短編 彼女の一途な恋

森野 のら

第1話

図書館は良いところだ。

静かだし、本をタダで読むことができ、貸し出しもしてくれる。

昔から本が好きで、中学の部活も無所属の暇人の私が、そんな図書館に入り浸るのは必然だった。


それに。

ここには私の苦手な人種はこない。

怖い不良も存在しない。

耳障りな騒音も聞こえてこず、耳を塞ぎたくなるような誰かの悪口も息を潜める。


だが、だ。

この状況はなんだろう。

私は今、図書館の隅っこで一人の少女にぎゅ、っと抱きしめられている。

黒くて綺麗な髪を伸ばした目つきの悪い少女だ。

私はこの少女のことを知っていた。


信州 秋しんしゅう あき

中学で不良と恐れられている少女だ。

といっても、眉唾な噂ばかりで私は信じてなどいないのだが、その目つきの悪さは小心者の私を怯えさせるには十分である。


「信州さん……?」

おそるおそる問いかけてみる。

なにせ私も本を読んでいたら突然抱きしめられ、どういうことか分かっていない。

何かしてしまったのなら謝るが、信州さんはただ無言で私を抱きしめるばかりで、理由すら分からない。


「ごめん。諏訪すわ。あと少しだけこうさせてくれ」

私だということは認識していたらしい。

私の苗字を呼んだ上で、あと少しこうさせてくれと振り絞ったような声で答える信州さん。

抵抗する理由も術も持たない私は、少しの間信州さんの言う通りに、抱きしめられていた。


それから数分は経っただろう。

信州さんはゆっくりと体を離し、少し濡れた瞳で私の目を見る。

瞳が濡れているからだろうか、普段の目つきの悪さは影を潜め、ただただ悲しげな顔をした一人の少女がそこにいた。


「で、どうしたの?」

読んでいた分厚い偉人伝に栞を挟み、右隣の椅子に置いた。

私より頭一つ分ほど大きな信州さんは気まずそうに目を逸らしながら頬を掻く。


「嫌なことがあったんだ」

「うん」

「図書館に逃げ込んだらその、諏訪が居て……」

「うん」

「諏訪なら、何されても言いふらしたりしなさそうだなって……」

「それで私を抱きしめたと?」

「はい……」


思わずため息が出る。

いや、確かに警察沙汰になるようなこと以外は言う必要のないことなら言うつもりはないが。ましてや言いふらすなんて私が一番嫌いな行為だ。

だとしても。


「急に抱きしめられたら驚くし、叫び声をあげたかもしれない。許可をとってからするべき」

「許可を出してくれるのか?」

「見られたときのリスクも考えて、一回五百円で手を打つ」

「さ、三百円……じゃ駄目か……?」

自身の財布を確認して信州は、上目づかいで私を見る。

というかこいつ、本当に払う気だったのか……


「冗談だよ。真に受けないで」

「タダでいいのか!?」

「とりあえず抱きしめることから離れろ」

思わず口調が荒くなってしまった。

信州は、しょんぼりとした表情でこちらを見る。

なんだか悪いことをした気分だ。


「だ、駄目なのか……?」

「ほとんど会話したことない人を抱きしめるのはどうかと思う」

「それなら大丈夫だ!私はずっと諏訪をぎゅっとしてみたいって思っていたからな!」

「私の意志は無視かよ」


……いつもクールで一匹狼だと勝手に思っていたが、実のところこの信州 秋という少女はただのあほなのかもしれない。

失礼だが、真面目にそう思ってしまった。


「というか理由は?言っちゃなんだけど私はすっとんとんのぺったんたんだよ」


痩せ気味で140のどチビな私だ。

抱きしめても楽しくないだろう。


「そんなことないぞ。程よく柔らかくて抱くのにぴったりだ」

「あんまり嬉しくないな」


同い年の女子から言われる言葉ではないが、彼女なりの慰めなのだろう。

彼女の、のほほんとした間抜け面を見る限り、きっと何も考えていないのだろうが、慰めだと思い込むことにした。


「そういえば抱きしめる理由だったな。私は同性愛者で、女が好きだから、だから可愛い女の子を抱きしめたくなったんだ」


爆弾が投下された。


「けほっけほけほっ!」

「だ、大丈夫か!?」


突然、何を言いだすんだこの女は。

全然。微塵も。自身のマイノリティを告白する場面ではなかったはずだ。

それにそんなことを言ってしまえば、相手に警戒されるのも分かっていることだろう。


