第11話

瞬間白い靄が片尾の身体が包みこみ、それが晴れたときには大人の女性の姿の片尾がしゃがみこんでいる陸を腕組みして見下ろす。


「……どういうつもりじゃ?」


 当然の疑問を片尾がぶつける。


「どういうつもりも何も、従者なら主の為に動くのは当然のことではないですか」


「なにを言って……」


「う、うわああああ!片尾が……片尾が……」


 更なる疑問の声は少年の悲鳴遮られる。


 少年の悲鳴を合図に周囲からもどよめきが上がるが、陸は何でもないことのようにすっと立ち上がり無感動な目で彼らに振り向いた。


「うるさいな全く」


「陸!」


 後から追いかけてきた鈴音が叫ぶ。


「どうして……こんなことを」


「錬様!錬様!ああ……なんて……なんて……ことを」


 背中に短刀を突き立てられた錬を見て絶句する月代とその横をすり抜けて錬の亡骸に日輪がすがりついて泣く。


「ああ全くうるさいったらありゃしない……罪人の息子が死んだからってなんだっていうんだい、しかも役立たずだっていうのにさ」


 そういって錬の亡骸を思いっきり蹴り上げる。


「な、何を……」


 すがりついていた顔を上げた日輪が怒りに燃えた瞳で睨みつけようとするが、陸が頬に手を添える。


 口角をニヤーっと上げた笑みで彼女を愛でる様に見つめる。


「ああ可愛そうな僕の日輪……あまりに真面目すぎてこの能無しを好きになってしまったんだね……可愛そうに可愛そうに」


 日輪の顔が険悪感で歪む。


「……くだらないことを話してないで、いい加減さっき言ったことの説明をせよ」


 不機嫌そうな表情をしたまま腕を組みながら片尾が説明を求める。


「ああ……そうでしたそうでした。すいませんでしたね、少し興奮していたようです」


 日輪から手を離して軽薄そうに首を振る。


「まずはご挨拶を……僕の名前は有藤陸……蒼海分家の中で最大の勢力を誇っている家の者です」


 恭しく頭を下げる。 片尾は相変わらず不機嫌そうな顔をしている。


 陸がさらに続ける。


「実は僕は昨日……もう一昨日になりますね貴方様と戦ったときに、敬愛の念を抱いてしまいまして……」


「ほう……それで?」


 片尾の顔は変わらない、ただ黙って陸の話に耳を傾けている。


「はい……しかし私は仮にも倒魔の一族の者……しかも我が一族は貴方様を冷たく重い石に封印をした者達……どうすれば貴方様に謝意と誠意を見せられるかどうか悩んでおりましたところ……この者が上手い具合に……ゴホンッ!失礼しました」


 わざとらしく咳をして誤魔化す陸の笑顔に片尾の顔がほころぶ。


「まあとにかく……片尾様があんな姿になって困っていらっしゃったのを見かねたと同時に今までの謝意と誠意を見せるためにこの行動をしました。どうか私の願いを聞き届けていただけますか?」


