緑ドレスのシンデレラ

かのゑ

第一話

 母親は幼い頃よく読み聞かせをしてくれる人だった。

 優しい声音で、眠りにつくまで毎晩絵本の中の物語を語り聞かせてくれた。夜のほんの数分、その時間が大好きだった。

 絵本には様々な種類があって、その多くにお姫様が出てきていた。不幸に見舞われる事もあるが、最後は王子様と出会って幸せに暮らすお姫様。

 小さな自分は、お姫様が羨ましかった。


「おかあさん、ぼくもおひめさまみたいになりたい」


 今でも覚えている、少しだけ困ったような顔をした母の顔。


「ええ…そうなの?でも雫は男の子だし、王子様じゃなくって?」

「おうじさまのおようふくより、おひめさまのほうがかわいい!」

「そうね、お母さんも可愛いお洋服好きだわ」


 それっきり、どことなく同じような内容の話は逸らされるようになった。きっと自分の息子が性を誤ろうとしていると母は思ったのだろう。

 (別に、女の子になりたかったわけじゃないのにな)



 柳瀬 やなせ しずくは、可愛いものが好きだ。

 所謂少女趣味のようなもので、出来ることなら身につけたいとも思う。ふわふわのフリルも、パステルカラーのピンクも、愛らしい真っ赤なリボンも、憧れる。

 幼い頃からお姫様に憧れていた雫は、成長してからもずっと心の奥底で物語のお姫様を羨んでいた。

 王子様と恋に落ちる事を望んだのでも、女の子になることを望んだのでもなく、自分は男だけれどもふわふわ、キラキラのドレスに憧れた。自分が袖を通すことはないとわかっていながらも、いいなぁと思わずにいられなかった。

 自分のことを客観視してみても、特別可愛くも女顔でもない。せいぜい平均よりほんの少しだけ背が低い程度。いっそ女顔だったなら、とも考えたが余計に要らぬ心配を両親にさせそうだと溜息をつく。



「ただいま」


 返事の帰ってこない室内に靴を脱ぎながら足を踏み入れる。どうやら同居人はまだ外出中のようだ。

 ブレザーから袖を抜き、ハンガーにかけながら寝室のラックにかけた。

 ちらりと見えた、ドアの開け放されたままの向かいの寝室がぐちゃぐちゃのままで、珍しいなと小さく笑みが漏れる。



 私立聖堂学園高等部。それが雫の通う高校だ。

 聖堂学園は非常に規模が大きく、幼稚舎から大学院、一部連鎖校として専門学校も経営している。エスカレーター組としての持ち上がりの生徒と、中等部からは外部受験で入学する事もできる。その比率は高等部だけを見れば五分五分。中学まで一般校に通っていた生徒も多く、とてつもなくお嬢様お坊ちゃま学校というわけでもない。

 雫は高等部からの外部生だ。中学までは平々凡々、区内の学校へ通っていた。聖堂への志望動機を当初家から近かった事を理由にあげていたが、寮の設備に惹かれ、思いきって両親に相談して今に至る。家が近いんだから実家から行ったらどうだ、と何度も言われたが親元を離れる憧れがあった。

 何より、親元に居ればいるほど苦しくなっていくような感覚を覚えていた。



「あれー!雫もう帰ってる!?ただいまー!」

「おかえり、今朝寝坊したの?」

「そうなの!もーほんとドタバタしちゃった。雫に起こして貰えば良かった〜」


 ブレザーを少し乱暴に脱いで、自身の寝室に放るマナは見た目に反して豪快だ。

 寮は2LDKの部屋を二人一部屋が基本だ。一部生徒は希望によりもっと広いサイズの部屋を一人部屋として使っていたりもするが、値段の桁が全然違う。


「朝早いのも困るよね、文化祭準備で授業少ないのは嬉しいけど」

「マナ勉強出来るくせに嫌がるよね」

「勉強なんかより楽しい事したいもん〜!雫は今年もクラスだけなの?」

「あー、うん。部活の方は何も予定してないし、多分ね」

「もったいなーい!個人出店とかしちゃえば?何なら僕と講堂で歌っちゃう?」


 やだよ、と笑うとマナはぷうと頬を膨らせた。本気で誘ってたのか、と少し驚くが講堂で歌うなんてありえない。恥さらしもいいところだ。


「うちの学校のシステム全然活かしきれてないよ、雫は!」

「マナは活かしまくりって感じだもんね」


 

