桔梗夜

どろんじょ

第1話 

修一が駅に降り立った時には街は閑散としきって

昼の街が残した澱んだ空気を漂わせているだけだった。

駅から漏れる微かな電光の灯りと街灯を頼りに帰路につこうと

修一は歩を始めた。

初夏の草木の匂いが空気を這って修一の鼻を突き、今晩がひどく蒸暑いことに

とうとう気がついた。

修一は自動販売機に飲み物を買うためにいつもの帰路ではない方向へ歩を変えた。

自動販売機も満足にない田舎の街に多少苛つきながら胸元からハンカチを取り出して

汗を拭いた。

ふと顔を上げると、おかしい。

花屋が白く光る蛍光灯で道を照らしていた。

時計を見ると夜中の一時だ。

花がやけに艶やかに咲き乱れて、不可解なおぞましさに寒気を覚えた。

遠くから離れて見ると、全ての店がシャッターを下ろし眠りについているこの街で

飲食店やコンビニならともかく花屋だけがぽつりと灯りを点しているのだから。

「複合写真みたいだな」

眼を見開いて思わずこう呟くのも当たり前だろう。

何のために開けているのだろう。無意味と言うべきか不可解だった。

店先に並べられた花々を見つめると、蒸暑ささえ忘れるほど眼を奪われる花が

端の方に一つだけ飾られていた。

小さな花々が並ぶ中で細い茎を頼りなげに伸ばし、凛とした大きさでありながら

暗く深い色みを見せるその花は何処かで見た気がした。

蛍光灯の灯りを背負いこちらに儚げに顔を向けるその花を修一は思わず

手にとってしまいそうになる。

「桔梗ですよ。この花。」

奥から小柄な少女とも見紛う女性が出てきた。

驚いて植木鉢に手を伸ばしかけた手を修一その手を引っ込みそこね、情けない格好で

女性を見つめた。

「おかしいでしょう。こんな真夜中に花屋だなんて。買ってくれる人もいないのだけどね。」

その女性店員は一方的だが穏やかな口調で話していた。

彼女の視線は修一ではなく、ひたすらさきほどの桔梗という花に向けられていた。

「ええ、驚きました。それにしても綺麗な花ですね。」

修一はどう答えて良いか分からずに、間誤付きながら同じように桔梗に視線を配った。

「この子はね、この時間じゃないとあまり綺麗に見えないのよ。

ほら、ここで眠っているポーリアやパンジーはみんな見ていってくれるのだけど

この子ってほら、大きくってほんのちょっぴり不気味じゃない。」

そういわれてみると紫色の大きな花はまるで口を大きく開けてるかのようにも

見える。だがこの異様な暗闇と蛍光灯のコントラストの中で凛と咲き誇るこの花は

下に控える小さな花々よりもずっとこの世界に似合う姿で不気味に薄目を開けて

こちらを誘っていた。

彼女の指すポーリアやパンジーは確かに昼と同じように咲き誇っているのだ。

が、なぜかこの桔梗の持つ独特の陰鬱さは自分を引き寄せて仕様がない。

「この花。いえ桔梗のためにこんな遅くにお店をあけてらっしゃるんですか?」

ずっと疑問に思ったことをやっと女性に言うことが出来た。

彼女の眼を見つめてると彼女は少し悩んで俯いてから口を開いた。

「ええ、だってほかの子と同じように目立たせてあげなきゃかわいそうじゃない。」

そうして愛しそうに茎から花へと視線を移した。

「せっかくお花として咲いてくれたんだもの。」

そういって彼女は微笑んだ。彼女の背後から漏れる蛍光灯の白い灯りは実は花が自ら発光してるのではと見まがうくらい眩しく、まだらになっていった。

そうしてその真ん中で微笑む彼女自身もまた花ではなかろうか。

そんな奇妙な感慨に耽るほど暑苦しい、そして幻想的な夜の景色だと修一は思った。

「桔梗はあなた自身ではないですか?」

ポツリと零れた一言に彼女は微笑をさらに深くした。

「酔ってらっしゃらない?」

「かもしれません。」

おそらく明日の昼ごろ、彼女は同じ場所で微笑んでるだろうけれどもこれとはまた別物だろうと修一は改めて思った。

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桔梗夜 どろんじょ @mikimiki5

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