『空港食堂』

やましん(テンパー)

  『空港食堂』

 なぜ、コンピューターが狂ってしまったのか、ぼくには、さっぱりわかりませんでした。

 二晩、寝るだけだったはずなのに、延々と眠り続け、その間宇宙船は、どうやらほぼ光速に近い速度で、大宇宙を飛び続けておりました。

 

 まあ眠っていれば、夢も見ないし、時間も感じません。

 一晩も一年も、百年も、千年も、同じことなのです。


 非常に基本的な実験であると、ぼくは聞かされていました。

 これは、人類にとっては、画期的な宇宙船だったのです。

 これが実用化されれば、人類の活動範囲は、いっぺんに膨らむのです。


 非常に名誉な事だったし、しかも、帰った後には、目出度く、彼女との結婚が待っておりました。

 これは、生活資金の獲得にも、非常に有利な条件の仕事だったのです。

 専門知識は必要ない。

 乗って、帰るだけ。


 まあ、そんな甘い条件の仕事に、乗ってしまったぼくが、ばかだったのでしょう。


 けれど、どちらにせよ、帰り着いた地球は、もう全く違う世界になっていました。


 世界の大陸は、ひとつの巨大な大陸にまとまっていましたが、端っこの方は、どうやら、また、ばらけかけているようにも見えました。


 いったんまとまって、また分裂し始めているような感じです。


 つまり、これは、到底ぼくの住んでいた地球ではない、ということでしたが。


 何度も、地球との連絡を試みました。

 しかし、いかなる試みも、意味がありませんでした。

 コンピューターは、出発から2億年以上が経過したと教えてくれています。


 あまりに、ばかばかしくて、笑っちゃいそうでした。


 でも、つまりそれは、どういうこと?


 彼女との結婚式は?

 だいたい、彼女は『生きているの?』


 何度も地球を周回しました。

 基地があったはずの場所は、なんとか判りましたが、そこにはもう、何にもありません。

 あるはずも、ありません。

 見たこともないような、巨大な山脈が形成されていて、そこに何かがまだ残っているなんて、いくら素人だってありえないと感じます。


 しかし、ぼくは降りることにしました。

 操作は簡単。

 『着陸!』

 その指示のボタンを押すだけです。


 大気圏に突入し、ぼくの宇宙船は、かつて『空港』があったであろう場所に、軟着陸してゆきました。


 **********   **********


 奇跡なんて、まあ、起こらないから奇跡なのです。


 空港は、まったくありませんでした。

 幸い、そこは、高い高い山脈のふもとに広がる、無人の荒野になっておりました。

 なので、着陸自体は、あまり無理がなかったのであります。


 夕方になって着陸してしまったので、動くのは、世が明けてからにしようと思いました。

 しかし、ぼくは宇宙船の窓から、一瞬、不思議な光景を見たのです。


 周囲には、強い風が吹き、いささか砂嵐の様な感じになっておりました。

 その砂ぼこりの向こうに、ちらっと光るものが見えたのです。

「何だろう?何かがあるんだ。」


 ぼくは、あたりまえの理性と、在るはずがない過去の記憶との狭間に落っこちておりました。


 彼女の家は、宇宙空港の前にあった、『空港食堂』という、小さな食堂だったのです。


 ぼくは、空港の環境整備要員でした。

 まあ、具体的に言えば、フロアのお掃除とか、窓ふきとか、ゴミ処理とか、ですね。

 しかし、空港は広いので、お仕事自体は、けっこう沢山あったのです。


 そんなぼくに、この『宇宙旅行』という仕事を勧めてくれたのは、人事部の係長さんでした。

 彼は、事務系のエリートで、宇宙飛行士とか科学者とか言う、特別な専門職以外では、わりと出世が可能な立場にありました。

 もしかしたら、空港の副施設長くらいまでは、行けるかもしれなかったのです。


 彼は、ぼくと、のりちゃんとの結婚も、けっこう喜んでくれて、その資金の調達にも、これが最高の仕事だから、ということでありましたのです。

 なかなか良い人で、二枚目で、かっこいい人でした。


 のりちゃんは、「そこまでしなくていい。今の状態で十分。」

 そう言ってくれておりました。

 結局、お金の魅力に惹かれたぼくは、大ばかだったのです。


 で、その光は、何だったのでしょうか?


