空っぽのガラス瓶に花

笹倉

ガラス瓶

 町の真ん中にある噴水広場で毎日花を売る女がいた。鮮やかな色とりどりの花が入った籠を持ち、亜麻色の髪を風に揺らす。晴れ渡る空の下、澄んだ青色の瞳を輝かせ、よく通る声で歌を歌う。美しい女ゆえ、彼女は町の住民たちの間で人気者だった。彼女に近づくために花を買う者さえいたのである。


 僕はそんな彼女が心底嫌いだった。彼女を見るとどうにも体の調子が悪くなるからだ。


 まず心拍数が急激に上がり、呼吸が急く。次いで、頭がぼうっとして、あまりものを考えられなくなる。おまけに胸までムカついてくる。腹の奥底から熱がせり上がり、自分が曖昧になる。彼女が花を売るのを見るたびに怒りがこみ上げてきて、凶暴な心地になる。


「花は如何ですか?」

「え、あ、えぇ……」


 声などかけられてしまえば、もうダメだった。あの籠を引っ掴んで、中身をぶちまけてやりたい。そして、それを足で踏みつけてやりたい。彼女はどんな顔をするだろう。怒るだろうか、泣くだろうか。それとも困ったように笑うだろうか。


 僕は医者に相談した。最近、症状が悪化してきたのだ。彼女を視界に入れなくても、脳裏に僅かに浮かべただけで汗がドッと出て、胸が痛んだ。心不全か何かか。苦しい。この分だと僕は死んでしまうのではないか。とにかく、そう思った。案の定、医者は下卑た笑みを浮かべ、


「貴方は病気です。それもかなり重篤だ」


 と言った。


「どうしたら良い? 僕はまだ死にたくない! 助けてくれ!」


 必死に医者に懇願すると、医者は小さな小瓶に入った薬を渡してきた。青色のかなりとろみのあるそれを毎日飲めば、体の不調は治るという。


「服用は一日一回、朝に。回数は守ってくださいね」


 僕は医者の言う通り、苦いそれを飲み続けた。最初は効果のほどが分からなかったが、やがてそれは実感できるようになった。


 まず、あの女を見ても心拍数が上がらなくなった。体が熱を持つことも。


 苦しくもない。

 胸が痛まない。

 腹もムカつかない。

 頭がイカレることもない。

 僕の体は正常だ。正常なのだ。

 ああ、なんて素晴らしい。


「花は如何ですか?」


 だから、彼女が僕に声をかけてきても特に体に異常は出なかった。


「いらない」


 ほら、声が上擦ることもない。僕は健康そのものだ。

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