 片尾は黙っている。 あたりを妙な緊張感が包み込んでいて誰も状況に飲み込まれてただただそこに突っ立っている。


「……お前の望みとは?」


 片尾がポツリと口を開く。

 何か苦い顔をしているが、兎にも角にも話を聞く気にはなったのだろう。


 それでも周囲にいる者達の怯えや緊張は決して緩まない。


 むしろ事態が動き出したことで余計に緊迫したようにも思える。


 それでも陸は微笑を絶やさぬままゆっくりと口を開いた。


「はい……片尾様の願いは人の世の破壊ではあらず、何か別のことだとお見受けしましたが、それは正しいでしょうか?」


 無言……。 優しげな女性の姿をしながら黙りこむその顔に全員が刃を喉元に突きつけられているような錯覚を生む。


「うむ!わしの目的は悪戯に殺戮をすることではない!わしを封じた恨みを晴らせれば、人などに構う理由はない!」


「それでは片尾様の願いとははるか昔に下野と呼ばれた地にかつてあった貴方様の母体の変化した姿……殺生石ですね」


「……何故そこまで知っているかは知らんが、その通りよ、わしは母様に会いに行くだけよそれを邪魔する者は何者であろうと殺すがな」


 じろりと周囲を睨みつける片尾に全員が後ずさる。


 しかし陸だけは予想が当たったのを喜んだような顔をした。


「そうですか!しかし殺生石は玄翁和尚によって砕かれ全国に散らばっていますが……」


「千年も閉じ込められていたんじゃ、諸国見物もかねて旅することなど何ほどでもないわ……その為に錬を従者にしたんじゃがな…」


 呆れているような悲しんでいるような表情で錬の躯を見下ろしている。


「その点はどうかご心配なさらず!」


「……どういう意味じゃ?」


 陸がさらに満面の笑みをして立ち上がる。


「だから言ったではないですか!貴方の従者はこの通り死んでいます。しかし貴方には道すがら供をする者が必要……つまり」


「……つまり?」


「どうかこの里を見逃す代わりにこの私を従者としてお使いください、この男なんかよりもよっぽど役に立てると思います」


「な、何を……お前は大事な跡取りなのだぞ自分が何を言っているのかわかっておるのか!」


 青ざめていた顔を赤くして有藤当主が叫ぶ。


「父上……これしか手段はないのです。聞いての通り片尾様は人の世に何かする気はすでになく、唯一この地に封じた我らだけを滅すると決めております。しかし片尾様はかつてこの地に名を轟かした大妖、恩義には厚いかたとお見受けしました。故に力を奪われ、子供の姿に変えられた自分を救った者の頼みを無下に断ることはないでしょう……そうですよね?」


「むっ……まあ……わしも九つの尾を持つ狐を母に持った者、助けられた恩義に報いないわけにはいくまい……それに供が一人欠けたところだからな」


 少し苦い顔をして片尾が同意する。


 陸がうんうんと深くうなづく。


「皆々様方、聞かれましたか!片尾様は我ら一族を許すと言ってくれました!開祖以来千年の大願が本来の形とは違うとはいえ叶えられました……さあ皆で喜びの声を上げようじゃないか!」


 陸に扇動されてその場にいた者達がゆっくりと万歳の声を上げる。


兎にも角にも開祖の代から全ての一族の者達にのしかかっていた問題が解決したのだ、そのことに誰も文句があるはずがなかった……


ただ一人の犠牲ですんだのだから、しかも正確には一族の裏切り者の命で……。


「さあ……日輪、泣くのはもうやめて笑うんだ。今日は千年来の重みが解かれた日なのだから」


「でも……兄様……錬…様が…」


「そんなこと大したことじゃないだろ?よく考えてみるんだ……彼は一族の面汚しなんだよ?裏切り者なんだよ?日輪は真面目だから運命の悪戯でたまたま許婚になっただけの者の死にそんな涙を流すんだね……でも忘れていいんだよ。それは気の迷い、ただの思い込みなのだから……大丈夫だよ日輪は僕が一生守るから」


 優しく微笑んだ陸がそっと日輪の頭に手を置く。


 ああ子供のときから優しく周囲を照らしていた兄の笑顔だ……胸が張り裂けそうなくらい悲しみに満ちた自分にはそれは救いだろう。


 でも兄の笑顔に癒される心の隅で何かが拒否する。


忘れるな! 忘れるな! と熱い何かが必死で貧弱な抵抗を見せていた。


 忘れるな……? 何を……?


 兄が私を優しく抱きしめる。 どうして私は余計悲しくなったのだろう……。








「……間違ってる!錬一人に全てを押し付けるなんて……こんな……こんなのって……」


 月代が納得いかなげに吐き捨てる。


 目には涙を浮かべ、突然の幼馴染の死に怒りを見せているが、反面、陸の取った行動に文句のつけようがないのでその後を続けることができない。


確かに錬をあのまま片尾の能力を封じたまま生かしておいたとしても里の者達はいつか錬が片尾に力を返して自分達に反旗を翻すんじゃないかという疑いが残ってしまう上に、里を裏切った錬を不問にするのは上下を問わず里の者の間に不信を生み出すきっかけにもなりかねなかった。