 朝まで待つ余裕は、ぼくにはもう、ありませんでした。

 何かの手掛かりが欲しかったのです。

 内心では、全てが無駄だと、わかっては、いたのですよ。

 いくら、おろかなぼくだって、そのくらいは、まあ、わかりますからね。


 でも、人間の気持ちは、そう簡単に収まりはしません。


 ぼくは、宇宙船に積んである、使う予定ではなかった、慣れない宇宙服を着用しました。

 使い方くらいは、習っていたのです。


 そうして、出て行ってはいけない、荒野になった、もと空港に降り立ちました。


 砂嵐は、いっそうひどくなりました。

 データから言えば、宇宙服なしでも呼吸は可能そうでしたが、この砂嵐で、しかも、いったい何がいるやらわからない未来の地球ですからね。


 ぼくは、ほとんど何も見えない中を、ちらっと見えた光があった方向だけを確認しながら、這うように進みました。


 本当に大変でした。

 100メートル歩くのにも、20分はかかるような状況です。


 しかし、なんと言う事でしょう。


 見えたのです。

 あったのです。


 それは、まぎれもない『空港食堂』では、ありませんか。


玄関先の『のれん』も、建物の横に据え付けられている電光看板も、まったくそのままなのです。


 2憶年以上経っても、そのまま残っているなんて、まず常識的には考えにくい事です。

 それでも、ぼくには確かに、そのように見えていたのです。


 ************   ************


 ぼくは、ドアを開けました。

 チリリチリリ♩

 あの、懐かしい音です。

 まったく、そのままです。

「いらっしゃいませ。」

 旦那さんの声がしました。


「うそ!」

 奥さんが出て来ました。

「お帰りなさい。もう、待ちくたびれましたわ。」

「ええ~? これって、本当のこと? ぼくは何か勘違いしていたのでしょうか?」

「何を勘違いしたの? 宇宙船の操縦?」

「いええ~。だって、コンピューターがおかしくなってしまって、眠ってる間に訳の分からないコースを勝手にたどっていたらしくて、戻ってきたら、2億年以上も経ってしまったらしくて、実際地球上には、もう、何もなくて・・・でも、ここの明かりだけが、ちらっと見えたので・・・これ、夢ですか?」