 同室のマナは、生物学上男だ。故に雫と同室で暮らしている。

 しかし制服は常に女子制服、長く伸ばされた髪はまっすぐ綺麗に肩を過ぎて背中の中程までの長さがあり、いつも化粧をしているのでパッと見は女の子に見える。

 中身は俺よりずっと男前だし、可愛く振る舞おうとしているようだが、隠しきれてない部分が時々顔を見せていて、そこが雫のツボだったりする。


「僕は今年、クラスと部活と個人!個人は講堂でソロライブなの!絶対見に来てね!」

「今年も忙しそうだね」


 お茶でも入れようかと立ち上がると、ひょこひょことマナも付いて来た。茶菓子に、と冷蔵庫からケーキを出してくれる。どうやらマナが作ったらしい。クリームがよれていて少し不恰好な形はなんともマナらしい。



「そうそう、雫って確か縫い物できたよね」


 戸棚からティーパックを取り出していると、砂糖の容器を抱えたマナがおずおずと聞いてくる。


「まあ、好きだけど」


 どうせ何か頼み事だろう、と思いながら視線を交わさずに続く言葉を待つ。


「部の衣装手伝って欲しくて…」

「マナって確か演劇だよね?衣装の子も何人か居なかった?」

「オリジナルでシンデレラやるの…だからドレスばっかで手が回らなくて、僕まで借り出されてるんだもん!」

「それはよっぽどだね…」


 でしょ!?と返すマナはどうやら不器用な自覚があるらしい。とても器用とは言い難いし、どちらかといえば大雑把だ。


「部の方出店しないなら、篠塚しのつかさんにも手伝って貰えたりしないかな…」

「どうだろう…明日聞いておくよ」

「助かるー!雫は明日から手伝いに来てよね!朝はいいから、放課後!」


 はいはい、と返事をしながら良い色に染まる紅茶を注ぐ。すかさずマナは砂糖を二杯入れると、嬉しそうに早足で自分の分のカップだけを持って行った。



□■



「いいですけれど、柳瀬君忙しくなりそうですわね」

「あー…うん、篠塚さんは時間あるときだけでいいよ」

「そうさせて頂きますわ。生徒会の方も忙しくて…空いているときはお手伝いしますとマナブ君に伝えてくださいな」

「…本人の前ではマナって呼んでやってね、怒るから」


 まぁ、と上品に微笑む篠塚さんは少し意地が悪い。

 篠塚さんは同じ手芸部の部員だ。昨年三年生が卒業してから、手芸部は幽霊部員を除くと俺と篠塚さんの二人だけ。

 篠塚さんは生徒会にも入っているから、文化祭の時期は忙しい。なので今年は部の出店をしないことに決めた。


「生徒会の人が遅くまで残ってるのは知ってるけど、見回り?」

「ええ。最後まで居るのは見回り担当ですわ。でも、それ以外にも会計や各出店、出し物の進捗把握とタイムスケジュール管理、各先生への報告…意外と仕事多いんですの」

「うわぁ…生徒会ほんと凄いよね」

「ふふ、一番凄いのは会長様ですわ」

「あー…オウジ様ね」


 聖堂学園は生徒の自主性や個性を重要視しており、基本的に学校行事などは生徒が取り仕切っている。

クラス委員、学年代表、そして一番上に生徒会。教師達は口出しをせず、報告を聞きながら状況を把握して見守って居る。

 社会に出てからの事を考慮し、自ら動ける人間に、がモットーだ。

 また聖堂学園は由緒正しい家柄の生徒が多く集まる。

 中でも生徒会に入れるのは有名な財閥の息子や娘、家柄も成績も、更には人柄も良い人だけが入れると言う噂。事実噂ではなく、現在の生徒会は完璧な人材が揃って居るように思う。

