第4話

 夕方になると各支部の重鎮達、支部自慢の屈強な倒魔師、式紙使いたちが本家へと次々集まり、それらを接待する従者やお手伝いさんたちによりさらに騒がしくなっていく。


 すでに宗家の屋敷だけでは対処しきれずに有藤、他の分家の屋敷の部屋にも人々が入ってくる。


 さすがに月封の儀式の前にやる準備会に娘を出さないわけには行かず、日輪も有藤家娘として客人の相手をしたりしている。


 昨夜引っ叩かれた頬の腫れはすぐに氷で冷やしたおかげですっかりひいていた。


「やあ……日輪、もう泣き止んだのかい?」


 陸が有藤家時期当主として客人たちに挨拶してきた後に日輪の所へとやってくる。


「はい……兄様、もう大丈夫です」


「ずいぶんと機嫌がいいんだね、何かいいことがあったのかい?」


 上機嫌に笑う日輪に陸が笑顔で尋ねる。


「うふ……なんでもないですよ」


 少し顔を赤らめる日輪に陸の顔が一瞬曇る。 そして日輪が首にしている首飾りに気がついた。


「やあずいぶんセンスのいい首飾りだね。これは……どんぐりだね、いつの間にこんなの作ったんだい?」


 どんぐりの実に穴を開けて紐を通しただけのシンプルな首飾りを手にとって陸が尋ねる。


「ええ……昨日錬様がケーキを送ってくださって、それに飾りとしてついていましたの」


「ふーん……そうかい」


 陸はそのまま何も言わずに部屋から出て行く。


 兄の様子が違うことには有頂天である日輪は気づかないで少しピリピリする頬にそっと二つあるどんぐりの一つをそっと当てるのだった。





 何でこんなところにいるんだろうか……。


 軽く眩暈がするが、隣にいる主がしっかりしなさいと言いたげに背中を叩く。


 ここは宗家蒼海家屋敷……、その中の当主謁見の間である。


 居並ぶ蒼海家重鎮の方々たちも不機嫌な顔でじろりと錬を睨みつけている。 口を開かなくてもわかる……その視線は何故この場所にこいつがいるのか?


 御当主である鈴音はまだ来ていない。


 じろじろ見ていた重鎮達もいつまでたっても当主である鈴音が現れないので、痺れを切らしたのか、一人が口を開く。


「月代や……どうして、この厳正な場所にそいつがおるのだ?」


 撫で付けたヒゲが迫力をさらに強力なものにしている。


「錬は私の従者ですので」


 シンプルに言い放つ。 


「なんだ……まだそいつを従者にしておるのか」


 顔をしかめてヒゲが不愉快そうに態度を見せる。


「月代……罪人を従者にするとは、少し宗家としての立場を考えろ」


 少し太めの男が諭すように月代に語りかける。


「錬には罪はありません。故にここにつれてきました」


 きっぱりと真剣な顔で月代が言い放つ。


「全く……お婆様は孫を甘やかしすぎるな」


 ヒゲの男がしみじみと言うと、


「それはどういう意味じゃろうな?」


「御当主様……」


 全員が息を呑む。 蒼海家当主、誰も逆らうことの出来ない女帝……蒼海鈴音の登場であった。


「さて……今年も月封の儀式をする年度になったわけなのだが……月代や」


「は、はい……」


「何でここに錬が居るのかのう?」


 月代がゆっくり立ち上がる。 かなり緊張しているのが従者である錬にもわかった。


 やや上ずった声で月代は真っ直ぐ重鎮衆を見据え口を開く。


「れ、錬は私の従者であり、従弟でもあります。この場にいて皆様方に挨拶するのに何の不都合がありましょうか」


「不都合だと……?月代、あまりふざけたことを言う出ないぞ?その小僧の親は里を裏切って抜けた者、それを特別に引き取ってやっただけでも過分の処置なのに、その上に一族として挨拶させてほしいとは、あまり図に乗るな!」