「お前、意味をちゃんと分かって言っているのか……?少なくとも人に、私のような今日初めて話したようなやつに教えることじゃねえだろ」

「あー、分かってるぞ。というかなんで私、今言っちゃったんだ?するりと言葉が出てきてしまった」

「するりとってお前……」

「ごめん。不快にさせたなら謝る」


どこか困った様子で、頰を掻く信州。

浮かべた苦笑いはどこか不自然で、下げた手は握り締められ、震えている。

なんだこいつ。言動がちぐはぐだ。


「私以外にそれを言ったのは?」

「ない。諏訪が初めて……だ」

「なんで……」

「諏訪はいつも、人の悪口が苦手そうに笑っていたから……ずっと、ずっと気になっていたんだ。でも私こんなんだし、近づくことも怖くてさ。だけど今日、嫌なことがあって逃げ出して逃げ込んだ先で諏訪を見つけた。勢いに任せて、思わず抱きしめてしまって、そしたらもういいかなーって」

「なにそれ、私が好きなの?」

「うん……」


人生初めての告白だ。

それがまさか同性で同じ年の女子だとは誰も思わないだろう。


目尻に涙を浮かべた信州は、少しずつ私と距離を置こうと離れていく。

まるで罪人のようだと思った。

罪状を読み上げられ、受け入れる事しかできない。

きっとそれは冤罪なのだろう。だがそれを冤罪だと主張するものはあまりにも少ない。


なんだか無性に腹が立つ。

おかしなことだと思う、しかし信州の行動にどうしようもない荒波が襲ってきたのは確かだった。


信州の手を掴む。

手汗がべっとりで、とても熱い。


そのまま私は、掴んで手を引いて左隣の椅子へ引きずり落ろした。


「す、諏訪?」

「なんだか無性に腹がたつ」


私より頭一つ分大きな信州は怯えた顔で私を見ている。


「私は嫌いな人種が三つある。一つ目は人の悪口を空気のように吐くやつ。二つ目は、捻くれていて自分が悪いことを絶対認めないやつ」


「三つ目は、自暴自棄になって自分を大切にしないやつだ」


「絶対に。勢いに任せて告白してもお前が傷つくだけだろ阿呆」


顔を両手で包み、しっかりと目を合わせて、そう言う。

少しクサいとは思うが紛れもない本心だ。


しばらくの間、呆然といった風に私を見ていた信州から嗚咽が漏れる。

涙がとめどなく溢れ、それを拭おうと必死な白く綺麗な手。

そんな姿はどこか芸術的だ。


こちらに倒れてくるような形で、私の服を涙で濡らす信州。


涙でぐしゃぐしゃになった顔を拭くのはハンカチだと相場が決まっているがたまにはラフなTシャツでも良いと思う。


「辛かった。言えなくて。でも言っちゃって。嫌われると思った。でも嫌わないでくれた」


シャツにしがみ付いて飛び出すのは幼子のような、まとまっていない言葉の群れ。

私は苦笑して頭を撫でてやる。


そんな不器用なコミュニケーションは、夕暮れ時になり閉館の三十分前になるまで続いた。


図書館の外に出ると、信州が一歩こちらに近づいてきて、私たちの距離が拳一つ分ほどに近くなる。


「私は、諏訪が。諏訪 彼方すわ かなたが好きだ……だけど今はそんなもの全部放り出して友達として一緒に居たい。だからわ、私と友達になってくれないか……?」


何というべきだろうか。

上手い返しを考えているとだんだん、涙目になる信州が見える。


「いいよ。というかあんなに濃いことがあって友達じゃないなんて言わないから心配しないで」

「本当か!?嬉しいなぁ」


顔を綻ばせる信州。

その姿は普通の15歳の少女だ。

私はちょっとした悪戯を思いついた。


「また明日、教室で。じゃあね


その瞬間、ぱぁ、と秋の表情が花開く。

そして八重歯を剥き出しにして、にひひと笑った。


「ああ、また明日な。彼方!」


嬉しそうに走っていく秋の後ろ姿を見届けて、私も帰路につく。


きっと、明日からの日常は今までよりも大きく変わるはずだ。

新しい友人の存在は、今までの薄い友人関係を壊してしまう。

それでも。そんな変化を楽しもうと思ってしまうのは、秋という変わった女のせいだ。


自然と軽くなっていく足取りは、私を少し早めに帰宅させるには十分であった。


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