就職決定と弟妹達との日常
面接までは思いのほか早く進んだ。
ハローワークから書類を送った二日後には面接の日取りを知らせる連絡が入り、すぐに面接に来てほしいと言われたのだ。
察するによほど人手不足なのだろう。
入社したなら相当忙しいのだろうが、長い雌伏の時を味わい、勤労意欲に満ち溢れている宗雄にはかえって好都合だった。
よし、頑張るぞ! と久しぶりに身に着けたスーツで鏡の前に立つ。
髪型よし! スーツの汚れよし! ネクタイもよし! いつでも面接にいけるように毎日アイロンがけをしたワイシャツはピシリと身体を包み込んでますます気合が入る。
心配していた卿哉達の来訪は無かった。
だが油断は出来ない。 面接時間の十分前を目安に辿りつこうと玄関の扉をそっと開けるが、
「お兄さまお迎えにあがりました」
「宗兄の出陣を我等弟妹で見送ろうぞ!」
とか言って卿哉達が車で待ってるということもなかった。
もちろん『宗兄に武運あれ!』と書かれた横断幕もかかっていない。
これらは実際に彼が就職活動中にあったことなので、今回もそういうことが無いかと心配していたのだが杞憂だったようだ。
「本当に今日は用事があったんだな」
ホッと胸を撫で下ろす。
どうやらあの常識外れの兄妹は大人しくしているようだ。 あれだけ念をおしておいてよかった。
「さて今回こそ合格しないとな!」
いつまでも愛する弟妹達に情けないところを見せるわけにはいかない。
佐原宗雄は自身を鼓舞するように右手を空に掲げて歩き出した。
「お待たせしました…面接希望の佐原宗雄さんだね」
面接場所として訪れた会社は住宅街の奥にあった。
『有限会社 沢原企画』と入り口に書かれたそこは二階建てのビルで一階が仕事場所兼事務所。 二回は社長が住んでいるようだ。
「はい!よろしくお願いします」
元気良く答える。 案内された事務所は一回の最奥にあり、型遅れのパソコンと小さな事務机とパイプ椅子だけが置かれただけの質素な内装だった。
「それじゃ…面接をはじめますね、まずは…」
散々経験したことによって面接では手ごたえを感じた。 業種の勉強も怠らず、説明された仕事内容も予想通りなもので、社長も穏やかそうな人で彼の質問に対しても誠実に答えてくれている。
「…それでは合否は後日電話で伝えますので」
それを最後に面接は終了した。
帰り支度を進めている際にふと気になったことがあり、質問してみる。
「そういえば今回の募集には他にも応募があったんですか?」
宗雄の頭の中にあの疲れた中年男性である竹田の顔が思い浮かぶ。
面接時の社長の話では少し前に急に辞めた人間がいるので二人程採用するつもりだと言っていたことを思い出したのだ。
せっかく知り合えたのだからあの人とも一緒に働けたら…仮に自分が落ちてもあの人が採用されたのならそれはしょうがないとさえ思えた。
あのくたびれた表情に、何度も着越して古ぼけたスーツと靴を見てしまうと、他人事ながら早く仕事を見つけてもらいたい。
「うん?ええと…応募してきたのは君一人だけだね。もう一人応募が来ていたんだけど連絡が無くてね、仕方ないからもう一度募集をかけようと思っていたんだ……おっと、これは言ってはいけないことだったかな?でもまあ君を採用することはほぼ決めてたからいいよね…それじゃ来週からお願いするよ」
「えっ?あ、ありがとう…ございます」
怪訝な社長にお礼を言ったあと、一人で帰る道すがら彼は複雑な表情をしていた。
仕事が見つかったことは嬉しいが、それよりもあの人が面接をしなかったことが気になったのだ。
「まあ、もしかしたら仕事が先に見つかったのかもしれないよな…とりあえず俺も来週から頑張らないと」
気を取り直すと、彼は通りがかりのスーパーに立ち寄った。
今まで仕事が決まらなかったことでかなりの節約をしてきたが、仕事が決まったので就職祝いだと常からは少し豪華な夕食にしようと決めたのだ。