 おそらく鈴音が生きているうちは表面化しないだろうが、自分が後を継いだ時には必ずそれが問題になることは火を見るより明らかであった。


 よって今回陸が取った行動は当主の意向には逆らってはいるが、里全体から見れば何の損にもならず、むしろ前にあげた問題点を考えれば一人の犠牲は安いものである。


 それが自分が命をかけて守ろうとした者であっても……。


「全くうるさくてかなわん……いい加減黙らんか!」


 苛立った様子で片尾が一喝すると万歳の嵐はすぐに消え去った。


 一応里の者達には手を出さないと約束したとはいえ、片尾が自分達を簡単に殺せるくらいの実力があることをわかっているので思わず凍り付いてしまったのだ。


「全く万歳万歳とうるさくてかなわん、ほら早くこっちに寄れ!契約の儀式を始めるぞ」


 手招きしながら陸を呼び寄せる。


「はいはいわかりました」


 陸もいそいそと片尾の前に立ち、そして片膝をつく。


 片尾が片膝をついた陸の額に錬の時と同じように紋様を描いていく。


儀式は錬の時と同じようにあっさりと終わり、ここに有藤陸は片尾の従者となった。


「おお……これが契約というものですか……確かに身体の奥底から力が沸いてきます。これは素晴しい!」


 陸が懐から式紙の札を取り出して投げると紙は空中で形を変えて、何匹もの大ムカデに変化する。


「す、すごい……一体でさえ大変なのに……こんな無数に変えられるなんて……」


 群集の中の一人が驚いたように呟いた。


 しかしその大ムカデ達を変化させた陸は心底楽しそうに笑い出す。


「ははははっははは!凄い!凄いぞこの能力は!こんなにも簡単に限界を超えられるなんて!」


「当然じゃ……わしの力を分け与えておるのだからな」


 冷めた顔で腕を組みながら片尾が得意満面で大ムカデ達を動かしている陸に呟く。


「しかしあまり調子づくと……」


 最後の言葉まで言い終わる前にそれが起きた。


「あれ?何かムカデたちが……」


一人が異変に気づいた瞬間にムカデの一つが彼らに向かって顎を突き出して襲ってくる。


「り、りり陸様!な、何を……」


 攻撃をすんでで避けた少年が叫んだが、大ムカデはまた頭を上げてもう一度彼らに襲い掛かってくる。


しかも今回は一匹だけではなく広場に存在している他の大ムカデも首をもたげて暴れまわる。


「陸様!陸様!止めてください!早く……」


 言い終わる前に少年はムカデの尻尾により弾き飛ばされた。


 広場のあちこちではムカデたちが暴走している。


「何故……何故言うことを聞かない!クソっ!どうして……」


 焦った表情で陸が大ムカデ達を止めようとするが止まるどころか主である陸本人に何匹かが襲い掛かってくる。


「おのれ……滅せよ!」


 自身に遅いかかるムカデの身体に無数の札を貼り付けて一斉に爆発させる。


 しかしムカデは一瞬動きを止めただけでまた陸に向かって顎を開いて威嚇する。


「片尾様!これはどういうことですか!」


自身の式紙であったはずのムカデの攻撃を必死で避けながら陸が片尾の方に顔を向けるが、当の片尾は、


「わしから送られる力で式紙が暴走しておるんじゃろうな」


 つまらなさそうに答えて錬の死体の上に座りこんでいる。


「まあ、あの様子じゃお前の底が割れたのう、えっ?里の英雄さん」


 嘲笑的な笑みを浮かべて足を入れ替えて死体の上に胡坐をかく。


「ちょっと……錬様になんてことを!」


 死体に張り付いて抗議しようとする日輪の後ろから大ムカデがその凶悪な顎を開いて迫ってくる。


「危ない!」


 陸が叫んでとっさに放った攻撃がムカデの頭を消滅させる。


「こ、これは……?そうか!皆のもの、いくら強力になったとはいえ所詮は式紙、落ち着いて頭を狙えばどうということはない!各自慎重に殲滅せよ!」


 陸の指示は味方であった大ムカデの暴走に慌てていた者達を落ち着かせた。


落ち着いて対処しようと思えば、皆それなりに異質の者達と渡り合っていた者達なので徐々に平静を取り戻し、確実にムカデたちを撃破していく。


