錬金術師と無翼の竜

夜塑肇

序章

一 『王の最期』

 暗闇の中にぽつぽつと小さな灯りが浮かんでいる。一つ一つは弱く、頼りない光を発している。


 それらは蝋燭の光だ。暗闇の中には人々が肩を寄せ合って座り込んでおり、その内の何人かが蝋燭を手にしている。

 誰かが扉を開いた。闇が縦に割れて光が入り込む。雲が掛かった太陽のような、憂鬱な光だった。


 扉が開かれたことで、中の空気が流れる。弱々しい灯たちは、危なっかしく揺れた。

 開かれた扉の向こうに一人の男が立っていた。


「―――王、オウスフェルが、〈冥府の門〉を掌握しました」

 男は掠れた声でそう言うと、激しく咳き込んだ。苦し気に顔を上げると、もう一度「王」と呼びかけた。


 藁にも縋るような声色だった。万策尽きたこの男が辿り着いたのは、王に縋ることだったのだろう。


「オウスフェルは人間のデミウルゴスを所有していました。〈冥府の門〉を手に入れた今、我々が消えれば地上はオウスフェルが支配します。奴の呪いが……」


 そこまで言って、男は膝から崩れ落ちた。


「―――私が、最後の魔導士です。オウスフェルは骨と土の傀儡だけでなく、〈簒奪者〉のデミウルゴスも傀儡としていました。我々では歯が立たず……」


 ありったけの歯がゆさを滲ませた様子で話す。自分の無力を嘆き、無残に散った仲間を悔やみ、ただ一人残されてしまった悲しみを背負う。


「何故、裏切った……。我が師よ」

 消え入りそうな声で男は嘆いた。それでも、静まり返ったこの空間では十分に聞き取れた。


「ノマよ」


 別の男性の声が響いた。芯のある響きは、力強さと温もりを感じられる。剛と柔を併せ持つその音は、暗闇に沈む誰もが安心を覚えた。それは正しく暗闇に閉じ込められた彼らにとって光だった。


「既にアティス大陸は沈んだ。同じように我々も滅ぶ。これより、この世界はオウスフェルと、その魔法が支配する。それは避けられぬ」


 ノマと呼ばれた人物は、ゆっくりと顔を上げた。目には今にも溢れそうな涙が浮かんでいた。

「彼の毒が進行している。我の両足はもう動かん。最早、オウスフェルに対抗出来る者はいない」

「私たちが行ってきたことは間違いであり、全て無駄だったのでしょうか?」

「ノマよ。それは誰にも分らぬ。我々は土を耕し、種を撒く準備をしていたところだ。ただ一つ大切なことは、自分自身の肉体と魂、そして精神が到達した場所を疑ってはならん。ただ受け入れよ」

 ノマは敬愛を込めた返事と共に跪いた。


「一から全が生じ、我々はこの物質世界を生きた。全を受け入れ、そして新たな一へと至る。我とオウスフェル、そしてヘルメスが象徴する力を奪うとは誰も想像出来なかった。それは〈簒奪者〉たちでさえそうだった。些細なきっかけと好奇心から奪い、そして魅了された。考え得る可能性だったが、その様なことが起こるはずは無いと、我々は見向きもしなかった」


 ノマは再び顔を上げ、話す王の顔を見た。薄暗闇に目が慣れて、漸く王の表情が窺えた。澄んだ瞳を見て、王は諦めて後悔の念を口にしているのではないと確信を持てた。


「ノマ……最後の魔導士よ。我々は冥府へ行かず、この地に留まる。我の後ろにある、この新しい器に魂を移す。来るべき時まで長き眠りにつこう。魂を移すことが出来るのは、最後の魔導士である其方だけだ」


