第9話

「体内の毒は全て消えた……お前らには死すら生ぬるい」


 絶望を通り越した何かで涙が止まらない。


「約束を破るのですか?」


 その声は恐怖という毒素に汚染されたその場では、最も似つかわしくないと思えるほど、優しい声だった。


 ゆっくりと振り返る片尾の視線の先に居るのは錬だった。 二人の間に一瞬の静寂があり、片尾が片手を突き出す。


 瞬間赤く燃える火球が錬に向かって発射される。


 それは錬の顔を掠めて後ろの林に入り何秒かの後に林ごと燃えつくす火柱が上がった。


「約束などしったことか!ここまで愚弄されてこのわしが黙っていられると思っているのか!邪魔をすれば貴様も一緒に塵一つ残さず焼くぞ!」


 夜山を揺るがすような大声と、獣じみた顔で瞳をぎらつかせる姿にその場にいた全員が沈黙する。


凍りついたような空間の中をまるで溶かすような暖かい声で錬は口を開く。


「大妖と呼ばれても所詮は獣ですか?」


「……何を言っておる?」


「いえ、所詮は約束の信頼も結べない程度の獣だったとは思えなかったもので……」


 わざとらしく溜息をつく錬の姿に片尾の表情が険しくなる。 その姿を真っ直ぐ見据える錬の表情も険しい。


 錬の暴言に月代も日輪も信じられない顔をしている。


いかに従者となったとはいえ、その気になれば、この血も涙も無い大妖はそれこそ塵一つ残さず殺せるのだ。


ましてや最後の手段であった禁術も破られたいま、片尾を止めることの出来る手段は存在しない。


 つまりはここで無駄に挑発をすれば死は確実なのに……。


「……つまりはお前はわしの今からやることが気に入らないということか?」


「はい、その通りです」


 きっぱりと答える錬に片尾がニッコリと笑う。



「……駄目だ。今ので決心したぞ、お前らを片付けたら里に戻って全員殺すことにしよう」


 ニコニコ笑いながら宣言する片尾に、初めて錬の声が怒りを込めたような声に変わる。


それは決して大きくも強い語調でも無い、それでいて妙に不安を掻き立てるような声だった。


「本気ですか?約束を破って果たして主従の契りが続くとでも?」


 やや詰問調の錬の問いかけに片尾は街であのチョコバナナを食べていたときのような満面の笑みで、


「おう……本気も本気じゃ。従僕に里心がつくと良い仕事が出来ないであろう?まあ正確には未練か?」


「……何のことかわかりませんね、第一に未練なんて……うっ!」


 反論しようとする錬の両腕が放られた棒切れのように地面に落ちる。


 それでも錬の表情は変わらない。


「まだわからんのか?わしはこいつらを殺すと決めた。お前が出来るのはハイという返事だけだ。どれ腕を直してやろう」


クンっと指を動かすと身体が鈍く光り、切り落とされた腕二つがまるで逆再生されるかのように元通りにくっつく。


「これでわかったであろう?返事は?」


「……信義を守らないでどうして主従でいられましょうか……も、もう一度ご再考を……」


「まだそのようなことを言うのか……仕方ない、従僕の教育は主の責任、こいつら全員の亡骸を見せた後でゆっくりと教育してやろうかのう」


「片尾様!」


 錬の叫びに何か嗜虐的な笑みを浮かべる片尾の腕に数百本の針が刺さる……が、しかし、


「う~ん?何かやりおったのか?……錬の元の主よ」


 禁術の発動によりふらつきながらも月代が持ちうる全ての針を飛ばした攻撃は無常にもそれこそ毛ほどにも片尾には通用していなかった。


 それでも……従者に裏切られたはずの主はそれでも真っ直ぐ崩れそうな足を突っ張って印を結ぶ。


「月代……様」


「主従の信義なんて言葉はよくわからないけどね……それでも勝手に止めるってのは信義に悖るんじゃないの?……帰ったらじっくりと不満とやらを聞いてあげるわよ、だから勝手に諦めて出て行くなんて止めてよね……っきゃ!」


「なんじゃまだ生きるつもりなのか?お前の命はもはや朽ちた葉が地面に落ちるまでの時間しかないのだぞ?」


 片尾の腕の一振りでまるで紙人形のように飛ばされる月代。 そして片尾の指先に赤い球体が発生する。


「月代様……ここは一度退避を!」


 日間、日輪、陸、その他幾人もの者達が月代の前に立ち、守ろうするが、まるで見えない何かを落とされたかのように超重力に彼ら全員がその場に倒れこむ。


「なかなか忠勇な者達よの……だが逃さんよ?月代とやらもお前達も全員我が従僕を虐げてきたことをたっぷりと後悔して死ぬが良い」


「なっ……私は……かはっ!」


 言いかけたところで更なる重力を乗せられた月代がうめき声を上げる。


「関係ないとでも言いたいのか?お主もそこの女子もまるで錬の味方だったような口ぶりをしておるがな……お前らは何もしていないだけよ、ただそばに居ただけ……それが何の役に立つ?錬が虐げられていることを知りながら何故それを正そうとしなかった?自身の力の無さを、勇の無さを棚に上げてどちらつかずのお主らもそこな男達と同罪よ」


「っく……うぅ……」


「片尾様!」


 後ろから錬が強い語調で片尾の名を呼ぶ。


「黙っておれ!わしの十分の一も生きていない小僧が!お主はもはや人では無い!この片尾を解き放ったときに、契約したときにすでにお主は人であることを止め、わしの僕となった。それを忘れるな!お主の魂はすでにわしのもの……いつまでも旧主のことを忘れられぬお主に変わりに引導を渡してやろう……さてと」