 特に術者であった陸は片尾の力の一部を分け与えられているため、まさに雷のような速さと激しさで大ムカデを消滅させていく。


 やがて最後の一匹になった大ムカデの前に陸が立ち、最後の一撃を加えようと構える。


他の者達も安心しきった様子で陸が最後の一匹を倒すところを黙って見守る。


そして皆の期待通りに陸は最後のムカデを新しく得た力でバラバラに切り裂いた。


 ムカデは元の紙に戻り、まるで祝うかのようにヒラヒラと小さな紙ふぶきを陸の周りに落としていく。


「く、くくく、くははははは!凄いぞこの力は!まさかこれほどなんて……」


 純白の紙ふぶきの中で陸が狂ったように笑い続ける。


 その姿に誰も、肉親である日輪も日輪の父親でさえ何か別の生き物を見るような目をして彼を見ていた。


「ありがとうございます片尾様!この力で貴方の助けになることを誓います」


 振り返った陸の瞳は何かドロリとした狂気を宿していて、周囲にいた者達が一歩後ずさる。


「ほう……良い目になったのう……だが」


 にやっとした顔をする片尾がすっと手の平を向けて横に振る。


「さようならじゃのう」


「えっ?」


 瞬間、陸の身体から緑の炎が上がり全身を包み込む。


「ぐぁっぁぁぁぁぁっ!」


 搾り出すような声を上げて陸が地面を転がり必死で炎を消そうとするが、炎は身体の内部から出てきているようでいくら転がろうとも消えず、陸を焦がし続ける。


片尾がその姿を愉快そうに笑い飛ばしながら練の死体の上で転がる。


「どどどどうして……裏切った!ぼぼ僕は貴方を……」


焼かれて引きつった喉から怨嗟の声を絞りだす陸の炎を消そうと必死で日間たちが消火しようとするが、妖気を込めた炎にはどんな水も法力もきかず、ただただ周囲に広がる肉の焼ける臭いとくぐもった悲鳴をなす術もなく広げていった。


「なんて事を……やはり所詮は化け物か」


 日間たちと供に炎を消そうとしていた日輪が怒りに満ちた目で睨みつける。


 その恨みの目を受けながらもなお愉快そうに笑い転げていた片尾は不意に立ち上がり、地面を転がる陸を片足で踏みつけながら鼻で笑って見下ろした。


「裏切った?何を勘違いしておる?その炎はわしの力の源、お前の身体が小さいからあふれ出しておるだけよ。いつまでも悶えてないで早くそのこぼれた妖気を中にしまいこめ、漏れぬように集中せよ、妖気をお前の体内に取り込め、どうした?早くせぬとお前の身体がどんどんブスブス炭になっていくぞ?」


 今までの中で一番と言えるほどの邪悪な笑みで陸の身体を足で踏んで押さえている。


「ほれどうした?わしの従者になるんじゃろ?それくらいで音を上げるのか?錬ならその数倍を入れても耐えたぞ。錬などより役に立つと言ったではないか……わしが冷たい石の下で孤独に耐えているときに毎日やってきてワシと話をしてくれた錬よりも貴様は役に立つと宣言したのなら証明してみせよ!出来ぬならお前の身体はそのままゆっくり塵にしてくれるわ!」


 いつの間にか瞳を赤く光らせて足に力を入れる。


「グッ、アッ!アッ!」


 片尾が足に力を入れるたびに声を上げるが、それもやがて何かを吐き出すような声だけになる。


 すでに会話も出来ないようだ。


「所詮はこんなものか……、この程度でわしに取引を持ちかけるとは、この程度でワシの従者を愚弄したのか!」


 顔を上げて夜空に吼えるように大声で叫ぶ。


 周りにいた者達は何も言えない。


 月代も日輪も鈴音も全ての者達が何も言えずにまるで泣いているように夜空を見上げる片尾を見つめている。



「やはりこの場に居る全員を殺すか……わしを石の下に閉じ込め、今度は従者を殺す……約束など構うものか……わしの心には何も残らない。昔のように暴れまわるのも一興よ」


 誰に言うでもなくポツリポツリと言い放つ言葉に場の空気が一気に収縮した。


 ボワリという音を出しで片尾が緑の球を作り出す。 誰かの「ヒッ!」という声が聞こえた。


「勘違いするな……また演奏をさせるつもりなどない、獣に変えた後全員焼殺してくれるわ……お前らは人ではなくただの獣として死んでいけ、畜生のまま冥府を彷徨い続けるがいい。それがお前らが錬にしてきたことの報いよ」