 王の背後。そこは更なる闇が広がっていた。その中でおぼろげに見える影が、王の云う新たな器であろう。


 ノマは王の元へ近づく。影の正体が明らかになり、ノマは息を飲んだ。


「まだ、残っていたのですね。これほどのデミウルゴスが……。しかし、これほどの戦力が残っているならば打って出ましょう。オウスフェルの体制が整う前に仕掛けられる」

「オウスフェルは止められん。〈簒奪者〉のデミウルゴスを所持しているならば、戦力は我々より上だ。それにこれが、戦いのデミウルゴスではないことは分かっているだろう」

「しかし、時が経てば経つほどオウスフェルが有利になります。オウスフェルがこちらを上回っていても、まだ可能性が残っています。時間が経てば経つほど、それが無に近づいていく」

「ノマよ。オウスフェルを滅ぼすことが、我々の目的ではないだろう。完全性を受け入れよ。オウスフェルは、この世の全てを掌握するわけではない。輪廻転生を掌握し、虚ろな夢の中に世界を閉じ込めるだろう。それでも、世界は完全性を保つ。〈意識〉が消滅することはない。我々が抱くこの意志が、消滅することはない」


 王はノマを呼び寄せて、手を差し伸べた。優しくノマの頬を撫でて、大切な我が子に言い聞かせるように話す。

「オウスフェルの夢から醒めようとする存在が現れるだろう。我はそれを信じる。オウスフェルがこのような行動に出たのは、深い悲しみからなのだということも分かっておくべきだ」


 とうとうノマの瞳から涙が溢れ出した。抑えきれず、子供のように泣いた。王はその様子を、優しく柔らかな眼差しで見つめていた。

 ノマは涙が枯れんばかりにひとしきり泣いた。次第に落ち着きを取り戻すと、その瞳には悲しみは消えていた。瞳には決意の火が宿っていた。


 ノマは王の魂を移す準備の為に立ち上がった。しかし、王は片手を挙げて制した。

「其方には、他に頼みたいことがある」

「はい」

「其方の魂の半分を、魔導士である魂をここにあるデミウルゴスへ移すのだ」

 ノマは王が何を言っているのか理解が出来ず、一瞬声が出せなかった。

「それはどういう意味でしょうか? そのようなことをしては、私の半身はオウスフェルの夢に取り込まれてしまいます」

「それが必要なのだ。たとえこの世界がオウスフェルの夢に覆われようと、我の意志とヘルメスの意志を宿す者が現れる。子供には、教え育み、導く親が必要だ。我らが長き眠りから覚める時、その者らを導いてやってほしい」

「しかし、分かるのです。夢から醒めるのは困難を極めます。只の人間として何百回も生涯を送る内に、いずれ私の魂は薄れていくでしょう。古い書物同様に、書庫の奥深くで埃を被り忘れ去られる。見つけたところで、これが何の書物なのか。何故、読む必要があるのか。私にとって掛け替えのない存在たちを、忘れ去ってしまうのが恐ろしいのです」


 仄暗い空間は暫しの静寂に包まれた。王だけでなく、ここにいる全ての人間がノマの告白に聞き入っていた。

 この場にいる全員がノマと同じ恐れを抱いていた。ノマは皆の思いを代弁し、涙を流しているのだということを王は分かっていた。


「それで良いのだ。ノマよ。恐れを知らぬ者は、真の勇気を知らぬ。だから其方に託す。疑いを超え、自身を信頼することを許せ」


 何の保証もない。皆の期待を裏切ることになるかも知れない。それでも、ノマは旅立たなくてはならない。

 恐れに囚われた自己だけではなく、たとえ夢の中にあっても、覚醒への道を歩む自己を見出さなくてはならない。


 これは、自分自身を知る旅である。


 私達はそれを成す為に生きてきたのだから。


「私は幾星霜を経て、魂の導きに応じ、必ずや王の元へ辿り着きます。そして、幼き意志を導く光となることを誓います」


 ノマは頭を垂れ、右手を胸の前に置いて誓いを立てた。


 ノマはゆっくりと短剣を取り出し、王の胸へ突き立てた。

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