 片尾がゆっくりと倒れている月代の元へと向かっていく。


陸や日間らが必死で食いついて歩みを止めようとするが、伸ばされた彼らの手をまるで虫けらのように蹴り飛ばしてまっすぐに歩いていく。


 誰も片尾の歩みを止めることが出来ない。 空しく嗚咽と呻きだけが片尾が通った後に木霊した。


 動けないでいる月代の髪を掴み、無理やり顔を上げる。


「ほほう、中々に美しい娘よの?だがお前程度が我が従僕の主だったのは互いに不幸なことだったことよの~?それを錬の前で証明してやろう。お主の身体を内側から破壊してやれば目も醒めるだろう……その後に周りの者達も同じように殺してやろう……さてとせいぜい醜き臓腑を吐き出して死ねよ?」


 顔を掴み上げたままで片方の手の指先に赤い球体が現われる。


 鈍く光るそれをそっと月代の顔の前にゆっくりと持っていく。


 一斉に日輪や陸、日間達が叫ぶが、誰も片尾を止められない。


 そのとき錬と月代の目が合った。 恐怖の顔をした月代がニッコリと微笑んでゆっくりと口を開く。


『み』『な』『い』『で』


 瞬間、爆発音と共に爆煙が辺りを包み込んだ。


「つ、月代様!返事を!」


 日間の大声が木霊し、日輪の悲鳴がもやの中を駆け巡る。  まるで世界が終わってしまったかのような白い視界の中を彼らは月代を探す。


 誰もが最悪な状況を想像し、それを打ち消しながら……。


 絶望を否定しようとする彼らに答えを見せるように徐々に煙は消えていき、やがて月代が居た辺りにシルエットが見え、誰もが覚悟をして駆け寄る。


 そしてそこにはへたりこんだ月代が座っていた。


 何も起こらない。 ずたずたに引き裂かれるはずだった月代は無傷でその場でほうけた顔をして両膝をつけて座り込んでいた。


「な、なに……?」


「な、な、なんじゃこりゃ~!!」


 戸惑いの言葉が叫びでかき消される。


 叫んだのは片尾……のはずだが居ない。


あの憎らしいほどの不適な笑みをして、まるでゴミを片付けるように月代たちを殺そうとした女は存在せず、その代わり居た場所には八歳くらいの女のコが居た。


 先程叫んだのはその女の子で、年齢にあわない口調で戸惑い叫んでいる。


「なんなんじゃこのチンチクリンな身体は!何でわしの身体がこんなに小さくなっておるんじゃ……なんでじゃ!」


 女の子はふらふらとしながら尚も叫び続けている。 そこで目の前にいた月代や周りの人間達がうすうすと感づき始めた。


 もしかしてこの女の子が片尾……?


「おのれ!お前らわしの身体に何をした!早く戻せ!戻さないとお前ら全員地獄の苦痛を……あっ痛!」


 尻餅を着いている月代と同じくらいの背丈で地団駄を踏んでいた片尾がでこを押されて後ろに倒れこむ。


「うぬぬ……あくまで言うことを聞かぬつもりか!ならお前から殺してやる……えいっ!あれ?えいっ!えいっ!」


片尾(と思われる女の子)が小さい腕を振りかぶって攻撃を仕掛けようとするが、何も起こらない。


 空しく夜風が周囲を吹いていくだけだ。


「……もしかして……能力を使えないの?」


 後ろにいた日輪が信じられないようにポツリと言い放った。


「くっ!そんなわけがあるか!ならお前から……」


「無駄ですよ」


 身体をリングで改めて抑えられた錬が醒めた表情で口を開く。


「片尾様の能力は一時的に預からせていただきましたから」


「なっ……何を言って……」


「吸収……か」


 日輪の後ろで構えていた陸がポツリと言った。


「その通りです……俺の能力は吸収……相手の全てを吸収して放出することです」


「た、確かに吸収の能力者はいるけど、片尾程の大妖の能力を吸収できるほどの人間がいるはず……」


 確かに妖の能力を吸収したり、それらを取り込むことの出来る能力者は存在するが、大抵は一回攻撃を吸収したり、せいぜい相手を少し弱らせる程度の補助的な能力である。


 片尾程の大妖を無力化させる程の吸収能力者など聞いたことが無い、というよりありえないのだ。


 人間にもわずかながらにも気というものが存在し、それらは一種の生命エネルギーである。


別種の生物である妖にも人間と同じような気を持っているが、人と妖では持っている気の総量が桁違いであり、ちっぽけな小妖でさえ、普通の人間の数倍の量を持っている。


ましてや当代稀有の開祖でさえ倒滅することができず辛うじて封印させることが出来た片尾を無力化させることなど人間としてありえない。


「気づきませんでしたか?貴方が封印を解かれた日のことを……急に力が入らなくなりましたよね?」


「あ、あの時は久しぶりに復活して妖気が無かったから……」


「今まであんなことは無かったのに……ご自身で言ってたではないですか」


「そ、そんな馬鹿な……人間ごときにわしの能力が……」


「でもそれが出来るからあんた達は殺されずにすんでいるんだよ」


 まるで不貞腐れた小学生のような態度で錬が答える。


「それじゃ……行きましょうか」


「なに?何処へだ?」


 日間が尋ねる。 小馬鹿にしたように溜息をつきながら錬が答えた。


「蒼海の屋敷ですよ……直接当主様にお話した方がよさそうですからね」

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