ある日突然、アヒルになりまして

お先真っ暗なクロのスケ

第1話 『願い』

 お風呂に浮かぶアヒルになりたいと夢見る人間は、この世にどれくらい存在するだろうか。


 仕事をして、家に帰り、夕飯を食って、寝て、起きて、また仕事。

 単調な生活をしていると、ついついおかしなことを考えてしまうものだ。

 その日も俺は、疲れた身体を引きずって、6畳一間のアパートへと帰宅した。


 同居人はおらず、一人で暮らしている。

 最初にすることは、石油ファンヒーターのスイッチを入れること。

 季節は冬で、部屋は冷え切っている。ストーブの前で待つこと数十秒。ボッと火が灯った。


 しばらく、手をかざして石みたいに丸くなり、暖を取る。

 かじかんだ指先が徐々に温もりを取り戻して、ようやくひといき吐いた。

 その後、いそいそと冷蔵庫の中からビールを取り出して、買ってきたつまみと一緒に飲む。

 朝はパンで、昼は会社で頼んでいる弁当。飯を炊く習慣はなく、酒とつまみが夕食代わりだ。


 アルコールが体内を巡り、ヒーターによって部屋も充分に暖まった頃合いで、風呂に向かう。


 一応、トイレと浴槽は別であり、狭いながらも湯を張ればのんびりできる。

 しかし、追い炊きが出来ない為にお湯が勿体ないのと、面倒だからシャワーで済ませるのが常だ。

 もちろん、身体の芯までポカポカになれる訳もなく、風呂から上がったら再びヒーターの前へ。

 全身に温風を浴びながら、のそのそと寝間着代わりのスウェットに着替えて、ドライヤーで髪を乾かす。

 乾燥対策に保水クリームを顔に塗りたくれば、あとは寝るだけ。


 目覚ましがONになっていることを確認して、床につく。


 真っ暗な部屋で、睡魔がやってくるのを待っている間、様々なことを考える。

 仕事の失敗、明日の心配、将来に対する漠然とした不安。

 いつまでこの生活を続けていれば、報われるのか。

 昨日と違う明日が来て欲しいと願う半面、それはそれで怖いとも思う。


 彼女でも居たら、少しは変わるのだろうか。

 しかし、些細なことで言い合いになったり、喧嘩するのは面倒だ。

 そもそも、その存在によって一喜一憂すること自体が疲れそうだ。


 だから俺は、都合の良い夢を見る。

 その日思い浮かべたのは、アヒルになりたいという願い。

 湯船にプカプカ浮かんでいるだけでいいアヒルが、羨ましかった。


 妄想は加速する。

 もちろん俺はノンケなので、浮かぶなら女が浸かる湯船がいい。

 そして女ならば誰でもいいわけでもなく、老いぼれた婆さんなんかは困る。

 かわいくて、ナイスバディならば文句なし。夢が広がる。


 愛嬌のある黄色いアヒルとなって、そのつぶらな瞳で美女の裸体をガン見するのだ。

 

 そんな、心躍る変態チックな妄想に耽りながらも、本心は冷静そのもの。

 社会人になって暫く経ち、夢の儚さなど重々承知している。

 夢は夢であり、叶わないからこそ、夢なのだ。

 でも、せめて……眠っている間だけでいいから、幸せな夢を見させて欲しい。


 そう願いながら、意識を手放した俺に、気まぐれな神様が魔法をかけてくれた。

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