長い間蓄積していた不安から開放された宗雄は自分でも『少し豪勢過ぎたかな?』
と思えてしまうほどに金を使い、我慢していた発泡酒さえも買い込んで意気揚々と帰宅した。
そして顔を引きつらせて両手に抱えた買い物袋を落とす。
「なんだこれは…」
何とかその一言だけを発する。
家にたどり着き玄関を開けた彼を待ち受けていたものはまず『祝宗兄就職』と書かれた垂れ幕と、床に引き締められた様々な豪華絢爛な花だった。
「お帰りなさいませ宗兄様」
「おお!待ちかねたぞ、兄よ」
留守の間に置かれたのか1DKの部屋にはあまりにも場違いな飾りのテーブル、そしてその上には彼が買ってきた『少し贅沢だったかな』と思えた惣菜がみすぼらしく思えるほどの料理。
そして満面の笑みで彼の帰宅を待ち望んでいた弟妹達だった。
「お、お前らどうしてここに…いやその前になんで部屋にいるんだ」
「いやですわ、宗兄様。最近は合鍵なんて簡単に作れるですのよ」
「それを聞いてんじゃねえ!っていうか作ったのか?合鍵を!」
「兄よ、たかがチェーンと鍵だけで家を守れるとは思わないことだ!だからあれほど引っ越した時に扉を交換した方がいいと言ったではないか!ご覧の通り簡単に複製できてしまうようでは……痛たたっ!痛っ~い!」
「だ・か・らって勝手に家に入っていいとは限らんだろうが~!」
「まあ宗兄様ったらカギと限らんをかけてお仕置きするなんて洒落てますわね」
「いいいい妹よ…関心してないで助けろ!頭が…頭がギギギっと…潰れる~!」
「潰れるか~!防犯意識を言う前にお前らの遵法意識を少しは気にしろ!」
「宗兄様その辺でどうか兄を許してやってくださいまし、兄様も決して悪気があったわけではないのですよ」
「さ、さらりと…自分を棚に上げるな~」
「ったく…どうやって俺の就職を知りやがった」
そこでやっと弟分を解放する。 しかし卿哉が涙目になって悶絶しているので代わりに真理沙が答える。
「それはもう、私達と宗兄様の仲ですからこうピピっと…」
「ピピっと?」
「はい、ピピッと…ですわ」
当たり前のように答える妹分の毒気の無さに宗雄はそれ以上追求するのを諦めて代わりに大きなため息をつく。
「もう…そんなに怒んないでくださいまし、ちゃんと宗兄様の見られたくない私物はあそこにまとめて置いておきましたから」
ブーと大きく噴出してしまい、その飛沫が卿哉に降りかかる。
「宗兄様…汚いですわ」
「み、見たのか…アレを!どこまで見た!」
「はい!女性の裸体が乗った本と男女が抱き合っているDVDもあちらに全て置いてありますわ」
そういうと真理沙の言う『見られたくない私物』は綺麗に整列されて部屋の隅に置かれていた。
ご丁寧にDVDも本も五十音順にきれいに。
「お、お前…まさか中味まで…見てないよな」
「……宗兄様は幅広い趣味をお持ちなようで…真理沙、感心しました!」
ニパリと可愛らしい笑みを浮かべながら心を強烈パンチで射抜くようなことを言う。
「兄は何をそんなに気にしていられるのだ?たかが女の裸と男と女がベッドで組み合っているだけの映像ではないか」
心底不思議そうに宗雄を見る卿哉に何も言えず、彼はその場でへたり込む。
「妹よ…兄は何でこんなに落ち込んでいるのだ?」
「そうですわね…お兄さまにはまだ早過ぎてわからない…とだけ言っておきましょうか」
双子とはいえ、妹にそんなことを言われたことが癪に障ったのか、卿哉の端正な顔に憤りの感情が浮かぶ。
「気に入らんな…真理沙が知っていて俺が知らんというのが特にな…宗兄よ、一体どういうことなんだ?俺にもこの意味を教えてくれ!」
「い、いや…そ、そうだな…卿哉には…まだ早い…から」
そもそも真理沙だって早いだろ。 箱入りかと思ったらどこでそんな情報を仕入れてくるんだ?
