多世界交易都市の歩き方

トマトホーク

1- 始動

1-1 目覚め

 完全な暗闇の中で訳も分からず目を覚ましたとき、大抵の奴はパニックに陥る。俺もその中の一人のようだ。長い眠りから覚醒すると同時に、俺は自分が一切の光が射さない空間に居るということを認識した。 


 ここは死後の世界? それとも恒星が存在しない宇宙空間?


 否、俺は何か大きな袋に密閉されているようだ。身動きが取れず、袋の素材越しに感じる背中の異物感。そして、呼吸に連動して顔に張り付いてこようとするビニールに似た素材が、その事実を示していた。


 このままでは窒息してしまう!


 目覚めてから数秒もたたずに、その恐るべき結末を想像してしまった俺は、半狂乱になりながら袋から抜け出そうと必死でもがいた。だが、その努力は徒労に終わろうとしていた。袋を渾身の力で殴ろうが、ひっかこうとしようが、袋の素材はびくともしない。


「誰か! 助けてくれ!」


 もがくと同時に悲鳴にも似通った大声を張り上げるが、今のところ助けは来ていない。その事実が俺をより混乱と恐怖の真っ只中に突き落とし、俺は一層パニックに陥って金切り声を挙げながら袋の中で暴れた。

 そうこうしている内に、俺を包んだ袋は元の位置から数メートル下に落下したようだった。


「痛っ!」


 皮肉にも、落下の衝撃が混乱の最中に居た俺の冷静さを引き戻した。無策に暴れても現在の窮地から抜け出すことは叶わないどころか、窒息を早めるだけだろう。こういう時こそ冷静さを保ち、クレバーな判断を下さなければ。


 俺は荒げていた呼吸を精一杯、平常時のように戻す事に努める。......OK、何とか通常の呼吸状態に戻した。これで窒息死という結末を先延ばしできるはずだ。


 続いて服のポケットをまさぐる。

 何かナイフのようなものを持ってはいないだろうか? それさえあれば袋を引き裂いて脱出できるはずだ。

 そんな俺の淡い期待は、あっという間に打ち砕かれた。ナイフどころか所持していたのは謎の紙片だけ。

 

 マジでヤバイぞ!


 袋の中の酸素は今にも底を着きかねない状態だ。再び、狂乱状態に陥りそうになったが、なんとか自制する。


 どうする? どうすれば助かる!?


 ふと、右腕の部分に、袋越しに何か鋭利なものが当たっている感覚に気がついた。


 いけるかもしれない!


 俺は、袋ごと横たえた体をゆっくりと右回転させ、うつ伏せ状態で鋭利なものがあるはずの部分に袋の素材を強く押しつけた。次の瞬間、布が裂ける音がし、袋の中に鋭利な金属片の先端が飛び込んできた。


「よっしゃ!」


 俺は、仰向きの状態に戻り、袋の切れ目に両手の指を差し込んだ。渾身の力を込めて左右に切れ目を拡大させようとする。再び、強烈な布の裂ける音と共に、切れ目は大きな亀裂へと変貌した。


 亀裂から死にものぐるいで頭を出し、空気を肺一杯取り込む。新鮮な空気が、とても美味く感じた。窒息しかねない限り、かすかに腐敗臭の混ざったゴミ置き場のような臭いの空気は美味く感じないだろう。

 呼吸のペースを、時間をかけて平常時のように戻しながら、俺は今自分がどこにいるのか探ろうとした。辺り一面には、スクラップ、産業廃棄物、粗大ゴミ......。多種多様なゴミが、まるで山のように積み重なっていた。どうやら、俺は何処かの投棄場に放り出されているらしい。


 続いて、自分を殺しかけていた袋に視線を送る。真っ黒なビニールに似た素材に、袋全体を横断するような一本のファスナー。死体袋だ。

 疑問はつきないが、とにかくこの忌々しい死体袋から抜け出すことが、先決だ。亀裂から体を抜け出そうと、俺は再びもがきだす。


 数分後、袋から抜け出す事に成功した俺は、ゴミ山の頂上にある廃棄された電子生命体内包フレームの残骸の上に腰掛け、うなだれていた。


 訳が分からない。ここは何処だ? 視界に浮かんでいる情報群の正体は? なぜ自分は死体袋に密閉されてゴミ処理場に投棄されていた?