「何故錬が差別されるのでしょうか?錬の両親が里を抜けたときには錬は生まれていないのですよ!」


「ばか者、そいつには裏切り者の血が入っておる、だからこそわしはこいつが来たときに殺してしまえと言ったのだ」


「なっ……錬は人間なのですよ?どうしてそんなひどいことを……」


「愚かな!尻の青い小娘が何もわからずに聞いた風な口を叩くな!そこの小僧の母親はな……」


「しばしお待ちを!」


 謁見の間によく通る声で錬が口を出す。


「黙れ小僧!貴様のような者が気安くわしに……」


「お前が黙りなさい!……錬、何か言いたいなら言ってみるがよい」


 鈴音がピシャリとヒゲを黙らす。


 そして錬に発言せよと求めた。 場にいる全員の視線が錬へと注がれるが、錬自身はいつも通り、いやいつも以上に無関心なようなそぶりで口を開いた。


「どうやら……私はこの場に居ない方がよろしいようです。御当主様……退場の許可を承りたく存じます」


「なっ……ど、どうして……?」


「うむ……退場したいと言うのだな?錬よ」


「はい」


 しっかりとした返事が謁見の間に響いた。


「申し出を許可する。錬よ、この間から出るが良い」


「す、少しお待ちを!」


「月代、本人が出たいと申しておるのだ……わかれ」


 鈴音の言葉に月代が力なく項垂れて「……はい」と一言だけ返事した。


 錬は無表情で謁見の間を出て行き、後には項垂れている月代と勝ち誇った表情をする重鎮の方々だけだった……。


 その姿を見ても錬はまるで誰も居ないかのようにスーッと襖を開けて出て行く。


「さて……挨拶を始めようとするかのう」


 よく通った鈴音の声が襖ごしに聞こえた……。





「おかえりなさいませ……月代様」


 当主の挨拶を終えた月代が自室に戻ると、錬が部屋の前でひざまずいて待機していた。


 パシン! 小気味よい音を立てて月代が錬の顔を張る。


「どうしてあそこで逃げたの!」


 悔しそうに涙を滲ませながら廊下で月代が叫ぶ。


 錬はそれでも無表情で、


「別に俺は蒼海家の一族として扱われたいなんて思っておりませんし、無能は無能なりに仕事をこなしていくだけです。なんで月代様があんなことをしたのか俺にはわかりません」


「私……私は……」


 そのまま錬の横をすり抜けて自室に入り込んでピシャリと扉を閉めた。


「しばらく顔もみたくないわ」


 薄暗い廊下で一人たたずむ錬はゆっくり部屋の前から立ちさる。


 その顔は何の感慨もない、能面のようだった……。





 宗家の大広間では何十人もの人間を入れた宴会が始まろうとしていた。


 主だった重鎮方、それぞれの支部からつれてきた倒魔師達、本家に常駐している者たちが集まって、和気藹々と話し込んでいる。


 久しぶりに友人に会って旧交を温める者、恋人に会って久方ぶりの会話にいそしむ者、ピリピリとどちらが力が上かを争うものも居る。


 誰もが明日実行する月封の儀式のことを今日は一時忘れて、それぞれに楽しんでいた。


 錬はその大広間の大外、もっとも下座にある者達の席で一人何かを考えているように静かに座っていた。


「なんでえ……月代様の御従者様である錬様がこんなところにいるんだ?」

 昨日、錬が月代の所から帰る途中で会った男達が自分達と同じ席にいる、錬をからかうように隣に座った。


「とうとう、月代様にあきれられたのか?いい様だな!元々無能なお前があのお方のそばに居たのがおかしいんだよな!」


 心底愉快そうに笑う男達を例のごとく無視してまるで糸の切れた操り人形のように項垂れている。


 それを月代に見放されて落ち込んでいると思った男達は嗜虐的な笑みを浮かべながら錬を見下ろしていた。 


 元々自分達が子供のころから憧れていた月代の従者になるために修行していた者達だったが、それを後から出てきた錬に横取りされ、しかもそれが無能だったのでは彼らの嫉妬も無理からぬことである。