女って怖い。 というよりも卿哉が年齢のわりには知らなさ過ぎるのか?
いやいやそもそも俺だってこいつらと同じ年代の時には…。
「宗兄よ、なぜ黙っている?もしやこの雑誌やDVDに何か秘密が…?よし!妹よそのDVDをもう一度再生せよ、俺は必ずお前に追いついてみせる!」
「わ~! や、やめろ…絶対にやめろ!」
何が悲しくて弟分や妹分達とそんなものを見なければならないんだ。 自分にはそんな倒錯した趣味なんてないし…その…年頃の女の子(妹みたいなもんではあるが)と共に見るなんて羞恥心で死んでしまいそうだ。
せっかく就職したのにこんなことで死んでたまるか!
「そ、その話はもういい!それよりこの料理は一体何なんだ!」
誤魔化す為にやや強引に話を変える。 卿哉はまだ納得がいってないようだが、宗雄の質問に胸を張って答える。
「決まっている!宗兄の就職祝いだ!」
「そ、そうか…」
確かに垂れ幕にも書いてあったからわかってはいたが、あまりにもこの庶民的な部屋には不釣合いな料理の数々に気圧されてしまう。
「ご安心ください、毒なんて入ってませんわ。ちゃんと信頼できる筋から借りた料理人達を監視のもとで作らせていますので…毒見もしっかりしましたしね」
語尾になにやら物騒なことを言っているのが聞こえたが無視する。 もはや疲れきっていてツッコミをいれるのにも疲れてきた。
「ほら見てください!数日前から用意させた食材と腕利きの方達が丹精込めて作ってくれたんですよ」
そう言うと目の前の皿の透き通るようなスープをひとさじスプーンで掬うと宗雄の口元に持っていく。
「う…うん…う、美味いな」
確かにそのスープは美味しかった。 淡白そうな見た目とは裏腹に幾つもの材料が溶け込んでいてそれでいて全てが調和されたような味だ。
これ一つで俺が買ってきた惣菜の値段以上なんだろうな。
自分の精一杯の贅沢がこの一つのスープにも劣ることを実感しながらも、その美味に勝てず真理沙がもう一度差し出したそれを飲み込む。
「美味かろう…当然だな、この俺が全て吟味した料理だからな…と、ところで真理沙よ…」
「はい?なんでしょうか?」
三杯目のスプーンをスープに入れたところで真理沙がそれを置いて小首をかしげて答える。
「う、うむ…その…宗兄だけではなくて…お、俺にも…その…なんというか…してほしい…というか」
「はい?お兄さまの仰ることは不明瞭ですのでもっとはっきり言ってもらえますか?」
わかってる。 こいつ絶対わかって言ってるよ。
普段の強気は鳴りを潜めて、シャイな幼稚園児のようにモジモジとしている卿哉をまったく察する様子も無く、むしろ生き生きとした笑顔で言わせようとしている。
どうしてこう育ったんだろう。 小さい頃はもっと儚くて可愛らしかったというのに。
「う、うむ…その…だな。お、俺にもそのスープを…スプーンで」
「はい!お兄さま、どうぞ!」
眩しいくらいの笑顔でスープを差し出してくる。 卿哉も二の句を告げられずパクパクと口を開けてしまう。
何だか可愛そうに思えてきた。 仕方ないので俺の方から促そうと口を開きかけたところで、
「違う!宗兄だけではなく、もう一人の兄である俺にもお前が掬ったスプーンで食わしてくれと言ってるのだ!」
追い詰められて恥ずかしさで真っ赤に染まりながらもやけくそ気味に放った願いは、
「えっ?いやです」
あっさり一蹴された。
「な、なんでだ~!俺だって宗兄みたいにされたいんだ~」
「お兄さま、年齢を考えてください!」
怒られてしまった。 我が弟ながら少し気の毒だ。 そして我が妹ながら冷たすぎるんじゃないか? 一瞬思ったがすぐに気づいた。