 一番わからないのは――。


 俺は誰だ?


 ありとあらゆる種の記憶を失っていることに、俺はその時初めて気がついた。


◇◇


 俺は脳の奥深くに眠っているであろう記憶を掘り起こそうと、目をつぶり意識を集中させる努力をした。


 ......駄目だ。どうやっても、死体袋の中で目覚めた時の事からしか記憶に浮かばない。それどころか、思いだそうとすればするほど、脳をナイフで切り裂かれるような頭痛が沸き起こる。実際の脳には痛覚は無いのだが。


「クソッ!」


 俺は悪態をつきながら、頭の後ろに両手を組み、残骸の上に寝そべった。結局、今の俺に解ることは、自分が人間もしくはそれに近い種族であり、男性であるということだけである。自分の顔さえも分からない。


 今の状態で記憶を取り戻そうとしても無駄だろう。それよりも、今自分が置かれている状況を切り抜ける方法を考える方が生産的だ。


 既に、俺の頭上に浮かぶ太陽は既に傾き始めていた。オレンジ色に染まる多種多様なゴミの数々という情景は、ある種情緒的だ。

 俺の眼前に浮かぶデジタル時計は17:42分を示している。近いうちに日は沈み、辺り一面は闇に閉ざされるであろう。


 日付が知りたい。そんな欲求に応えるかのように、目の前にカレンダーが表示された。


 今日は交易歴71年4月14日。


 その瞬間、俺は自分がこの情報群を自由自在に”操作”できる事に気がついた。物理的なデバイスを通してではなく、意識を向けるだけ。そう、手の指先を動かすのに一々複雑な計算処理が不要なように、この情報群も意識を向けて考えるだけで制御できるのだ。


「何か、何かないか......?」


 俺は、失われた記憶を取り戻すためのヒントを探るため、情報群へとアクセスを開始した。正体がわからないものを、自由自在にコントロールできるというのは、とても歪な感覚である。


 数分間、眼前の情報群と格闘したのち、俺は深い失望感に苛まれた。自身の正体を明かす為に有益な情報は、そこに無かったからである。まるで、意図的に消去でもされたかのように。この情報群は、まるで旧来のパーソナルコンピュータやスマートフォンのように活用できる、物理的メディアを持たない一種のデジタルデバイスであることはわかった。それと、自分の現在地が9区の廃棄物不法廃棄場であることも。しかし、得られた成果はそれらだけである。


 手詰まりだ。俺は、自身が何者であるか、なぜこのような状況に陥っているのかを知る術は持ち合わせていない。


 俺は、一瞬にして沸き起こった怒りの渦をやり過ごすため、手近にあったゴミに拳を叩きつけた。その衝撃で記憶が戻るわけもなく、拳への鈍い痛みとむなしさだけが俺に残された。


 ふと、ポケットに入っていた紙片の存在を思い出した。あの時は、窒息しかけていたためそれどころではなかったが、今は中身を精査する余裕がある。

 俺は、勢いよく飛び起き、紙片が入っているはずのポケットに手を突っ込んだ。まだあるぞ!


 紙片の正体は、四つ折りにされたメモ用紙だった。興奮を押さえきれず、乱暴な手つきで紙片を広げる。そこに書かれていたのは――。

 何処かの所在地コードと「108」という数字だけだった。


 少しばかり気落ちしたことは否めない。が、俺はすぐ気を取り直し、その所在地コードを情報群のマップアプリケーションに入力した。

 すると、その所在地コードは、現在地と同じ9区の安宿であることが判明した。ここからそう遠くはない。徒歩でも十分辿りつける位置だ。


「よし!」


 俺は自身を鼓舞するため声を張りながら飛び起き、ゴミ山から飛び降りた。

 現時点では、わからないことばかりだ。しかし、このまま手をこまねいているわけにはいかない。あの紙片の情報が俺と何の関係があるのかは不明だ。だが、何かの手がかりが掴める可能性を見過ごす気はない。


 俺は節々が痛む体を引きずって、廃棄場の出口目指し歩き始めた。

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