 誰も何も言えない、動くことも出来ない、ましてや攻撃など出来るはずもなく、ただただ数分後に体験するであろう死の恐怖に打ち震えていた。


「報いですって!」


 重圧を押し返すように誰かが叫ぶ。


 月代だ。 月代が震える身体をきしませながら出てくる。


 その気になれば自らの身体を指一本で引き裂くことも出来るであろう強大な敵……片尾にも恐怖を抑えた瞳で月代は片尾の前に立つ。


「ほう小娘が何か言ってお……あう!」


 月代が片尾の頬をピシャリと張った。


 その場にいた者達が全員固まる。


 当の片尾すら一瞬何が起きたかわからない顔をしたが、すぐに自分がひっぱたかれたことに気づいて怒りをその美麗な顔に浮かばせる……が、


「これが報いですって!錬の?勝手に代弁しないでよ!これが報いというならまず一番に私が報いを受けるべきでしょう!……次期当主の座にありながら、何も出来ず、錬とみんなの溝を埋めることも出来ず、ただただ錬だけに努力を求めていた私がこの場での一番の罪人でしょう!」


 片尾は何も言えないでいる。


 齢千年に届き、少し力を込めれば簡単にその口を黙らせることが出来るはずの小娘に気圧されていた。


「だから……どんな報いでも受けるから……お願い……だから……目を開けてよ……もう一度嫌味を言ってよ……お願いだから死なないで……どうして……こんなことに……どうして……」


 涙を流して、悔しそうに錬にすがりつく。


 その姿を目を丸くして見ていた片尾が急にニヤリとした顔を見せた。


「成る程な……錬の奴が言ったことがいまわかったわ。まさかこのわしがこんな小娘に何も言い返せなかったとはな、それに中々可愛げがあるというのも言った通りじゃったわ……のう?錬よ」


「えっ?」


 月代が顔を上げた。 片尾は悪戯っぽく笑ってウインクをしてみせる。


「わしと契約した者があの程度で死ぬはずがなかろう……ましてやこいつは十年前から目をつけていた男じゃぞ?あんな小物なんぞに殺せるはずがなかろう」


「えっ?えっ?えっ?」


 混乱した月代がそっと錬の顔を覗き込むと閉じていた錬の瞳が開いてバツが悪げに一言、「すいません」


 と謝った。


瞬間、錬の額に全力を込めたチョップが炸裂する。


「痛い!」


「痛いじゃないでしょ!」


「す、すいません……」


「だから……痛いじゃ……グスッ」


「いや……その……痛い!」


「痛いじゃありません!」


 困った顔をしていた錬の頭に二度目のチョップが入り、涙目の日輪が月代の反対側に座りこむ。


「何を考えているんですか!どうしてあなたは……そんなに……そんなに……」


 そのまま何も言わないで錬の胸に顔をうずめて泣く。


「二人とも……」


 困ったように頬をかく錬を片尾がニヤリとした顔で見ている。


「いい気味じゃの~?ワシを騙した報いじゃもっと困るがよいわ」


「……それについては言い訳はしませんけどね、でもまさかこんなことになるなんて」


「お前さんは細かく見ているようで何も見てないからじゃろう……世の中そう何でも解かるもんじゃないわな」


「それは解かっていますけど……」


「解かってないじゃないの!」


「解かってませんわ!」


 左右から大声を出されて思わず耳を塞ぐ。


「解かってますよ、二人が俺のことを大切に思っていることは解かってますから耳元でそんな大声を出さないで……」


「ちっとも解かってなかったじゃないの!こっちはあんたの為に死ぬことすら覚悟したって言うのに」


「だから……それは……本当に……」


「いいえ、貴方はちっとも解かっていません!私達がどんなに心配したか、どんなに不安だったか……私は……私達は……」


 日輪が泣き声になる。 それにつられて月代も涙を浮かべて二人とも錬の胸の中で互いを抱きしめあってまた泣き始める。


 勘弁してくれというような顔をする錬を散々笑った後に片尾がゆっくりと陸に歩いていく。


「どうした。そろそろ動けるじゃろ?」


 声を駆けられて陸がピクリとかすかに動く。


「これは……どうして……僕は……」


「一応仮にとはいえワシと契約をしたんじゃ、お前の身体は絶えず力によって回復をする」


 確かに炭化しかかっていたはずの陸の身体は多少の火傷はあるとはいえ、元に戻りつつあっていた。


「……何故殺さないのですか?」


 自分は従者としての器ではなかった。


 強大な妖力を一部でも自身の身体の中に納められなかった自分は従者失格であり、また錬を殺した。


 その罪を思えば殺されてもしかたない立場である。


「別にお前なんぞ眼中にないわ。わしの従者を殺して自分をなんてほざきおるから少しからかってやっただけよ」


「それでも……生かす理由は……」


「何じゃ死にたかったのか?それなら文句はあそこにいる阿呆に言うがよいわ。本当はあのまま契約を切って炭にしてやろうと思ったんじゃけどな、一応あの阿呆との約束の手前そういうわけにはいかんのだわ」