 目の前で微笑みながらハンカチを縫っている篠塚さんも、かの有名な企業のご令嬢だと噂で聞いたことがある。


「会長様は、まさしくこの学園の王子様ですものね」

「まあ、見た目からしてザ・王子様って感じだよね」

「ふふ、羨ましいんですの?」

「そんなんじゃないよ。俺は王子様なんて嫌だし」


そうですか、と小さく笑うと、篠塚さんは糸をプツリと切った。



 聖堂学園高等部、生徒会現会長は同じ二年の一之瀬 晴翔いちのせ はると

 この学園でもかなり上位の大金持ちの家で、色素の薄い少し癖のある金の髪と、薄い焦げ茶の瞳。誰にでも優しく、いつも穏やかな笑顔でゆったりと心地の良い高すぎず低すぎないトーンの声が印象的だ。


「誰が最初に王子様だなんて言い出したの?」


 くるくると針に糸を巻きつけながらにちらりと篠塚さんを見る。今日はどうやら凝った刺繍を施しているようだ。


「初等部の頃、誰ともなく皆さんが呼び出したのは覚えていますわ。何よりピッタリの呼び名ですから、定着するのもすぐですわね」

「今じゃ皆王子呼びか、会長だもんな。まともに呼んでるの先生くらい?」

「そのうち会長様はお名前を忘れられてしまいそうですわね」


 機嫌よく笑う篠塚さんに笑い返しながら、演劇部から預かった布を縫い進める。

 しばらくしてスピーカーから響き鳴った部活終了の鐘に片付けをどちらともなく始める。篠塚さんのハンカチはまだ刺し終わらないようだ。


「この後演劇部へ?」

「そうだよ。ギリギリまでやるみたいだから、俺も付き合うことになってる」

「まぁ…ご苦労様です。今日の見回りは私なので何か差し入れますわ」

「人数多いから大変だしいいよ。俺はあくまで手伝いだし」

「お気になさらず。では先に参りますので失礼致します」


 ゆったりと優雅に会釈をして去っていく篠塚さんを見送ってから、家庭科室の鍵を片手に雫も席を立った。

 窓の施錠を軽く確認してから、部室の扉を開く。廊下は少し肌寒い。

 鍵をかけ終わるより前に、マナがバタバタと廊下の向こうから駆けてくるのが見えて、手早く鍵をかける。


「雫お疲れ!じゃあ手伝いよろしく!部室棟でやってるから」

「了解。先に鍵置いてすぐ行くから」


 待ってるからね!と廊下に響く大きな声で言い残して、また駆け足で去っていくマナに弱々しく手を振ってから静かになった廊下を進む。

 すっかり秋らしくなってしまって、まだ17時半なのに外は暗い。開いていた窓から吹き込んできた風も冷たく、そっと閉めておいた。



 文化祭まであと二週間ほど。何処も皆準備に明け暮れている。あと数日もすれば、時間数が減っていた授業も無くなり、文化祭準備の為の日々がやってくる。装飾された教室で受ける授業もあと数日だ。

 あれはあれで不思議な空間での勉強が楽しいけれども、授業を受けているよりかは文化祭準備の手伝いをしている方が楽しい。

 磨りガラス越しに灯りのもれる職員室のドアを二、三回ノックしてから一歩踏み出し開いた所で目の前の視界をドアップのワイシャツが埋め尽くした。


「わっ...!」


 ぶつかる、と咄嗟に目を瞑ったが、相手がギリギリで足を止めてくれたらしい。覚悟していた衝撃は訪れなかった。

 ぶつからなかったことに安堵してからそっと相手の顔を見あげて、謝ろうと開いてた口はそのままで固まってしまった。


「ごめんね、怪我はないかい?俺の不注意で...驚いただろうね...」


 困ったような、こちらを気遣うようなそんな相手の態度に慌てて声を出す。


「...や、こっちこそごめんなさい。前も見ずに入ってしまって」

「はは、じゃあお互い様だね。気を付けないとだ」


 ニッコリと笑顔を見せる至近距離の王子様に、まだ緊張は冷めない。

 こんなに近くで、話すのも初めてだ。女子達が言うように何だかいい香りする気がするし...これが王子か。

 (俺とは別世界の人だもんな)

 意識するとやけに緊張が高まり、鼓動が早まるのを感じながらも彼から目が離せない。


 「では失礼するね。準備、頑張ってね」

 「あ、はい。お疲れ様です」


 ヒラヒラと手を振ってから背を向けて歩いていく背中すら、庶民とは違って見える。

 ぼんやりと、学園の王子様が見えなくなるまで雫はその場に立ち尽くしていた。





  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る