 さんざんあざ笑った後に彼らは錬から離れてまた談笑を始めて行った。



 やがて騒がしかった会場が静まってきて、いつの間にか皆が席について神妙な顔で座っている。


 冷然としている広間の一段高くなった上座に鈴音がやってきて優雅に着席する。 遅れて月代も序列一位の席に座る。


 全員が集まっているのを確認したようにうなずきながら静かにでもよく通る声で当主である鈴音が挨拶を始める。


「皆の集、今年もよく集まってくれた……。全く月封の儀式を始めてから四百年もたつのだからいい加減辞めたいんだが、いかんせんこの儀式がないと一族や分家の者がこの婆を怖がってやってこんのでな」

 ドッと笑いが上がる。


「まあ、あまり老いぼれがクドクドと言うと若い者達もうんざりするじゃろうから、このへんにしておくかの……月代」


「はい……ご一族の皆様、長き道程ご苦労様です。いい加減熟女を超えたお婆様よりもぴちぴちの十代である私がお話した方がよろしいかと思いましてお婆様と代わっていただきました」


 先程よりも大きい笑い声が広間に広がった。


「さて明日は月封の儀式に臨んでもらうのですが、皆様体調の方はよろしいですか?重治伯父さんはぎっくり腰の調子は大丈夫?正春さんは彼女できました?」


 月代が穏やかな笑みで重鎮の席にいる人たちに冗談を入れて話しかけていく。 


「あまり冗談を言い過ぎますと、皆様方が後でお婆様に月代をどうにかしろと怒鳴りこまれるかもしれないのでこの辺にしておきましょう……皆様、目の前の杯を手にとって掲げてもらえますか?」


 全員が目の前に置かれている膳から杯を取って頭上に掲げる。


「それでは……明日の儀式の成功と皆様方の健康……そして私が後でお婆様にお叱りを受けないように……乾杯!」


「乾杯!」


 月代の宣言で、掲げられた杯が隣の杯とぶつかり合ってカチャンと小気味良い音が鳴らされて準備会の始まりが宣言された。


 あちらこちらで酒を酌み交わす音と酔っ払った者同士がでかい声で騒ぎあう声がする。


 盛り上がった宴の中でも錬の周りには誰も居らず、また彼自身も気にもしないように静かに杯を傾けている。


「あの……錬様、お酌を……」


 昨夜、錬の所に有藤家からの連絡をしにきた少年が一人で居る錬の前にやって酌をしようとするが、錬は黙って首を横に振ってて徳利を渡す。


「これは……水、ですか」


「一応未成年だからな」


「それじゃ……どうして徳利に?」


「こうして置けば、酒を飲んでないと言って絡んで来る奴もいないだろ?」

 昨日会ったときとは違う様子で錬が力なく笑う。


「日輪は来ているのかい?」


「はい……さすがに旦那様も準備会に出させないわけにも行かなかったようで……」


「そうか……ケーキは美味かったか?」


「はい!とても美味しいと日輪様も喜んでおられましたし……それに……ケーキに飾られていたどんぐりで首飾りを作っておいでで今日は大層機嫌がいいように見受けられました」