耳まで顔を赤くした卿哉が俯いているのをコロコロと押し殺した笑いでそれを見ている妹分を見ていると、これはこれで真理沙なりの愛情表現なんだろう。
「捻じ曲がってんな~」
「宗兄様、何か仰いました?」
「い、いや…別に」
「ず、ずるいぞ…」
おっ、やっと卿哉が復活したようだ。 気のせいか地獄の魔王のような低音をはっしてるいるが…。
「お前がしてくれないならこのスープは宗兄に俺だけが食わせてやる……さあ、飲め!宗兄!この弟自ら貴方のために飲ませてやる」
「お、おい…何を言って…」
「それは反則ですわ!いくらお兄さまとて許しませんよ!」
スープを抱え込んだまま揉みあう弟妹達に飽きれながらも顔が綻んでくる。
ふと昔のことを思い出したからだ。
まだ小さかったのにこの世の全てを憎んでいたような卿哉と今のように感情を面に出さず無表情だった真理沙。
正直やかましいし、行動の極端さには参るがそれでもあの頃よりかははるかマシに思えたのだ。
「お兄さま!子供みたいなワガママはやめてください!」
「俺が子供ならお前だって子供だ!」
「その辺にしておけよ、卿哉、すぐに熱くなるな。そして真理沙も意地悪してないでやってやれよ」
「む~…仕方ないですね、もう少しだけ焦らしたかったのに」
「妹よ、お前はもうすぐ俺に対しても敬意というものをだな…ムグッ!」
「うるさい…これで少しはおとなしくなれ」
いい加減我慢出来なくなったので真理沙の代わりに宗雄が自分のスプーンを卿哉の口に突っ込む。
「あ~、ズルイですわ!」
「ふははは!どうだ妹よ、宗兄は我を選んだぞ!」
「別に選んでねえよ…おっ、これ美味いな……って真理沙何してんだ?」
割った割り箸の持ち手をこちらに向け、何も言わない。 ただ「わかってますよね?」と全身で醸し出しながらニッコリと微笑んでいる。
「…わかったよ、ほれ…」
仕方なく手元にあったホロホロとした触感の鳥肉を薄ピンク色の唇をした少女の口元に持っていくが、
「甘いぞ妹よ!」
電光石火の動きでそれを横から奪い取る。
普段は体力無いくせにこんな時だけ素早い奴だな。
バキッ! うん?なんか変な音がしたが? まるで何かをへし折ったような…。
「……お兄さま、少し外で秘密の話をしましょうか?宗兄様、すいません、少し場を外しますわね」
「お、おい…妹よ軽いジョークじゃないか!落ち着け!」
「言い残すことはそれだけでしょうか?それでは宗兄様、少し後で…」
「おい!やめろ…宗兄、た、助け…助けて…いやだああああああ……」
バタン。 玄関の扉が閉められた。
それは卿哉の運命が決まった瞬間であり、静かで豪勢な夕食の始まりだ。
「三十分ってところかな…いまのうちに少しでも食っておこう」
きっかり三十分後。 真理沙は戻ってきた。 すっかり静かになった卿哉も一緒に。
俯いて何やらブツブツと言っていたが、しばらくすれば戻るだろう。 この程度でこの弟分の性格が直るのなら苦労はしない。
それに横で卿哉の分まではしゃいでいる妹分もそれを望まない。
わかるのだ。
これが俺達の関係だからだ。 当初とは少し違うが、決して薄くは無い月日の中で育んだ間柄なのだから。
これからもずっとこれは変らないのだろう。
「……んっ?」
「どうかなさいましたか宗兄様?」
「いや…なんでもない」
ただそう思ったときにふいに何か身体のどこかでチクリとした痛みが走ったような気がしたがおそらくは気のせいだろう。
それを無視して弟妹達が用意してくれた俺には一生無理であろう供物を口に運び続けるのだった。
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