「約束……ですか?」


「ああ、これがまた厄介な約束でな……自分が認めた以外の殺傷は禁ずる」

困った顔で片尾が肩をすくめる。


「どうして……そんな約束を……」


「仕方なかろう。千年も冷たく重い石の下に閉じ込めていたんじゃ寂しさも募るというものよ。何だかんだと言ってもあやつとの会話はそれなりに楽しかったし、時々持ってきてくれる物も愉快じゃ。約束するしかなかろう」


「……寂しい……ですか」


「何じゃワシがそんな感情を持たないと思ったのか?」


「いえ、語り継がれる大妖にしてはと思いまして」


「ふん、ある程度の知恵があれば感情くらいは持つわな。それこそ人間であろうと妖であろうとな……お主も妹が錬に夢中なのが寂しくて脅したんじゃろ?」


 陸が驚愕の表情で顔を上げる。


 いくらか火傷は残っているが、相変わらずの整った顔が目を見開いて呆けたように口を開いている。


「なんじゃ気づいておらんかったのか……これは面白い!クックック」


 袖で口元を隠すという嫌味な仕草で笑う。


「そ、そんなはず……は……僕は……ただ……日輪が…可愛そう……で」


 火傷によるものなのか赤面しているのか赤くなった顔で言い訳するが、徐々に語尾が小さくなっていく。


「い~やあの時のお主は間違いなく妹の許婚に焼もちを焼いておった。可愛かったぞ?だから錬がわざとずらしておいた結界の楔を直さずにいたんじゃろ?後でそれを理由に妹と離縁でもさせようとしていたのではないか?」


「ど、どうして……それを」


「おいおい、忘れておるのか?わしはそのときそこにいたんじゃぞ?重たい石の下にな。目の前で嫉妬に狂った男の顔を忘れるはずがなかろう?」


 勝ち誇った顔の片尾を見て陸がふふっと笑ってその場で仰向けに転がる。


「かなわないですね……本当」


 それは誰に言ったことなのか当人にしか分からないが、すっきりとした顔で笑う陸に片尾もニコリと笑い返す。


「まあ何にしてもお互い、いい面の皮じゃな?」


「ええ、僕の場合は自業自得ですけどね」


「わしだって似たようなもんじゃ、せっかく気に入ったお供が出来たと思ったのに、すでにつばをつけられておるしな、しかも二人も」


「全くです。我が妹ながら男を見る目は無いようです」


「そこまで言うことはなかろう。確かに馬鹿で変なところで頑固だったりするが、一応わしが気に入っておる男じゃ」


「あのいびつで黒い内面をですか?」


 真剣な顔の陸の言葉の後に一瞬風が吹いて、その後に口を開く。


「あの小娘たちではあやつの暗く淀んだ内面には気づかないだろうからな、わしだけの特権じゃ……誰にも言うなよ?」


 じろりと大妖らしい震えるような目で脅すように……実際は脅しているが口止めする。


「はいはい誰にも言いませんよ。まだあいつを認めたわけではないんですからね、それと貴方が意外に寂しがりやだってことも秘密にしておいた方がいいんですか?」


 前のような余裕の顔をする陸に片尾が一瞬黙り込む。


「当然じゃ……散々、鞘当てにされたんじゃ誰かに惚気たくもなる」


 チラリと横目で見た片尾は少し顔を赤くしているように見えた。


 指摘したら殺されるんだろうと思いそのまま視線を前に戻し、最愛の妹の下で困り果てた顔の一応義弟を見つめていた。


 わんわん泣き上げる少女二人にその下で困り果てている元凶。 その三人を見つめる化け物と青年。 彼らを囲う鈴音他大勢を蒼海の山にいる獣達と木々……そして月がいつまでも見守っていたのだった。

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