 その言葉に錬の顔がふっと緩む。 


「……そうか」


 少年は何か安堵したような顔をした錬にまた少し驚いた。


「申し訳ありませんが日輪様は謹慎の身ゆえ……挨拶にはこれないのですが」


「まあ、そうだろうな……いいさ、元気でいるならな」


 その言葉に多少はこの得体の知れない男も日輪のことを心配していたのだなと少しだけ好感を持てた。


「そういえば何故こんなところに居るのですか?錬様は一応月代様の従者である以上、もっと上座に近い方なのだと思うのですが」


「ああ俺、従者クビになったからさ」


 淡々と杯に入れた水を飲みながら錬が答える。


「えっ?だって……えっ?えっ?」


「そんなに驚くこと無いだろう?元々その能力もなかったんだからな」


「そ……その……」


「まあ……ちょうどいいタイミングではあったんだけど……」


 しみじみと言う錬に少年はどういう意味なんだろうかと問いかけたかったが、上役に呼ばれて仕方なく、


「それでは……また後で」


 とだけ言い残して広間から出るときにチラリと振り返って見た主の許婚の姿はひどく小さく見えた。


「……錬とはどうなったんだい?」


 挨拶に来る人間達が、一段落してやっと落ち着いて食事を始めている孫に酒を一献傾けながら静かに尋ねる。


「あんな奴どうだっていいわよ……あんな……あんな恩知らずなんか!」


 顔を赤くして徳利から注いで飲んでいる。


「ほどほどにしておきな……」


 余裕の表情で一献口につける。


「本当にどうだっていいんだから……本当に……本当に……」


「何本開けるつもりなんだい?」


 すでに月代の後ろには数本の徳利が転がっていて膳の上には三本乗っている。


「……どうしてわかってくれないのよ」


 ポツリと悲しそうに言う。


「少なくともそんな可愛いこと言える子はそんなに徳利を開けないもんだと思うがね」 


 悠然と飲み続けながら、真っ赤な顔をして 項垂れる孫が持っている徳利を取り上げる。


「ほら、もう寝な……子供は早く寝る時間だよ。自分で立てるかい?」


「子供じゃないんですよ……一人で帰れます!ヒック!」


 ふらふらと立ち上がって、入るときに通った入り口から出ていく……。


「そんなに気になるんならこんなところでグチってないで自分で聞いてみるんだね」


 月代が立ち止まって据わった目で鈴音を見る。 鈴音は無視するように杯に口をつけて静かに飲み続けている。


「それが出来たら苦労しないんですよーー!」


 そう叫んでのっしのっしと歩いて広間から出ていった。


 そばに居た給仕達が呆気にとられたように月代が出て行った後を見ていると、後ろからクックックと言う笑い声が聞こえて来た。


「全くだね……それが出来たら苦労しないよ本当に……ね」


 最初は笑っていたが、すぐに顔に陰りがさして静かに杯を置いた。 コトっという妙に響く音を何人かが聞き止めていた……。




「兄さまはどこにいったの?」


 先程まで客人の相手をしていた陸のことを従者である界に尋ねる。


「いえ……ずっと配膳をしていたものですから……」


 宴会も終りに近づき、膳が次々に下げられると人手が足りなくなり、界も手伝わされていた。 そこに日輪がキョロキョロとしながら廊下を歩いてきて尋ねてきたのだ。


「そうなの……」


 困ったように頬に手を当てる。


「僕がどうかしたのかい?」


 廊下の奥から陸がいつものような柔和な顔で歩いてくる。


「兄様……お父様が最後に重鎮の方々に挨拶するから探していらっしゃるらしいです」


「らしいです?」


「はい、しばらくお父様と口をきく気はありませんので……美也子さんから言伝をうけました」


 まだ許婚の白紙の件、納得していないのか口をきゅっと真一文字に結んでツンとした顔で自室に帰ってていく。


「まだまだ……解決は難しそうだね」


「えっ!は、はひ……!」


 界は飛び上がる程に驚いた。  


 そして陸はいつものようにニコヤカに広間の中へと入っていく。


 立ち尽くしていた界も後ろから「早く戻って来い!」と怒鳴られあわてて厨房へと走り出していった。


「おお!陸よ……どこに行っておったのだ……さあ本家御重鎮様方に挨拶をしなさい」


「ちょっと結界の最終点検をしていたもので……御重鎮様方、有藤家長男、陸でございます。息災でございましたか?」


 誰もが感心してしまいそうな涼しげな風格と余裕のある表情で父と共に礼にかなった見事な挨拶をする。


 分家でありながら、もしかしたら時期当主の月代よりもふさわしい堂々とした姿は有藤の隆盛未だ道半ばという重鎮達が口する程であった。


 そんな褒めの言葉を上機嫌で受ける有藤当主の笑い声が豪快に屋敷内に響き渡る。


 大事の前のつかの間の息抜き……。


 準備会という名の宴会は終わり、厳しくも危険な儀式が始まる。


 後年この年の儀式は長い歴史の中でもっとも最大で最も危うい転換点となった。


 今は誰も知らない……一部の者だけが明日の惨劇を画策し、あるいは予測してその用意と覚悟を整えていた。


 今はただ安らかと不安と憤りの夜を……。


 明日を待ちわびているお方の胎動を……。

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