 どうやら彼女に見覚えがあると

 そしてそれは近所の紳士服売り場で働いていたのではないかということでした

 あまりにも様子が違うので最初は解らなかったそうですが・・・


 危ない、危ない

 ”間一髪”、”紙一重”、”タイトロープ”いろんな言葉が頭の中を巡ります


 さて、今回のオチ

 僕は家に帰ってからツイッターでつぶやきます

 ”据え膳くわぬは男の意地”


 翌朝、目が覚め、画面を見ると、そこに返信が・・・知り合いの女性からでした


 ”いくじなし”


 酒を飲んだ後のつぶやきは、本当にいけませんね



 では、また次回

 虚実交えて問わず語り

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