「はあ~~。まあ、やっぱり、そんなことかとは、思っていたけどねぇ。まあ、ご苦労様。」

「あの、のりちゃんは・・・・」

「上で待ってるよ。今日はあんたたちの結婚式だろう。でも、まずは何か食べなさい。このあとエネルギーがいるんだからね。」

「え?あ? あの、人工冬眠後で、あまり食欲が無いし、この格好では・・・」

「ばかだねえ、あいかわらず。そこがいいんだけどね、その野暮ったい服は、すぐ脱ぎなさい。ここは、大丈夫だから。あんた、ほら、アンドメダ特急A定食。」

「あいよ、アンドロメダ特急A定食ね!」


 これは、昔から、この食堂の最高級メニューでありました。

「で、済んだら着替えをしなさいね、衣装は別室に置いてあります。

 着替えたら、二階においでなさい、じゃ、またあとで・・・」


 奥さんは、それでいったん厨房に、消えてしまいました。

 ぼくは宇宙服を脱いで、隣の席に放り上げました。


 やがて・・・

「はい!アンドロメダ特急Aね。おまちどうさま。じゃあ、食ったら二階に来いよ。」

 旦那さんも、そのまま向こうに消えてしまいました。


 まったくの静寂が訪れました。

 ぼくが立てる以外は、何の音もしません。

 外の嵐の音さえ、感じられませんでした。


「あのー」

 声をかけて見ましたが、まったく反応は帰ってきません。


 ほかには、どうしようもないので、ぼくは懐かしい、といっても、つい昨日食べたばかりのような気もしながら、その、おいしい食事を頂きました。


 ************   ************


「あの、御馳走様でした。」

 ぼくは、そう言いましたが、反応はやはりありません。

 食器類を持って、厨房に入って見ました。

 おそろしく奇麗に片付いていて、最近使われたような感じがしませんでした。

 水道をひねってみましたが、水も出ません。

「おわー。これは、これは・・・」

 ぼくは、食器を投げるように置いて、後ずさりしながら厨房から出ました。


 すると、そう言えば、横っちょに、宴会用の小部屋があった事を思い出しました。

 引き戸を開けて覗いてみました。


 びしっとした礼服が、ハンガーに掛かって、灰色の壁に吊ってありました。

「おわ。これは、すごい高級服。ううん・・・」

 選択の余地はありません。


 着替えをして、ぼくは狭い階段を二階に上がりました。

 真っ暗です。

 ほとんど何も見えていませんでした。


 でも、のりちゃんの部屋から、ほのかな光が見えてきたのです。


 ぼくは、そっとふすまを開けました。


 ああ、そうして、ぼくは見たのです。


 美しいドレスを着たのりちゃんです。


「なんて、美しい!」


「お帰りなさい。待っていました。2億年。」


「では、二人の結婚式を始めます。」

 旦那さんの声です。

 暗いので、その姿もよく見えません。


「ああ、ええ、なんじ新郎は、この女を永遠の妻として認めますか?」

「はい。はい。絶対認めます。」

「ああ、では、なんじ新婦は、この放浪の男を永遠の夫として認めますか?」

「はい。認めます。」

「よろしい、では、乾杯しましょう。」

「乾杯!」

 のりちゃんと、ぼく、それと、奥さんと、旦那さんの声、が乾杯しました。


「では、邪魔者は消えます。あとは、ふたりに任せますから。」

 旦那さんが言った。

「やれやれえ、疲れたわあ~。2億年ですからね、まったくもう・・・」

 姿の見えない奥様が、そう言いました。


 それで、二人の気配は、まったく消えてしまいました。


「おわ! どこに行かれたのかな?」


 びっくりするぼくに、のりちゃんが接近してきました。

 ぼくは、こここそだ! と、彼女を抱きしめました。

 やっと、やっと訪れた、幸福な時です。


「なにがどうなってるのか、よくわからないな。」

「気にしないでください。すべては、終わったのです。」

「なんと、これが始まりだよ。」

「ええ、でも、終わりでも、あります。さあ、・・・・」



  《 このあたりは、省略いたします 》



「もう、ここからは離れないから。ずっといっしょにいようね。」

 ぼくたちは、あったかいお布団の上にいました。


「ありがとう。」

「いったい何が起こったのか、のりちゃんは、何か知ってるの?」

「そう・・・あなたが宇宙船で出かけた後、あなたの船は天王星付近でコントロール不能になり、太陽系から飛び出して、行方不明になってしまったと、聞きました。」

「あああ・・・それは、正しい訳か。」

「たぶん・・・それから、少しして、宇宙空港の係長さんが、結婚してほしいとおっしゃって来られました。」

「はあ? あの人が? なんで」

「前から好きだったんだと・・・」

「むむむむ、そんなこと、言ってなかったぞ。」

「お断りいたしました。」

「ふう・・・・」

「でも、それからも、とても強引に迫って来られましたし、航空局長さんとかもいらっしゃいましたし、空港長さんからは、父にも直接、強く、受諾するようにと、言ってきましたの。」

「なんと。けしからん。」

「もちろん拒否しました。絶対に嫌だったから。警察に行って、保護を依頼しました。実際、随分嫌がらせとかもあったのです。お店も営業が出来なくなりました。両親はその中で相次いで亡くなりました。」


「え、え~~!! じゃあ、さっきの、さっきの・・・」

「幽霊です。」

「うそ・・・・・」

「また、それに、おかしな話も聞きましたし。」

「それ、なに?」

「あなたの宇宙船の会社と競争していた企業の宇宙船が、あのあとすぐ飛びました。そちらは、無事に地球に帰ってきたのです。係長さんは、それから10年くらい後に、収賄で逮捕されました。空港会社の、かなりの人も一緒にです。で、あなたの宇宙船には、どうやら細工がしてあったらしい、と、わかったのです。でも、詳しい事は、係長さんも自殺してしまい、他の方は最後まで知らぬ存ぜぬで、結局よくはわからずじまいでした。」

「ななな・・・なんと。」


 のりちゃんが、そっとぼくの耳元でささやきました。

「2億年も生きる人間がいると、あなたは思いますか?あなたのような環境にある人以外で。」

「え?あの・・いや。普通は・・・ない。」

「はい。でも、よかった、幽霊でもなんでも、ほんとうによかった。帰って来てくれて、本当に嬉しかった。わたくしのエネルギーは、これで終了です。多くの方から、エネルギーを頂いてしまいました。それは罪だったのです。でも、もう、燃え尽きます。さようなら。幸せでした・・・・・」


 のりちゃんは、ゆっくりとぼくに口づけしながら、消えてゆきました。

 

 ぼくは、気が付きました。

 砂嵐は、少し収まって来ておりました。

 宇宙服が、近くの岩の上に置いてありました。

 あまり、寒くはなかったのですけれど。


 『空港食堂』は、もうありませんでした。


 大分向こうに、宇宙船の照明が見えておりました。




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